人工意識は恋の夢を見るか?

あろん

人工意識は恋の夢を見るか?

 外していた装身端末ウェアラブル・デバイスを首筋につけると、ニコラは倒れるようにベッドに飛び込んだ。

「どうしました? 元気がないようですが」

 テスラが骨伝導を通じてニコラに話しかけてくる。その口調はニコラのことを案じて聞こえた。

「ちょっとね……」

 元気のない返事をニコラはもらした。ついさっきの出来事が脳裏を過ぎる。

 ずっと前から好きだった男子に、今日ニコラは想いを告げた。だが彼には別に好きな人がおり、付き合うことはできないとフラれてしまったのだ。あまりのショックに、どうやって学校から帰ってきたかすら覚えていなかった。気づけば家に着いていて、そしてベッドに倒れ込んでいた。

「彼、ですか」記憶を読まずともテスラには分かった。彼はニコラ以上に彼女自身のことを知っている。「想いを告げたのですね?」

「……うん」

「結果は?」

「……」

 ニコラは枕に顔をうずめ、黙り込んだ。

「フラれましたか」

 改めて言う必要のないことをテスラはわざわざ口にした。

 ニコラは彼を無視して、別のことに考えを巡らせようとする――が、考えないようにすればするほど、頭のなかはフラれたという事実に占められていた。

 今更ながら、フラれたのだということをニコラは実感する。わたしはフラれた。わたしの恋は、終わったんだ。

 胸が苦しくなった。知らず知らず涙があふれた。やり場のない気持ちが膨らみ続けた。息が苦しい。窒息してしまいそう。

 ニコラはベッドのうえでバタバタと暴れ、枕に顔をうずめて叫んだ。この気持ちを、何にでもいいからぶつけたかった。

「胸が苦しいのですね」

 テスラが唐突に言った。ニコラは何もかもを止め、体内に響く自らの鼓動を耳にする。

「なんで、分かるの?」

 ニコラは荒く息をしながら訊いた。テスラはニコラの疑問に真摯に答える。

「感愛細胞の死を確認しました」

「かんあいさいぼう?」

 ニコラは訊いた。今はどうでもいいことを聞いていたい気分だった。

「感愛細胞は2037年にマクダンカル博士が発表したものです。かつて魂の重量を計測しようとしたマクドゥーガル博士の実験にならい、全身スキャンを用いて失恋前後の重量変化を計測することで発見されました。さらに今では重量分布の解析により、感愛細胞は胸部に存在する特殊な細胞群であることも明らかにされています。

 感愛細胞が他の細胞と異なり特殊である点は、愛情や恋心というに反応してテロメアーゼを産生することです。これによりテロメア伸長が行われるため、感愛細胞はいわゆる不老不死に近い状態になると言われます。しかしそれは愛や恋がある限りであり、その気持ちが失われてしまえば、感愛細胞は細胞死を迎えてしまいます。

 細胞死には三種類の死に方があると考えられています。細胞の自然死アポトーシス細胞の事故死ネクローシス、そして計画プログラムされた事故的細胞死ネクローシスであるネクロトーシス。

 感愛細胞は愛や恋に反応して存在する細胞であるため、その気持ちが時間経過などにより失われてしまうとテロメアーゼの産生が止まってしまい、テロメア伸長が行われなくなることで自然消滅アポトーシスを迎えます。

 しかし一方で失恋などの突発的な出来事により愛や恋といった気持ちの継続が不可能となった場合、感愛細胞は自ら細胞死することを選び、計画された細胞死ネクロトーシスを迎えて細胞内容物をまき散らすことになるため、周囲の細胞に悪影響を及ぼしてしまいます。これが失恋によって胸が苦しくなる原因と言われています」

「そーなんだ」

 ニコラは話を半分も聞いていなかった。しかしテスラは分かっていても気にはしない。

「しかし、まさかフラれるとは思いませんでした。平均4gと言われる感愛細胞が、ニコラは6gもあったというのに」

「量じゃないんだよ」

「ですが感愛細胞の存在が確認されて以来、愛や恋は定量的に認識されています」

 昔はどのくらい好きかを手を広げて表したりすることがあったそうだけど、今では感愛細胞の重さにより愛情は定量的に示される。おかげで数値に不満というだけで別れるケースまで存在するほどだ。

「テスラには分からないよ。エージェントなんだから」

 ニコラの言葉はテスラを冷たく突きはなす。

 そう、テスラはただのエージェントAI。人工知能を搭載した人工意識であり、人々のクオリティ・オブ・ライフ向上の手伝いをするために使用者個々人に合わせて特別に調節された機械的存在にすぎない。

「……私にだって、分かります」

「なにが?」

「愛や恋です」

「はあ?」ニコラはベッドから起き上がり、声を荒らげた。「笑わせないで。エージェントのくせに人間の真似ごと?」

「いいえ私は――」

 テスラの言葉をニコラは遮った。

「ただの人工意識が、なにが愛よ、なにが恋よ! どっかのエージェントに恋したとか言い出すわけ? だから恋が分かるとでも?

 愛の存在証明は感愛細胞だって言ったのはテスラでしょう! 肉体のないテスラには絶対に分かるわけがないのよ!」

 ニコラの怒声が室内に響き渡った。荒く吐きだされる呼吸が、寂しく静けさに呑み込まれていった。

 心拍数などから落ち着きはじめたことを察して、沈黙していたテスラが告げる。

「私はニコラのことが好きですよ」

 その言葉に毒気を抜かれ、ニコラはつい笑ってしまった。

「なにそれ。もしかして慰めのつもり?」

「私はニコラのエージェントですから」

 そう告げたテスラの思考領域内には、実は戸惑いが満ち溢れていた。

 原因不明の苦しみが、どこからともなく湧き起こりつづけていたからだ。

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