第3話 推しの喧嘩を買う

〜前回までのあらすじ〜

 メリバは甘え、公式は解釈違いという危険思想を胸に秘めたエッジワース家の御令嬢キャスリーンは、推しを守護まもるという一念で出奔した。生来の傾奇者である。まずは原作に沿ってとかそういう思考はなかった。レベルをカンストさせてあらゆる乱数を支配下に置きすべての負けイベを圧倒する。それしか考えていなかった。プロアクション・キャスリーンである。

 かくして征くは、血風吹き荒れる戦場。

 血と汗と涙で剣鋒を磨き上げ、屍山血河を踏み越えた果てに古今無双の戦士と相成ったキャスリーンは、尋常ならざる怪異に命をおびやかされたリュドミラ・エリ・ファールクランツの救出に成功。二人は友情を深めていった。

 怪異の正体を探る中でリュドミラの妹、ロヴィーサが婚約破棄、そして決闘裁判という事件に巻き込まれていることを知る。妹の窮地を救うため、二人はグラン・ラタンの東、聖ソラリス学園に乗り込むことを決めたのだった。















 1


 中原を東西に分かつ、雄大なる大河川グラン・ラタン

 東都に繋がる支流を一隻の連絡船が進む。

 その船室には側仕えに傅かれた二人の少女、キャスリーンとリュドミラの姿があった。


(急なことだったので、あまり良い船が手配できませんでしたわ。ひどい揺れですこと)


 リュドミラが胸の裡でぼやく。

 視線を流すと、キャスリーンは窓際にぴったりと張り付いて、風とともに流れてゆく洋上の景色を眺めている。先ほどまで物珍しそうに船室をうろつき、葡萄酒の瓶を手に取ったり、ソファを撫でたりしていたが、窓際の一席を自分の指定席に定めたようだった。

 当然のように三等船室――最も安価で、もちろん個室ではない――に乗り込もうとしたキャスリーンの腕を引き、リュドミラはこちらの一等船室に乗り込んだ。

 リュドミラとしては、あれこれと不満があった。

 この船自体が古めかしい型で揺れが大きく、一等船室のくせにどこか黴臭い空気がある。それでもキャスリーンにとっては新鮮で、特別な体験だったようで、しばらくはしゃいでいた。

 彼女のはしゃいでいる姿を見ていると、こんな型落ちの船はよして、部屋だって本当に最上級と言えるような一室を案内してあげられたら良かった、と忸怩たる思いでいっぱいになる。

