そよ風の町 色欲純潔

 これから語るのは、私の旅を大きく変えた、ある少女との出会いだ。 


 私は1人、獣道けものみちを歩いていた。

 日はもう落ち掛けている。これは野宿もやむなしかと思うと、一気に気が滅入る。

 前の町を発ってからもう3日だ。食料の魔石も水の魔石も底を突き掛けていた。このままじゃあ飢え死にだ。

 普通の人間なら狩りをするところだろうが、生憎私は魔石しか口にできない。とんだグルメだなんて心の中で呟いて笑う。


 見通しが甘かった。私の旅はいつもこんな感じだ。

 私は先を急ぎ過ぎる。急ぐ必要があるかも分からないのに。

 剣を杖変わりにして、崖のように急な坂を登る。無骨ぶこつな直剣はあまりいい杖とは言えないけれど、立派に役目を果たしてくれた。いつも杖変わりに使っているから、さやの先は黒ずんでボロボロだ。


「ギャアアー!」


 突然、遠くから悲鳴が聞こえてきた。人の声なのは間違いない。女の声、だろうか……?

 私は声のする方へ向かった。草木をき分けると開けた場所に出た。

 そこでは1人の女と3人の男が対峙たいじしていた。男たちは身なりから察するに野盗か何かのようだ。ナイフ、剣、斧、それぞれ得物を持っている。対する女は丸腰だ。

 野盗の1人が女に一歩踏み出す。


「ギャアアアー!」


 女は野盗に向かって叫んだ。先ほどの声は悲鳴ではなくて、威嚇いかくだったらしい。


「威勢のいいお嬢ちゃんだな。いいか、身ぐるみすべて寄越せとは言わねぇ、金になるものさえ差し出しゃあ乱暴は、」


「ギィー!」


らちが明かねぇ、やっちまおうぜ」


 野盗たちは一斉に女に飛び掛かった。止めに入ろうと私は慌てて駆け出そうとした。しかしその瞬間、女は背負っていたリュックから何かを取り出し、それを自分の足元に投げ付けた。するとたちまち女の周りに煙が広がった。

 なるほど煙幕の魔石か。


「くそっ! 何も見えねぇ!」


「ざまぁみろ! あははは! マヌケェェ! ……あっ!」


 煙の中から何かが地面を転がる音がした。もしかしてあの女転んだのか……?


