11

 ロビーでのお茶会のあと、僕たちは部屋にうつってからもすぐには眠らず、しばらく話をしていた。おじさんとそんなに話し込んだようには感じなかったけど、かなりの時間が過ぎていた。それとなくおじさんにそのことを話すと、冗談めかしながら、「私と語り合った方は、誰も彼もが、時間を奪われたようだと言うのです」なんてことを言っていた。

 ミュートはお茶会の途中から、まったく話に参加しなくなってしまった。今もどこか不機嫌ふきげんそうだ。多分、おじさんの、『出来損できそこないの魂』という言葉に引っ掛かっているんだ。僕のために怒ってくれるのは嬉しいけど……。


「あんな風に黙っちゃ、おじさんに失礼だよ……」


「分かってる」


「明日。謝った方がいいよ」


「分かってるってば。言われなくてもそうするつもり……。でもさ、あんな言い方しなくたって……」


 ミュートは締め切られた窓のそばに椅子いすを寄せて、僕に背を向けて腰掛けていた。


「いや、おじさんは僕の身体のこと知らないんだし、しょうがないよ。……もしかしたら僕は……実際に魔女に作られた存在なのかもしれないし」


「もし仮にそうだとしても」


「ん?」


「あたしはあんたを出来損できそこないだなんて思わない」


「あ、ありがとう。でもさ、どうして? 僕たちは会ったばかりだよ? なのに……」


「だって、あたしを助けてくれたでしょ」


「それはそうだけど。そんなことで……」


 僕が口籠くちごもると、ミュートは頭だけをこちらに向けた。あごを少し上に向けて、ものすごく怖い目をしていた。


「誰かを助けたいって思うのは、それだけですごいことだよ」


「そうかな……だけど」


「どうして君はそんなに卑屈ひくつなの!」


 そう言ってミュートはそっぽを向いてしまう。


「ごめん」


 少しのあいだ、部屋にはかねの音だけが響いた。


「あたしもごめん。大声出しちゃった」


「ううん、ちょうどいいよ。こんな夜だから」


「そっか。……ねぇ」


「なに?」


「やっぱり自分が誰だか分からないのは辛い?」


「うーん、どうなんだろうね。元々こうだからよく分からないけど、……身体がないことよりは辛いかもしれない」


 僕は答えをミュートに渡したつもりだったけど、ミュートは黙ったままだった。どうしてかその沈黙が「もっと話して」と言っているように感じられた。


「……自分が誰だか分からないからさ、他人とどう接したらいいか分かんないんだ……、もしかしたら、僕が知らないだけでその人とは、昔はすごく仲が良かったのかもしれない。反対に憎み合っていたのかもしれない。……そう思うと、……思わなきゃいいって分かってるけど……どうしてもそう思っちゃうんだ……そう思うと、人とどう接したらいいか、よく分からなくて、人との距離がつかめなくて……」


「じゃああたしなら大丈夫だよね? だって……」


 ミュートの声はやけに乾いていた。でもそれが喋る内に変わっていった。


「……私たちは偶然知り合った赤の他人だもん。だからさ……あたしとだけは難しく考えずに……」


「……もしかして泣いてるの?」


「あ、ごめんね……。いやーごめん……なに泣いてんだろ」


「どうしたの?」


「ちょっとこっち来ないで」


「ごめん。でも大丈夫?」


「ヘーキヘーキ。なんか知んないけど、昔のこと思い出しちゃって」


「昔? もしかして、前に言ってた恋人のこと?」


「まぁね」


「何かあったの?」


「女にそんなこと気安く聞いちゃだめ」


「ごめん」


「でも、いいの?」


「えっ? 何が?」


「あんな危ない奴に忠告ちゅうこくされたのに。まだ旅を続けるつもりなんでしょ?」


「うん、そのつもり。まあ確かに、あれには驚いたけど」


「もしかしたら殺されちゃうかもしれないよ?」


「そうだね」


「君が死んで悲しむ人がいると思う」


「うん。だけどさ、そんな人たちのことを知らないまま生きていけないよ」


「案外さ、何もしなくても解決するかもよ」


「どういうこと?」


「例えば、誰かが君の身体を元に戻してくれるかもしれない」


「誰かって誰?」


「そうね……昔の仲間とか、家族とか……あとはそうだな……ファンとか?」


「ファン? あはは、なにそれ」


 僕が笑うと、ミュートもこちらに身体を向けて笑ってくれた。


「いるかもしれないじゃん。そんな人たちが君を元に戻してくれるかもしれないでしょう? だからさ、少し待ってみてもいいんじゃない? 死んだら、もとももこ、ないよ?」


「もとももこ?」


「元も子も、ね。……何だ、もとももこって」


「ねぇ、もとももこさん」


「誰それ、しらなーい」


 ミュートはおどけた口調で言い、すぐに顔を引き締めた。


「元も子もなくなるって、なにもかも消えるってことだよ? 今よりも確実に不幸になる。2、3年……ううん……1年くらい待ってみてもいいんじゃない? ……あんな奴に歯向はむかったら本当に殺されるよ。魔女はもっと危険なはずだし……」