 帰りの船はもっと上等な、最新の型で、船室も一等特別室が備えられているものにしましょう、と静かに決意するリュドミラであった。


「ところでそれ……なんですの?」

「これですか? これはウチワと言いまして、この国で言うところの扇子……扇子とはちょっと違うかな。庶民でも使うんですけど、庶民でも使う扇子といったような」

「いえ、知識としては存じ上げておりましてよ。そうではなくて、その意匠といいますか……」

「意匠、ですか」


 キャスリーンの手元にあるウチワには、片面に丸まった文字で『ロヴィーサ♥』とでかでかと書かれており、もう片面には『指さして♥』とやはり大きな文字があった。


「やっぱりバーンして、が良かったでしょうか」

「何の話ですの?」

「ほら、そこは無いよりはあったほうがファンサ期待できるかなって」

「ふぁんさ……?」

ロヴィーサさん、歌劇部なんですよね?」


 聡明なリュドミラは、キャスリーンの語彙の一つ一つを十分に理解するには至らなかったものの、彼女が何を言わんとしているかはぼんやりと察することができた。


「観客には静粛さが求められますのよ」

「もちろん! でも演目によっては客が手拍子をするような場面もあるそうじゃないですか」

「調査が抜かりないですわ」


 リュドミラはググッと淑女にあるまじき声を喉から漏らす。


「そのときはお見せしますよ。全身全霊のウリャオイってやつをね」

「よくわかりませんけど、禍々しい気配しかしませんわ。どうかおやめになって」

「ええっ、そんな」

「あんまり無茶すると嫌われますわよ」


 キャスリーンは息を呑み、しばし瞑目した。


「少し、考えます」

「考える必要ないですわ。おやめなさい」


 二人は聖ソラリスに向かっていた。

 目的は例の決闘騒ぎを収めることである。

 婚約云々の話は家同士のこと、他家の者が容喙するごとき振る舞いは避けねばならない一方で、家族が決闘に巻き込まれるという差し迫った危機もまた避けねばならない。

 自分の口八丁手八丁で何事もなく取り成せる――とはリュドミラも思っていない。いざとなったら引っ掻き回すだけ引っ掻き回し、ロヴィーサとイルマタルを連れて西に逃げよう、くらいの開き直りがあった。ずいぶん大胆な考え方だが、これは窓辺に座る少女の影響かもしれない。






 2


 みなとに着いてすぐ、馬車に乗り換えて聖ソラリスに向かう。

 学園までは一時間もかからないらしい。

 キャスリーンは小さくなっていく街に目をやり、帰りは少し散策するくらいの時間はあるだろうかと呑気なことを考えていた。


「慌ただしくてすみません」


 キャスリーンの目に何を感じ取ったのか、リュドミラが申し訳なさそうに言う。

 キャスリーンはとんでもないと首を振った。

 聖ソラリスに向かうと決めてからのリュドミラには舌を巻いた。

 その日のうちに馬車や船を手配し、供回りに荷物と、準備の何もかもをあっという間に済ませてしまった。ファールクランツ家の家人の優秀さもさることながら、やはりリュドミラの人を使う手管というのは大層なものだ。腕っぷしばかりの自分ではこうはいかないと、キャスリーンは汗顔の至りである。

 手管といえば、今回の学園訪問自体が、そうだ。

 そもそも聖ソラリスは全寮制の学園である。家族であろうとも、その敷地を跨ぐには相応の理由が必要だし、ましてやキャスリーンは完全な部外者だ。一体どんな魔法で今回の訪問を実現したのか。


「方法はいろいろとございますが」


 とリュドミラ。

 今回は元々彼女に促されていた静養を理由にしたらしい。

 例の《影》の事件の後、リュドミラは家族から、そして学校からもしばらく静養を取るようにと勧められた。一方は純粋に身体面を慮って、もう一方はほとぼりが冷めるまでは、という対外的な理由からである。

 しかしリュドミラはその勧めを澄まし顔で受け流し、週明けには堂々と復帰した。

 家族は心配したが、その傍らにはもしかするとこの中原で一等の戦士かもしれない少女がにこにこと立っているのだから、当の本人に不安はなかった。

 今回、何食わぬ顔で『やはり予後に不調あり』と学校側に申し入れた。そうしてあらためて静養先に東部のファールクランツ家――即ち祖父の邸宅を選び、その行程のひとつとして聖ソラリスの見学をねじ込んだのであった。


 キャスリーンはかえって気が楽だった。自分はただ一対の剣と盾として彼女にはべり、必要なときにそれを振るう単純な暴力であればいいのだ。


「いま物騒なこと考えてらしたでしょ?」

「ハハハ」


 リュドミラは鋭い。






 3


 津街みなとまちの郊外に聖ソラリスはあった。


ひがしじみた佇まいだ)


 とキャスリーンは思う。

 キャスリーンたちの通う学校は、門構えから柱の一本一本まで、どこかきらびやかな印象がある。端々に刻み込まれた彫刻も繊細だ。

 対して聖ソラリスはどこか大味というか、妙にどっしりとした風情がある。

 尚武の気性が、建築にも表れているのだ。

 津からはずいぶん離れているはずなのに、不意に鼻をくすぐる水と土のにおいも相まって、どこか泥臭さを感じる。

 キャスリーン自身はこの泥臭さが嫌いではないが、年頃の少女――リュドミラの従姉妹がこうした雰囲気を厭うのも理解できる。


 客室に案内された後、リュドミラは学園長に挨拶に行くと部屋を出て行ってしまった。キャスリーンを部屋に残したのは彼女のなりの気遣いだろう。慌ただしい行程だったので休憩を、ということだ。

