第1話 流民街のドロテア(中編)

 3


 寄宿学校から王都まで。

 朝に馬車で発てば、その晩、市門が閉じる前には着く距離だ。

 くだんの話をした二日後の朝にはキャスリーンとリュドミラは王都を目指していた。


 四頭立ての馬車、二輌でゆく道行きである。

 これでも荷物は少ない。

 二人とも城下に上屋敷、つまり所領を有す貴族が城下で過ごす際の別邸を持っているから、身の回りのものを除いてはほとんどない。

 もっともこの、ほとんどない、というのは貴族の子女から見た、ほとんどない、である。

 リュドミラのほうは、キャスリーンに遠慮して相当に荷物を切り詰めており、これで大丈夫かしらと不安そうにしていたし、キャスリーンはキャスリーンで、自分の荷物の多さに閉口している。

 というのも、キャスリーンは尋常の如く着の身着のままで王都に向かうつもりだったのだが、これをリュドミラに咎められた。そして普段、キャスリーンの、つまり一人で馬を駆りどこにでも出かけてしまうだとか、旅の空での荷を減らすために二日三日は平気で同じ服を着ているだとか、そうしたことを苦々しく思っていた彼女の女中たちは、喜々としてリュドミラの諫言に便乗し、あっという間に準備を整えてしまった。

 そういった具合なので、キャスリーンは自分の荷物に何が入っているのか、知らない。


 調査にはまず三日という期間を設けた。

 移動を含めると五日間の行程になる。

 その期間、学校を開けることに問題はないのかという質問にリュドミラは、


「ございません」


 ということであった。

 そんなものか、とキャスリーンは思ったが、のちにリュドミラの女中らが耳打ちしてくれた。

 不在時も授業は平常通り行われるし、冠婚葬祭に類する特段の事情がなければ教員も良い顔はしないと。場合によっては進級や卒業にも影響がある。

 その諸々を踏まえたうえで問題は、


「ございません」


 ということであった。

 キャスリーンはそれを聞いてからリュドミラに、


「リュドミラは試験で満点以外を取ったことが無さそうですね」


 と冗談めかして言うと、リュドミラは、


「そういえばそうですわね」


 と、どうでもよさそうに言った。






 4


 流民街に行くというリュドミラを真っ青な顔で引き留めていた女中たちであったが、最終的には折れることになった。

 道中キャスリーンが随行し、流民街でも付きっ切りになるという。

 キャスリーンの腕っぷしの強さは疑うべくもなく、護衛としてはこれ以上の人選はないと言えるかもしれないし、ファールクランツの家からも、命の恩人であるところのキャスリーン嬢には格別の配慮をせよと言いつかっていたものの、「それはそういうことではないだろう」と女中たちは涙目だ。


「何かあってもあなたたちには塁が及ばないようにいたします。

 安心なさい」


 リュドミラの女中たちはこの言に顔を見合わせ、そのうちの一人が進み出た。


「それは大変ありがたい話です……」


 ですけども、と続ける。


、私たちは気が気でなかったですよ。

 キャスリーン様がいらっしゃる前に騎士様がたが来なすっていたら、それで、悪いことになったら、死んだってそれを止めるんだって、みんな鍋やら包丁やら、握ってました。

 あたしだって、この中じゃ一等足が速いから、あのバリスタとかってやつを止めようって、でっかい塔を駆け登ったんです。

 ねえリューダ様、あたしらはもうあんなのは嫌ですよお」


 リュドミラは女中の言葉をじっと聞いていた。

 返す言葉を探すように赤いくちびるを開きかけ、そして言葉に窮したのか、また閉ざす。

 これを二、三度繰り返し、そうして結局何も言わず、一歩進み出て女中の手を取り、両の掌で包み込むようにした。

 がさがさした手だった。

 あかぎれだらけの、雑役女中らしい手だ。

 リュドミラはしばらくの間、そのままでいた。






 5


 結果として、午後三ツの鐘とともに上屋敷に戻ることを条件にリュドミラは流民街に足を踏み入れることになった。

 やはり男性の護衛をつけるべきという話も出た。

 キャスリーンの技を疑うわけではないが、やはり女性だけで行動することを不安視するというのは、常識的な感覚である。とはいえ、氏素性の知れぬ男と行動をともにするということのほうが余程問題である、ということもある。

