朝の遅れを取り戻そうと急いだ甲斐かいあってか、今日の内に町に到着することができた。整備された道に変わっていったのも大きいだろう。

町に近付くにれて段々と風が強くなっていった。ミュートの言う通り、時折風が吹くというのではなく、常に一定の強さで風が吹いている。最初はその風がなんだかわずらわしかったけど慣れてみると確かにそれは、そよ風のようだった。

 町の入口にはアーチ状の看板があり、大きく『ようこそ、そよ風の町へ』と書かれていた。


「さっそく情報収……」


「まずは、温泉よね」


 そんなやり取りをしてる間も風は吹いていて、ミュートの髪は前に向かってサラサラ揺れてその横顔を隠し、首に巻いている赤いスカーフも強くはためいて、今にも飛んで行きそうなくらいだった。

 僕たちはアーチをくぐり町に足を踏み入れた。

 ぼんやりととも灯籠とうろうが並び、たくさんのお店を照らしている。飲食店、温泉宿、道具屋、質屋しちや。それとは対照的たいしょうてきに人通りは少なかった。ここは温泉地で、夜もそこまでけているわけでもないのに。


 当てもなく町を散策さんさくする内に違和感を覚えた。少し歩き、違和感の正体に思いいたった。どの建物も細長く作られていて、どれも同じ方向を向いていた。町の入口と遠くに見える火山に対し、水平になるように。もしかして、風を通りやすくしているんだろうか?


「あっ、ここなんか、いいんじゃない? こだわりの料理と温泉だってさ」


 目を向けるとそこには小さな宿屋が建っていた。結構歩いたせいかいつの間にか町の外れに来ていたらしい。火山がまるでこちらにおおい被さるかのように間近にそびえていた。火山への道には『立入禁止』の看板がたくさん立っている。町の中でも火山に一番近い所なのだろうか。

 宿の中に入ってみたけれど受付には誰もいなかった。辺りを見渡してみるが人気ひとけはない。しばらく待ってみるが誰か出てくる様子はなかった。

「ごめんくださーい」とミュートがしびれを切らし声を掛けると、奥から返事が聞えた。


「……はいはい、どうされました?」


 受付の奥から出てきたのは初老しょろうの男性だった。


「どうって……あの、こちらに泊まりたいんですが、もしかして今日は休みですか?」


「いえいえ、申し訳ございません。この時間からのお客さまは珍しいものでして……」


「珍しい? 宿なのに?」


「えぇ、この町は昔から早寝が美徳びとくになっていまして、どこも早い時間に店じまいをするのですよ」


 と宿屋の人は感じのいい笑顔を浮かべながら説明してくれた。そしてカウンターの中から帳簿ちょうぼを取り出しそれに目を落とすと、僕たちに部屋のかぎを預けてくれた。


「早寝ですか……。なんか健康的ですね」


 と気の抜けた声でミュートは言った。


「えぇ、温泉の町ですから」


「そう、温泉! 温泉ってまだ入れますか?」


「えぇ、もちろん。ただ……」


「よし……! じゃあ、さっそく!」


「……あの、」


「分かってますってぇ、長風呂はしませんから。ササっと入って、パパっと寝ちゃいますから! サンデー、あとはよろしくね」


「あ、ちょっとお客さま!」 


 宿屋の人の声ももはや聞こえていないのか、ミュートはそのまま廊下の奥へ消えていった。廊下の天井には、分かりやすく『温泉はこちらです』と書かれた看板が吊るされていた。


「なんだか、すいません……」


「……あ、いえ、大したことではなかったので」


「というと?」


「もしかねの音が聞こえたら、戻って来てくださいと、ただそうお伝えしたかったのです」


かねの音……? それが鳴ると何かあるんですか?」


「風がやむ、それだけです」


「はぁ……?」


「ですからなぎかねと呼ばれてます」


「風がやむと……なにか困ることが?」


「えっ? ああ、とするとご存知ないのですか?」


「何がです?」


「この町に風が吹いている理由です」


「理由? 風に理由なんかあるんですか?」


「ええ。毒ガスから町を守るためですよ」


「ど、毒ガス!?」


 そこで宿屋の人は声を殺して笑った。僕の反応が可笑しかったのだろうか。


「この町は誰かと戦っているんですか?」


 宿屋の人はこらえきれなくなったのか声を上げて笑った。


「……すいませんね。失礼致しました。戦っているといえば、確かにそうですね。ただ……」


「ただ?」


「誰かではなく、私たちが戦っているのは火山ですがね」


「火山? あ、もしかして、毒ガスって」


「はい、おさっしの通りです。町の裏に高くそびえるあの山は、猛毒のガスを四六時中吐き出し続けているのです」


「なるほど、それじゃあ風は毒ガスを弾き飛ばすためなんですね」


「はい。風がやむとこの町は毒ガスにおおわれてしまいます」


「大変だ。早くミュートを呼びに……!」


「ああ、お客さま!」


 け出そうとするがすぐに呼び止められる。


「な、なんですか……?」


「ご安心ください。近頃ちかごろ余程よほどのことがない限り、突然鐘が鳴ることはありません。例えば送風設備が故障でもしない限り、そんなことはありません」


「故障なんていつ起こるか分からないじゃないですか……」


「まぁそうですね。ですから近年では定期的に送風設備のメンテナンスがされています。メンテナンスの際は、数週間前には町長から告知こくちがあり、当日もなぎかねの前に、何度も予鈴予鈴が鳴らされますしね」


「なんだ……よかった……」


 その時突然、後ろから重たいような低い音が一つ聞こえた。

 振り返り耳を向けると、それは店の入口、つまり外から来ていると分かった。

 音は徐々にけたたましく響き始めた。反響を繰り返すその音は、なんだかかねの音に似ているような気がした。

 向き直り宿屋の人の顔をうかがうと、息もまばたきも忘れてしまったかのように固まっていた。


「あ、あの、これは……?」


「……た、たい、へんだ!」

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