受付の近くのロビーで僕たちはお茶をご馳走ちそうになった。といっても僕が味わったのは香りと雰囲気だけだ。せっかくの好意に悪いとは思いつつ、おじさんにはお腹が痛いからと言って誤魔化ごまかしした。

 近くでは暖炉だんろが静かに燃えていて、時折パチパチと音を立てた。室内だからかねの音はそこまで耳に響くわけじゃないけれど、意識の外に追いやるまではいかない。


「雷と風を操る男ですか……」


 僕はおじさんに温泉での出来事を詳しく話した。何か魔女への手掛かりになればと思ったからだ。ミュートは隣で、口をはさまずに、風車ふうしゃの形のクッキーを楽しげにながめてみたり、お茶の香りを嗅いだりと、お茶を満喫まんきつしていた。


「はい。多分あれは魔法なんじゃないかと思うんです」


「魔石ではなく……?」


 僕がうなずくと、テーブルの向こうのおじさんはソファーの背もたれに身体をあずけ、わずかかに笑みを浮かべた。


「こんな話があります。百年以上前のことです。遠くの地のある町で、魔女の力を恐れた王が、魔女を処刑しようとしたことがあったそうです」


「処刑ですか……」


「一つ断っておきますが、大昔のことですから、今からお話しすることは……そうですね……昔話、童話のたぐいだと思って、話半分でお聞きください」


「分かりました」


「……魔女を捕らえよと王から御触おふれが出され、それからしばらくのちに魔女は捕らえられてしまったそうなのです。世界で一番力のある魔女が、何故捕らえられてしまったのか。何故逃げもせず、抵抗もせずに捕まってしまったのか、それは分かりません。ですが一つ言えるのは……」


「……のは何ですか?」


 勿体もったいぶるおじさんに、そう返したのはミュートだった。話はちゃんと聞いてはいるみたいだ。ミュートがおあずけされてイラついているのを知ってか知らずか、おじさんはゆっくりとお茶を飲みして、「話に夢中で、お茶に気が回らずにいました」とミュートのカップを優雅ゆうがな仕草でしめした。


「あっ、大丈夫です、それよりも……」


「お茶をれ直してきます。クッキーのおかわりはどうされます?」


「う……、それじゃあ頂きます」


「では、少々お待ちください」


 そう言っておじさんは受付の奥へ消えていった。ミュートは一つめ息を吐くと、ソファーに深く座り込んだ。


「もったいぶるなぁ……」


「まぁまぁ、こんな夜だし、1人は心細いんだよ」


「まあ、こんなにうるさくちゃ眠れないしね。ていうかいつまで鳴ってるの? これって」


「おじさんが言うには、送風機の近くに技師ぎしが交代で泊まり込んでるらしいから、すぐにやむはずらしいんだけど……」


「なんかあったのかしら」


「どうなんだろう」


「まさか、あいつ……?」


「あいつって?」


「あの黒いのよ」


「まさか……」


「そうよね」


「第一、山の方へ飛んでいったしね」


「……あの時は気にしなかったけど、それってどうしてなのかな」 


「えっ? どういうこと?」


「いくら空が飛べるからって、わざわざ毒ガスの吹き出る方へ行くかしら?」


「なにか理由があったってこと?」


「ええ」


「それはなに?」


「そんなの分からないわよ、でも例えば……」


「例えば?」


「風を起こして、毒ガスを町に早く到達とうたつさせようとしたとか」


「えっ? 何のために? 放っておいてもいずれ町に届くんだよね?」


「例えばあたしたちを始末しようとしたとか」


「まさか、魔女を追うから? そのために町まるごとを危険に……?」


「例えばの話だからね? それこそ話半分で聞いて」

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