第2章 決闘令嬢

第1話 流民街のドロテア(前編)

 1


 寄宿学校――昼下がりの中庭。

 二人の少女が椅子に掛けていた。

 日傘の立てられた白いテーブルと、整然と配置されたティーセット。

 周囲には女中。傅くように控えている。

 わずかに目を伏せ、音もなくお茶を含む黒髪の少女が、リュドミラ・エリ・ファールクランツ。

 その完璧な所作をじっと見つめながら、口元に微笑みを湛えている金髪の少女が、キャスリーン・エッジワース。


「従妹殿からの相談事ですか」

「ええ。詳しくは上屋敷で、とのことでしが」


 話題は他愛のないもの。

 授業のことや、身の回りのこと。あるいは差し障りのない家族のこと。

 リュドミラは少しずつ日常を取り戻し、キャスリーンはその日常に加わりつつある。

 キャスリーンの復学についてだが、それそのものは既に叶ったといっていい。今は何回生として在籍することになるかが検討されていた。


「冷めないうちに」

「うん」


 キャスリーンもティーカップを手に取る。

 思わず音を立てて啜りそうになり、慌てて止めた。長い旅暮らしの癖が抜けていない。

 ちらり、と自分を見るリュドミラの視線。


(ばれている)


 キャスリーンは笑って誤魔化した。


「もう」

「いや失敬」


 武張った連中とばかりやり合う日々においては、得てして品の無い振る舞いこそが好まれたものだ。しかしリュドミラの側に侍る限りにおいては、それも正さねばなるまい。


「まったく。礼法の課程カリキュラムはございませんのよ」


 とはいえ実のところ、こうしたキャスリーンの所作に、リュドミラは悪感情を抱いているわけではない。どこか野生的な美しさを持つキャスリーンが、祖にして野だが卑ではない――そういう仕草をする様子はまったく堂に入っていて、油断をすれば溜め息でも漏らしてしまいそうなほどだった。

 だがそれでは彼女のためにはなるまいと、心を鬼にして姑のような対応をしているのである。


「キャスリーンは東のご出身でしたわね」

「ええ。北部の田舎者ですが。

 よくご存知ですね?」


 一連の騒動ののち、リュドミラはエッジワース家について一通り調べた。

 これはマナーの範疇である。

 貴族同士は普通、面と向かって出自を訊ねたりはしない。失礼に当たる。


「私の生家は西側ですけれど、ファールクランツの本家は東にございまして」


 彼女たちが暮らす中原、これを南北に縦断する大河川、グラン・ラタン。

 この河を境に、人々は中原を東西に分けた。


「先の東夷征伐でお祖父様が活躍されて、天領だった西側の土地を少しばかり頂戴しましたのよ。

 もともと持っていた荘園と合わせて、家を分けるには十分というのと、父の登城の都合上、王都寄りの西側が住み良いと移り住んだのだそうです」


 グランラタンにはいくつもの支流があるが、西側に向かって伸びる支流を取り巻くように築き上げられた大都市群を、人々は王都と呼ぶ。

 王城を擁するこの王都、正しくは、母なるラタンの名を冠する水の都、エルデ・ラタンという。


「件の従妹は東の本家に残ったほう……父の弟、つまり叔父の娘にあたる方なのですが」

「叔父? リュドミラのお父上は御長男で?」


 率直な質問に、リュドミラは肩をすくめた。


「そう。変わり者なんですのよ、うちの父。本家の跡取りのくせして、分家を興すような真似をして。

 お祖父様方も東じみた方ばかりで、かえって誉められたそうですわ」


 東側は東夷の侵略、北部の魔物という二つの脅威に常に晒されている。ゆえに武を尊ぶ、豪放な気質があった。

 また西側の貴族といえば荘園領主が大半だが、東側は直営地化した土地持ちの地主貴族が多い。そこで私兵団を組織し、国境線の維持に努めている。


「従妹は東側の学校に通っているのですけど、何と申しますか、西への憧れが強くて」


 王都は中原における文化の中心地でもある。

 大ラタンによって分断された東は、やはり西に比べて遅れている、という向きがあることは否めない。また東らしい尚武の気質は、十代の少女にとっては馴染みづらい――有り体に言って田舎臭い、と評されるものでもあった。


「何かと理由をつけて、王都に来たがるんですのよ。私はそのたびに付き合わされていまして」

「ほう……」


 その組み合わせは何か非常に目の保養に良いような気がする。そんな予感がしたキャスリーンは瞳を輝かせた。


「また何か益体も無い相談事のような気がしますが……」


 リュドミラは肩をすくめた。






 2


「ところで、そのお召し物ですけれど」

「ああ、これですか」


 キャスリーンが履いていたのは、乗馬服のようなタイトなシルエットのパンツに、やはり体のラインがよく映えるようにあつらえられたジャケットだった。

 寄宿学校では昨今の時流に乗ってか、制服の着用が推奨されている。

 向学心や帰属意識の向上が目的とされていたが、経済的な格差を緩和するためというのがもっぱら真の理由として噂されていた。古豪と目された伯爵家が武士の商法で火の車になり、あるいは豪商が金貨を積み上げて爵位をあがなう時代である。