「それは忠告ちゅうこく?」


忠告ちゅうこく? 違うわよ。あんな奴と一緒にしないで……ふふ」


 ミュートは何故か意地悪いじわるそうに笑うと、ゆっくりと立ち上がり、こっちに近付いてきた。


「えっ? なに?」


 ミュートは、僕が使っていたテーブルの反対側の椅子に腰掛けると、不敵ふてきに笑った。


「実は、わたしが魔女だったりして」


「……ぇ」


「魔女は可憐かれんな少女の姿をしてるって言うでしょ。それにほら、わたしがこんなに物を速く投げられるのは、魔法だったりして」


「うーむ」


「なに、その反応?」


「ないかな」


「なんでよ?」


「どっちかっていうと、小悪魔?」


「はい?」


「あ、ごめん、なんでもない。でも、どうしてあんなに物を速く投げられるの? 狙いもすごく正確だし」


「ん? んー? どうしてかな? 才能ってやつ?」


「そうなんだ……」


「昔からそうなんだよね。あたし子供の頃はヒーローだったし」


「ヒーロー?」


「そう、ヒーロー。物を投げるのが得意ってだけでなれるんだから……微笑ほほえましいよね」


「いや、今でも充分ヒーローって感じだと思うよ」


「なにそれ、そこはヒロインでしょ?」


「あーごめんごめん。でも本当にすごいよね、あいつもビックリしてたし」


「まぁね。魔石くらい軽くてちっちゃいものなら、2つ同時に、別々の方向に投げられるよ」


「同時に? すごいね。やっぱり魔法なんじゃ……」


「ふん。小悪魔でしょ。悪魔の秘術ですー」


 とミュートは口をとがらせる。


「あーごめんてば」


「あたしのことはいいからさ。……とにかく少し様子を見てみたら? 命は天秤てんびんに乗らないどころか、天秤てんびんそのものだよ?」


「ありがとう心配してくれて。でも……僕はもう待っていられないんだ。知りたくて知りたくて仕方ない」


「そっか」


「うん」


「ねぇ」


「なに?」


「しばらくさ、あたし、君に付いていこうかな」


「えっ? どうして?」


「嫌なの?」


「いや、……嫌じゃないよ。というかむしろ……ううん。でもミュートがさっき言ったよ、殺されちゃうかもって。僕と一緒じゃ危ないよ? なのに、どうして?」


「あたしの旅もさ、手掛かりがなくて今のところ手詰まりだし、……誰かと一緒なら打開だかいできるかもしれない。それに、君の旅の先に興味があるしね」


「でも、危ないよ」


「あたしはそんなにやわじゃない。それに……」


「それに?」


「狙われてるのは結局、君だし」


「……」


「あたしはすぐさま逃げるから」


「うーん」


「というか守って」


「だけどさ……嬉しいけど」


「さっきも言ったでしょ? あたしと君は偶然知り合った他人だって、だから気にしないで、あたしが好きでやることだからさ」


「……分かった。気にしないことにする。だけど僕は君を絶対守るって約束する」


「いや、気楽に……」


「ううん、じゃないと僕が自分を許せないんだ。……つまり僕の都合だよ」


「ふーん。じゃあお好きにどうぞ」


「うん。そうするよ。死んでも君を守る」


「あたし恋人いるって言わなかったっけ?」


「関係ないよ。ただ、旅のパートナーとして……」


「ははは。真面目だね、君は。もっと気楽にでいいのに、ただの道連みちづれだよ、あたしたちは、……だとちょっと味気ないかな? じゃあこうしよう!」


 と言ってミュートは小悪魔みたいに笑った。


「えっ? なになに?」


「あたしは空っぽな君のファン第1号ってことで!」


「ぇ、なにそれ、ファン? なんか嫌だな……」


「なんでよ!? いいじゃん! つまり、あたしはあんたの追っかけってことでさ」


「えー」


「えー、じゃない。少しは喜んでよ」


「わ、わーい」


「……ちょっと。まぁいいわ。とりあえず、改めてよろしくね、サンデー」


「うん。こちらこそよろしく、ミュート」

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