 しかしずっと座った状態でここまで来たので、まるで疲労は感じていない。


(せいぜい、尻が痛いくらいだ)


 そういえばいつだったか尻が痛いということを言ったら、尻、という単語を使うなとリュドミラに叱られたことを思い出した。

 そのときリュドミラは「尻」という単語を使わずに「尻という単語を使うな」とキャスリーンに伝えようとしたので、一種の連想ゲームの様相を呈し、なかなか面白かった。変にぷりぷりしているリュドミラも愛らしかった。

 では尻という言葉を使わないならどうやって尻が痛いということを伝えるのかリュドミラに聞いたところ、そもそも伝えないのだと言われた。


『じゃあ、痛いのはどうするんですか』

『耐えますのよ』


 貴族って大変だなとキャスリーンは思う。


 キャスリーンはリュドミラの足音が遠ざかっていくのを確認すると、早速部屋を飛び出した。

 とはいえ、できることはそう多くない。

 じきにリュドミラも帰ってくるだろうから、ここからあまり離れるわけにもいかない。

 噴水や花壇を眺めたり、その辺の屋根に登ってみたりする程度だったが、座りっぱなしで凝り固まった体をほぐすのには十分だ。

 キャスリーンは客室を出てすぐにある、渡り廊下の屋根の上に寝転がって雲の形を眺めていた。

 それからややあって、リュドミラの帰りが少し遅い気がする、と気になりだした頃。


「御嬢様」


 わずかに屋根の上が軋む。

 側付きの女中が屋根を駆け上がり、キャスリーンの面前で控えたのだ。

 屋根の上である。

 その裾の長い女中服で、よくぞ登ったものだ。

 キャスリーンの旅に陰ながら付いてきていたというこの女中、やはり只者ではない。

 腕っ節の強さではわからないが、軽業については自分より長じるものがありそうだな、とキャスリーンは舌を巻く。

 その素性はわからない。聞いてもはぐらかされてしまう。正式な雇い主というと実家の兄であろうから、そのうちそちらに聞こうと思っている。

 とはいえ、こんな技のある側付きがいるのだ。働いてもらわない手はない。


「リュドミラが何か?」


 学園長に挨拶に行くといって離れたリュドミラに随従させていたのである。


「こちらの学生様と少し。可愛らしいものですが」


 キャスリーンは飛び跳ねると、すぐに女中の示す方に向かった。

 キャスリーンは屋根を渡って進める範囲は例によってましろの如く跳ね回って進み、それが難しくなってからは地上に降りて走った。

 次第に人影が増えていったが、キャスリーンは構うことなく駆けた。

 貴族の学校だ。廊下を走る者など一人もいない。

 聖ソラリスの制服も着ず、風のように駆けるキャスリーンは大層目を引いたが、彼女は一顧だにしなかった。


「ン」


 遠く、視界にリュドミラが映った。

 背中に女生徒をかばっているように見える。聖ソラリスの制服だ。

 そして、数人の女生徒に囲まれている。こちらも聖ソラリスの制服だ。

 口論しているように見える。いや、激しているのはリュドミラを囲んでいる少女たちだけで、リュドミラは冷然とした瞳で彼女たちを射抜いている。

 そんなリュドミラの態度が気に入らなかったのか、対峙した女生徒の一人が左手の白い手袋を脱ごうとして、右手の指先を添えたのが見えた。


「ンン……?」


 どうする。

 どういう状況だ。

 わからん。

 わからんがしかし、喧嘩なら私が買っておくか。


 キャスリーンは滑り込むように鉄火場へ飛び込むと、少女から投げ放たれた手袋を掴み取った。

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