「やめろ! やめ! どこ触ってんの!」


「このアマー!」


「うるさい! このアマチュア! 放して! 男の人呼ぶからね!」


「はっ! どこにいるよ男なんて」


「あー……、すいません」


 と声を掛けながら私はその騒ぎに近付いていった。

 もう煙はほとんど風に運ばれていた。女は、いや少女と言った方がいいだろうか。少女は野盗の内の2人に組伏くみふせられていた。


「誰だお前は! こいつの連れか何かかぁ?」


「あ、いや、違います。呼ばれたわけでもないです」


「はぁ? ならとっとと失せな!」


「乱暴はやめましょう」


「うるせぇ! なんだぁ俺らの商売にケチつけんのか?」


「そうだ! 失せろ!」


「いや、そういうわけにも……」


「なにか変わりにぃお前が金目のものでもくれんのかぁ?」


「金目のもの? ……うーん。大したものはないですね。お金もほとんど底を突いてるし、この剣もおそらく安物だろうし……」


「は! しけてんな! おい待てよ。その甲冑かっちゅうがあるじゃねえか。それならいくらか金になるだろうさ。おい脱げ。そしたらこのアマは勘弁してやるよ」


「アマ言うなあ! このアマチュア! 素人山賊が! 私が転んでなきゃ絶対逃がしてたよ! 女1人も捕まえられないド素人!」


「あー! うるせぇ! 口塞いどけ!」


「むー! むー!」


「ほら、早く脱ぎな」


「すいません。それはできない相談です」


「おいおい、何言ってんだ。こちとら死活問題なんだ。わかんだろ?」


「それはこっちも同じなんです」


「命の問題なんだぜ?」


「分かってますよ」


「ならいいぜ! やってやる!」


 そう叫ぶと、野盗はナイフを2本構え突進してきた。

 私はさやおさめたままの剣を振り被り、野盗目掛けて投げ付けた。野盗はそれをナイフで受け流す。


「バカが! 得物を捨てるやつがあるか! 死ねえ!」


 野盗は距離を詰めナイフで斬り掛かってきた。私はそれを籠手こてで受ける。


「全身鎧だから安心ってか? これならどうだ!」


 肩に何かが投げ付けられ、次の瞬間には私は地面に転がっていた。


「風の魔石か……!」


「ご名答!」


 野盗はすぐさま私を抑え付け、立ち上がるのを許さなかった。


甲冑かっちゅうも隙間からナイフを刺し込みゃ何の意味もねぇ! ほら! この通り!」


 野盗は甲冑の肩の隙間にナイフを刺し込み、乱暴につかを回した。


「なんだぁ!? まるで手応えが! ねぇ! くばぁ!」


 私は野盗の顔を殴った。怯んだ隙に立ち上がり。そしてすぐさま、ストレート!


「ぐぇ! どうなってやが……?」


 野盗はその場に倒れ、気絶したようだ。


「野郎!」


 残る野盗2人は少女を放すと、こちらに向かってきた。


「なめるなぁ!」


 斧の袈裟切けさぎり。剣の横薙よこなぎ。それぞれ、身を引きかわす。

 拳の打つために間合いを詰めようとするが、がむしゃらな太刀筋たちすじにてこずる。


「どうした! 口ほどにもねぇな!」


雑魚ざこがぁ!」


「2対1で何言ってんだぁ!」


 少女が叫んだ。すると視界の隅で何かが動いた。目を向けると少女が私の剣を背負い上げていた。


「受け取れぇ!」


 少女は倒れ込むようにして剣をぶん投げた。ものすごい勢いで飛んでくるが、狙いは正確で、真っ直ぐに私に向かってくる。何とかそれを受け止める。


「助かった!」


 私は剣を胸の前に構えた。


「おいどうしたぁ! 抜けや!」


「返り血を浴びたくないんでね」


「……んの野郎!」


 相手の剣の突きを、剣で払い上げ、すぐに間合いを詰め、ガラ空きの腹にパンチを打ち込む。剣が地面に落ち、それに野盗が続く。

 横合いから斧が振り下ろされるのを剣で受け止める。重い一撃に両手が痺れる。


「へへ……。鎧を着てようが、当たりゃあ、ただじゃすまないぜ」


「そうらしいね……」


 身を捻りながら落として斧をいなし、そのまま相手の顔に肘打ちを決め、続けて横腹に蹴りを叩き込む。が決まりが浅く、相手は倒れない。

 斧が横に一閃いっせん。しゃがんでそれをかわし、頭すれすれを斧が通る。危ない、危ない。少し遅れてたら、ただじゃ済まなかっただろう。だけどこれは、わざとそうした。このタイミングじゃなきゃ、完璧なアッパーを決められないから!

 歯と歯の鳴る音がし、野盗は仰向けに倒れ、斧が宙に舞う。落ちる先には野盗の頭。このままじゃマズイ! 私は地面を蹴り、駆け出す。斧を何とか受け止めるが、野盗につまずき、私は盛大に転んでしまう。


「痛たた……」


「……大丈夫?」


 目を開けると少女がしゃがんで、私の顔を覗き込んでいた。丸顔で、猫のように大きな目に、薄茶色の瞳。夕日で照らされた金髪が印象的だった。顎の先辺りできれいに切り揃えてあるせいかシルエットは丸くて、金色のリンゴみたいだ。


「……平気だよ」


「立てる? ほら」


 少女の差し出す手に、私はつかまった。


「重! 重た!」


 私はほとんど自力で立ち上がる。少女は私を真っ直ぐに見上げた。


「ありがとう、助かったよ。あんた強いんだね」


「これでも旅人だからね」


「あたしもなんですけど?」


「あーごめん」


「冗談よ。……さて」


 少女はそう言うと、近くで気絶している野盗のところへスタスタと歩いていき、リュックから何かを取り出した。何かの魔石……だろうか?