 そもそもとしてこのような調査は家を頼るべきではという話も当然挙がったが、あの父であればリュドミラが想像できるようなことはとうに行っているはずだ。


「そうでしたわね」


 そのことに思い至らなかった。

 既にファールクランツ家の者が流民街に紛れ込んでいるかもしれない。

 リュドミラは相応の変装をすることになった。


「なんだかんだで、楽しそうで良かったですね」

「頭が痛いですわ」


 女中たちは当然、自らも変装のうえリュドミラの供回りを務めると決め込んでいたが、これはキャスリーンに遠慮するようにと申し入れられた。

 有事の際、守るべき人数が増えるのは困るし、何より目立つというもっともな理由だ。

 そうは言っても、供回りの一人も連れずに主人を歩かせるなど、受け入れがたい。

 キャスリーンは自分が旅の空では基本的に一人が多かったことを告げようとしたが、藪を突く羽目になると察してよした。


「ともかく駄目です」


 キャスリーンは笑っていたが、それは有無を言わさぬ笑みというやつだった。


 そういうわけで午後三ツまでは女中たちも自由行動ということになる。

 もちろん上屋敷での務めもあるが、半日がかりの仕事ではない。

 花の王都での自由行動。

 リュドミラからは、無茶に付き合わせた詫びとして幾ばくかの駄賃ももらっている。

 これで心躍らぬわけもない。


「あの娘たち、都会慣れしてないんですのよ。

 私より余程心配ですわ」

「まあまあ。

 念のため護衛――に類する者をつけましたし」

「あら」


 リュドミラは初耳だった。


「ええ。

 たまたま実家の者が居合わせていまして。

 相当に遣えます。

 滅多なことにはならないかと」

「それはそれは、痛み入ります。

 さすがは北の穴守り、この手の人材には事欠きませんのね」


 エッジワースは中原の最北端に領地を有する武門の一派、いわゆる北方諸族の一つである。

 武門といっても、人間を相手取る戦争で名をあげたのではない。

 峻険な北方の山麓、その谷底深くの大穴から這い出る魔物たちを打ち払って中原を鎮護し、天下の安寧に古くより献じてきたのだ。

 冬季は雪深く、生きるのにも厳しい環境にありながら、魔を相手取って一歩も退かぬその在り方から、東部の武辺者たちは畏敬を込めて北方諸族を〝穴守り〞と呼んでいた。


「ただの田舎者です」


 キャスリーンは笑う。

 事実ではある。

 王都寄りの人々は、辺境に住まう戦士たち、北方諸族なる集団が存在することは何となしに知っているだろうけれど、その家々までを知りはしない。

 都市に暮らし、天翔ける竜や、人を丸呑みにする蛇、馬の倍ほどもある四つ足のけだものなどに会うことなく一生を終える者がほとんどだろう。

 そしてキャスリーンは、それでよい、それがよい、と思っていた。

 リュドミラはそんなキャスリーンの態度にいささか不満そうではあったが、その朴訥とした佇まいもまた北部らしさと理解していたため、何か言うことはなかった。






 6


 流民街の光景に、リュドミラは絶句していた。

 想像よりもはるかに――美しかったのである。

 道端にはごみが積み上げられ、胡乱な目をした浮浪者が闊歩し、壁には血痕が浮いている。

 そんな貧民窟を想像していたが、実態は違う。

 街路は舗装こそされていないものの、人が往来できる程度には整えられていたし、人々の身なりは清潔とは言えないが、しかし足取りはしっかりとしている。

 陰鬱な空気に澱んでいるかと思いきや、点在する露店の主たちが出す声で一帯には賑わいがあった。


「普通でしょう」

「そう……ですわね」


 キャスリーンが微笑む。


「ただ、リュドミラが想像していたような場所もあります。ここは玄関ですから。

 油断はしないで。全員、懐に白刃を忍ばせていると思ってくださいね」

「はい」


 この少女は何者なのだろう、ともう何度繰り返したかわからないことを、またも思いつつ、リュドミラは素直にうなずき、目深にかぶったつばの広い帽子をかぶり直した。


「それでその――ドロテア何某という方でしたか」

「はい」


 既に聞き込みを始めていたキャスリーンが得た情報は、自称呪い師であれば、石を投げれば当たるほどにいるということ。そして信用のおける人物を探すのであれば、ドロテアなる人物にまずは当たってみるべきということだった。

 何やら回り道をしているが、これだけのことを知るにも相当の労苦が必要だった。


「部外者ですからね。仕方ないことです」

「キャスリーン様。その……」


 おずおずとリュドミラが窺うような視線を送る。


「差し出口ですが、物の本によれば、こういうときはその、銀貨なりを渡して話を聞いたりするのではなくって?」

「銀貨」


 キャスリーンは思わず声をあげて笑いそうになったが、リュドミラを慮ってこらえる。

 何かの物語で読んだのだろうか。


「受け取りませんよ。

 怖がらせるので、やめましょう」

「怖がらせる?」

「そこらの子供に銀貨を握らせたとしましょう。

 まわりが見ていますよね。

 すると明日の朝には河原で子供の死体がひとつ見つかることになる。

 子供は自分がそうなるとわかっています」


 リュドミラはまたしても絶句する。


「なので握らせるならば銅貨かビタ銭でしょうか。

 でもそれもやめておきます」

「それはどうして?」

「そうですね……。

 この街が通り過ぎるだけの街なら、それでもいいんでしょうけど」


 キャスリーンの曖昧な答えに、リュドミラは押し黙った。それ以上は答える気がないという空気を察知したからだ。


「差し当たりのあてはあるので、行きましょう」

「そうなんですの?」


 ずんずんと歩くキャスリーンにリュドミラは何とかついていく。

 何事にも機敏なリュドミラは、この歩みの速さが流民街に溶け込みやすい速さであることにすぐ気づいた。それから、普段キャスリーンが、自分の歩く速さ、歩幅にぴったりと合わせてくれているということを。


「ええ。娼婦です」

「はっ?」

「当たれていないのが、あとはそこなんですよ。

 私もさすがに色街には行けませんので。

 ですからこの時間、つまり色街のまわり、朝寝に入る前の娼婦に当たろうかと」


 目を白黒させるリュドミラをの腕を引っ張るようにして、キャスリーンはのしのし歩いていった。

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