「昨日は野暮用で王都まちにおりまして。今朝方帰ってきたところでした」

「まあ。そうだったんですのね。お疲れのところすみません」

「いえ。街道を馬車でちょっと進むだけ。

 小鬼も野盗も出ない、散歩のようなものです」

「ちょっと何をおっしゃっているかわかりかねますが、何事もなかったのは幸いです。旅神アポロンの祝福があってようございました」


 リュドミラは白い指先をカップに伸ばす。

 つまむようにして把手を持つ。

 お茶を一口ばかり含む。

 静かに嚥下する。

 カップを音もなくテーブルに置く。

 伏し目がちにしていた視線を起こす。

 キャスリーンの瞳をじっと見つめる。

 それからたずねた。


「用事というのは」


 キャスリーンはにこにこと笑うだけだ。


「わたくしのことですか」


 口火を切ったリュドミラに、キャスリーンは少し困った顔をする。


「あの『影』のことでしょう」


 ええまあ、とキャスリーンがあごを撫でる。


「わたくしのことではないですか」

「いえ。私とリュドミラのことです」


 ずるい。

 この女はすぐにこういうことを言う。


魔女団おかみは動いてくれているようですけど、座して待つのは性に合いませんから」

「ですけど王都の――大学ですとか、研究院というのは、大抵は魔女様方の息がかかっているのではなくって?」

「ええ。しかしあの『影』からは、どこか呪いのような印象を受けました」


 呪い。

 そんなものをかけられるような恨みを、どこかで買っただろうか。

 いぶかしむリュドミラにキャスリーンは苦笑する。


「素人の勘ですので、お気になさらず。

 とはいえ、蛇の道は蛇――当たってみるとしたらまじない師というやつかな、と。

 それで今は流民街を回っているところです」

「るっ……あなた、とんでもないことしますのね」


 流民街とはその名の通り、戦災や飢饉で家や職を失った国内外の者たちが寄り集まって形成された区画だ。

 区画といっても、公式にそういうものが存在するわけではない。

 王都に足を踏み入れることが許されなかった者、王都の中で生きることが難しくなった者、そうした国に拒まれた者たちが外壁に沿うように集落を築き上げ、それが何百年という時を経てひとつの街のごとく肥大化したものである。

 王都はこれを容認していない。しかし積極的な排除もしない。ゆえに棄民区とも呼ばれていた。


「ついこの間まで風来坊だった私からすると、流民街のほうが落ち着くくらいですけどね。

 学校ここ王都まちも、どうも綺麗すぎる」


 どこ吹く風のキャスリーン。

 リュドミラはじっと考え、それから口を開いた。


「キャスリーン、わたくしも」

「駄目です」

「では一人でもゆきます」

「あのね……」

「ふたりのことだとおっしゃったのはキャスリーンではございませんか」

「適材適所というものがあるでしょう。表向きのこと、内向きのこと……」

「それこそ魔女様方がとうに調べてらっしゃるわ」


 リュドミラが身を乗り出す。


「わたくしだって、知りたいんですのよ。

 あの影が何だったのか?

 わたくしに取り憑いたことに理由があったのか?

 一体どうして、この命が失われようとしたのか。

 一体どうして、この躬が誰かを殺めかけたのか」


 努めて考えまい、としていることでもあった。

 忘れよと、心ある人たちはみな口々に言う。

 それができたら苦労はしない。

 だから、どこかで整理をつけなければならない。

 そしてそのために真実が知れるのであれば、リュドミラ・エリ・ファールクランツはきっとそのための労を惜しまない。そういう少女だ。


「何もかもあなたに手を引いてもらって恥ずかしいばかりですけれど、でも……」


 その言葉を聞きながら、キャスリーンは考えを巡らせた。

 流民街に危険がないとは言えない。

 おそろしいと思う。

 わからない、という意味でだ。

 獣が出るとか、竜が出るとか、具体的な『こわさ』がわかっているのならば、むしろよい。キャスリーンには打つ手がある。

 自分が付きっ切りであれば、滅多なことは起きないのではないか。そういう自惚れがなくもない。しかしここで一線を引かなければ、リュドミラは今後も躊躇なく虎口に足を踏み入れるだろう。

 彼女が虎の尾を踏んだとき、自分は側にいることができるだろうか。


「キャスリーン」

「わかりました」


 いや、いねばなるまい。

 そのためのこれまでだった。

 この人に強く揺さぶられる何かを感じて、剣を取ったのだ。


「私のいないところで危ないことをされるよりはよっぽどだ。一緒に行きましょうか」

「キャスリーン!」


 青褪めた顔をしているリュドミラの女中たちを置いてけぼりにしながらも、そういうことになった。

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