「それは?」


「爆弾の魔石よ」


「ちょっと!」


「え?」


「何するつもり?」


「なにって……とどめを刺すのよ」


「ダメだよ!」


「なんでよ! こいつらいきなり私を殺そうとしたのよ!」


「記憶違いだよ!」


「あっ! 危ない! 後ろ!」


「えっ!」


 後ろを振り向くが何もない。2人の野盗が伸びているたけだ。


「死ねぇ! このアマチュア!」


「ストップ!」


「何よ、もう!」


「とどめを刺そうとしないで!」


「なんでよ! こいつら他の誰かを襲うかもしれないでしょ?」


「それはそうだけど……。命を奪うのはいけないよ」


「ふーん」


 少女は何故か満足げに笑った。


「な、なに?」


「見た目のわりに優しいんだ」


臆病おくびょうなだけだよ」


「ところであんた、これからどこに行くの?」


「そよ風の町に行きたいんだ」


「そうなんだ、あたしと同じね」


「日が落ちるまでに着けるかな?」


「はぁー? どんなに早くても多分2日は掛かるわよ」


「弱ったな」


「どうしたの?」


「食料がなくてさ」


「それで、よく旅ができるわね……」


「む……」


「まぁ、助けてもらったし、一緒に行こうよ。食料も分けてあげる」


「食料の魔石もあるかな?」


「ん? まぁ少しはね?」


「よかった。助かるよ」


「なら、早く行こう。明るいうちに少しでも進まないと」


 言うが早いか少女はもう歩き始めていた。慌てて追い掛け隣に並ぶ。


「ところであんた、……てか、まぶし! 反射してまぶしいんだけど! こっち側に立たないで!」


 鎧が夕日を反射しているらしい。


「ごめんごめん」


 私は慌てて反対側に回り込んだ。


「それで、どうしたの?」


「ん? ああ。あんたの名前はって聞こうとしたの」


「ああ。なるほどね」


「それで?」


「ん?」


「あんたの名前は?」


「ああ……私は……」


「なによ? まさか名無しとか? 猫じゃあるまいし」


「そのまさかなんだ」


「ニャー! じゃあ、あたしがつけてあげる」


 そう言うと少女はお尻の辺りで指を組んで、目をつむった。

 名無しなんて言ったら、普通は怪訝けげんな顔をするか疑うものだ。順応性じゅんのうせいが高いのか、ノリがいいのか分からないけど、少女の態度は私にはありがたかった。


「……うーん。そうだなぁー。ハラヘリ……ズッコケ……アッパーマン」


「……やっぱり自分で考えようかな」


「嫌なの? ……じゃあ、太陽をやたらと跳ね返すから、サン……サン、じゃあちょっと可愛いすぎ? ……うーん、あんた、デカブツだから、デをくっ付けて、サンデーなんてどう?」


「サンデー」


 妙にしっくりとくるのはどうしてだろう。それは多分、前の候補があまりに酷かったからだろう。


「僕はサンデー」


「あれ? 一人称いちにんしょう変わってない? さっき私って言ってなかった?」


「実は、一人称いちにんしょうも特に決めてなかったんだ」


「そうなんだ。なんで変えたの?」


「なんとなくサンデーなら、僕かなって」


「ふーん。じゃあさ、俺にしたら? その方がカッコいいよ」


「俺かぁ、俺。俺……俺はぁ……」


「……無理しなくていいから。じゃあサンデー、短い間だけど、よろしくね」


「こちらこそ……。えーっと……」


「なに?」


「君の名前は?」


「あたし? あたしはミュート」


「よろしくミュートさん」


「あはは! ミュートでいいよ」


「分かった、よろしくミュート」


 僕の言葉にミュートはニッコリと笑顔を返した。ただそれだけなのに僕はドキッとしてしまった。それが不思議で、そして何だか悔しくて、この時のミュートの顔がずっと忘れられなかった。

 これが僕とミュートの出会い。

 位置を入れ替えたから、ミュートの黄金色こがねいろの髪に太陽が反射してまぶしかった、と記憶してるけど、今考えてみるといくら金髪だからって髪がまぶしく感じるわけなくて、不思議だなって思うんだ。

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