第4話 魔物


 彼が紺色の髪を揺らして、中空へと跳躍する。


 助走といった予備動作無しで、信号機くらいの高さまで飛び上がった。コンの進行方向の先に、軽自動車くらい大きな陰が迫ってくる。


 羽根を持つ巻貝というのが、ハクトの持った印象だった。


 シルエットだけでいうと、クリスマスによく見る羽根の生えた鈴のようだった。ただよく観察すると、底が大きな口となっていて、鋭い牙も剥き出しになっていた。


 牙がコンの方を向いていたが、そんな事なんて意に介さないようだった。


 空中でしなるように腰を捻った彼は、回転させた足に火を纏った。


 第二次大戦中に西洋の国にあった推進式の陸上地雷みたく、炎の輪っかと化していた。


 瞬く間に火の円は魔物の傍に近づいて、気が付けばコンの踵が鋭い牙をへし折っていた。


 断末魔が聴こえると思い、ハクトは耳を塞いだが無意味だった。


 もう片方の足で蹴り飛ばされた巻貝は、大きな砂煙を立てて地面へと落下。何事も無かったかのように、そのまま紺色の髪の少年は着地した。


 二人が砂煙を睨んでいると、晴れる前に大きな陰が飛び出してきた。


 大貝の姿が見えた瞬間、コンが右片翼へとしがみついた。


 ハクトの前を通り過ぎ、再び飛び上がろうとする魔物。そうはさせるかと言わんばかりに、翼にしがみついていた少年は大貝を両足で蹴り飛ばす。


 カーテンみたいに大きな布が裂ける音と共に、魔物に生えていた羽根は引きちぎられた。


 バランスを崩した大貝が、重力に吸い込まれるかのように落下を始める。両手で大きな翼を抱えたまま、コンは蹴り飛ばすように魔物から飛び上がる。再び上がった砂煙の前に、大翼を持った少年が着地した。


「さて、お膳立てはこんなもんか……」


 翼を地面に投げ捨てて、それを踏みつけにする。何の感情も無い目を向けて、コンが砂煙に人差し指を立てた。


「……あれなら、お前でも勝てるだろう」


 次はそっちの番だと言わんばかりだったので、ハクトは耳を疑った。


「ぼ、僕も戦うの?」


 その裏返った声を無視して、コンは踵を返す。何処に行くのかと見ていると、小高い岩の上に腰掛けてしまった。まるで今から、ハクトの戦いぶりを観戦するかのようだった。


 当然ながら、ハクトは困惑した。


 ただでさえ今、訳の分からない状態なのに。戦いに参加させられるとは、思ってもいなかった。


 記憶が無いから分からないが、恐らく今まで喧嘩なんてした経験なんて無いと感じる。体つきからして、運動が得意そうな少年に見えなかったのだ。


 二階から飛び降りた時に怪我が無かったのを見るに、普通の人間よりかは少し頑丈かもしれないと考える。それでもコンのような動きが出来るなんて、微塵も思わなかった。


 そうこうしている間に砂煙が晴れ、大きな巻貝の全身が露わになった。


 文字通り牙は折れ、羽根も片翼しか無いが、戦意は喪失していない様子だった。目のようなものは何処にも無いが、ハクトを捉えたような動きだった。


 そして、魔物が動いた。貝の周囲の棘を目の前の少年に向け、勢いよく突進を始めた。


 大きな図体の割には動きは速く、軽自動車という比喩は強ち間違ってない。驚いたハクトは、思わず右に飛び上がるように回避を試みる。


 ハクトは視界が高くなったのに気が付いた。自分の足の下で、大貝が進んでいる光景が見える。


 ここで少年は初めて、自分が跳躍しているのに気が付いた。先程のコン程では無いにしろ、魔物の体当たりを避けれる程度は高く飛べるのに驚きを隠せなかった。


 記憶喪失のせいもあってか、この時ハクトは自分でも気づいていなかった。


 本人が思う以上に、好奇心旺盛な人間であることを。


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