宇宙を飛ぶ鳥

マイルドな味わい

宇宙を飛ぶ鳥

 20XX年。

 大気圏を飛び越えた宇宙空間でとある生命体が発見された。

 それが地球の軌道上を飛び回っていたところを、観測衛星が発見したらしい。

 最初は火星生まれの地球外生命体だとか、宇宙人が創りだした生物型の偵察機だとか、様々な憶測が飛び交っていた。

 ワイドショーのコメンテーターには天文学者や生物学者、果てはオカルト雑誌の編集長などが集結し、連日熱い議論が交わされていた。

 人々は人類初となる地球外生命体との邂逅に胸を躍らせた。

 時間が経つにつれて徐々にその正体が明らかになっていったのだが、どうやらみなが期待する展開とは少し違ったらしい。

 NASAの発表によると、どうやらその生物は地球由来だったようだ。

 定義上は地球外生命体とは言えなくなった。

 だが、人々の関心は尽きなかった。

 何せ人類史上例を見ない、自力で地球から宇宙に飛び立った生命体なのだ。



 その生物は鳥のかたちをしていた。

 大きさは手のひらに乗るくらいで、羽は鮮やかな黄色。

 くちばしは猫の爪のようにくりんと内側に巻いている。

 首元の黒い斑点はハートマークになっていて非常に可愛らしい。

 ぼくたち家族はそいつを『クー』と呼んでいた。

 名前の由来は、まあ、そのままクークー鳴いていたという面白味のないものだ。



 ぼくは冬にまた一歩近づいた寒空を見上げる。

 クーはいまも、宇宙を飛び回っているのだろうか。

 最近の日課である早朝ランニング中、そんなことを考えた。

 クーのことを考えると、ぼくは居ても立っても居られなくなる。

 臓腑から熱がこみ上げてくるようで気分が高揚する。

 まともに言葉も覚えられないおバカな個体だったけど、それでも、星が降ったあの日に見せたクーの飛ぶ姿が、いまでも忘れられなかった。

 宇宙を飛ぶその鳥に思いを馳せながら、ぼくはスニーカーでアスファルトを踏みしめる。



 昨今テレビやネットニュースを騒がせている宇宙鳥は、以前ウチで飼っていたセキセイインコだった。



     *



 『クー』は、ぼくが10歳の誕生日に買ってもらったペットだ。

 兄弟のいないぼくは前々から、かしこく人の言葉を覚えるセキセイインコに強く惹かれていた。

 話し相手が欲しかったのだ。

 よく考えれば人の言った言葉をオウム返しするだけで、別に会話が成り立つとかそういうんじゃないんだけど、とにかく、その時のぼくにとっては喋る動物というのが魅力的に映った。

 だが、クーが我が家にやってきて一年が経った頃、それは発覚した。

 クーは言葉を覚えるのが下手くそだった。

 ペットショップの店員さんには「言葉の習得には個体差があるよ」と説明されていたが、まさかうちクーが……とショックを受けたものだ。

 そんなクーでも覚えられたのが、「オハヨウ」と「オヤスミ」と、それから


「アイビキ肉250グラム、タマネギ二分ノ一個。パン粉大サジ5――」


 ……ハンバーグの材料一覧だった。

 キッチンでハンバーグを作っていた母の独り言を覚えてしまったのだ。母はめんどくさがりで、テレビ番組でやっていたレシピを見ても、それをメモしたりせずにブツブツと呟いて暗記しようとしていたのが原因だった。


 ぼくはそれが嫌で必死に別の言葉を覚えさせようとした。できることなら、もっとアニメの主人公が必殺技を出す時の掛け声とかを覚えてほしかった。

 だけど上手くいかなかった。

 クーは気まぐれにハンバーグの材料を叫んで、ぼくをビミョーな気持ちにさせる。


 それでもぼくはクーを可愛がった。

 止まり木の上でぴょこぴょこと跳ねる姿は愛らしいし、エサを食んでいるところは見ていて癒される。クーから発せられる独特な香ばしい匂いも、ぼくは好きだった。

 当初の目的だった話し相手という点においては至らないものの、一匹のペットとして愛情を注いできたつもりだ。



     *



 その時のぼくは、才能の壁とか、将来に対する不安とか、もう陸上部を辞めた方がいいんじゃないかとか、そういう中学生らしいありきたりな悩みに直面していて、結構ナーバスになっていた。

 だからこそ、普段は全く信じていないオカルティックな話題も耳聡く胸の内にしまっていたのだろう。

 その日はオリオン座流星群が降る日だった。

 天気は快晴。夜空を見上げても雲が浮かんでいる様子はなく、加えてぼくの部屋は東に向いていた。観測するには絶好のチャンス。

「星に願いを」なんていかにもステレオタイプでバカバカしいとは思うが、それでもすがらずにはいられなかったのだ。



 窓を開けると涼しい秋風が吹き込んできて、風呂上がりの火照った身体に心地よかった。

 流れ星を見るべく窓際に椅子を持ってきて待機していると、自室に設置していたケージからガシャガシャ音がする。


「どうしたクー? おまえも星、見たいのか?」


 ぼくが問いかけると、クーはクキキキキ……と低い声を出した。

 意図は全くわからないが、自分も見たいということなのだろうか。

 ぼくはケージのカバーに隙間をつくって、クーにも窓の外を見せてやった。


「クーも何かお願いとかしたら?」

 ぼくが言うとクーは、


「タマネギ二分ノ一個!」

 ご丁寧に母さんと同じ声で叫ぶ。


「はは。おまえはまず語彙力を増やせるようにお願いした方がいいかもね」


 クーは首をクルクル回して、不思議そうにしていた。

 しばらく窓の外を見上げながらぼんやりしていると、ついにその時は訪れた。


「うわぁ……」


 キラッ、と光の筋が夜空を引き裂くように瞬く。

 ぼくは思わず声を上げてしまっていた。

 数舜の出来事に思いを馳せていると、再び星が流れた。


「そうだ、願い事」


 そう思った瞬間――


 バチッ、と一瞬だけ、視界が明滅する。


「おお……? 何だ……?」


 ふるふると頭を振って、ぱちぱちと目を瞬く。

 眩暈だろうか。

 しかし頭痛のような副次的な症状は現れなかった。


「まあ、いいか……」


 大した影響がないのなら、特段気にすることでもあるまい。

 ぼくは改めて星に願いを託そうとする。


 ――が。


 バサッバサッ。


 突然の羽音に振り返る。

 照明の下辺りで、クーが元気よく飛び回っていた。


「パン粉大サジ5!」

「あれ……何で……」


 ぼくは慌ててケージを確認する。

 だが、扉はしっかりと閉まっていて、ちゃんとロックもされていた。

 一体どうやって……。

 そんなことに気を取られていたせいで、ぼくの頭からは一番大事なことが抜け落ちていた。

 それに気づいた時にはもう遅く、


「アイビキ肉250グラム!」

「あ」


 クーは素早い動きでぼくの真横を通過し、窓の隙間を抜けて夜空の向こうへと飛び去ってしまった。

 ぼくはしばらく、クーの後ろ姿を見ていることしかできなかった。

 夜闇に溶けていく鮮烈な黄色に何か予感めいたものを感じる。

 そして、ぼくはこの時、初めてそのことを知った。


「おまえ、飛ぶの上手だったんだな……」



     *



 そうしてクーはぼくのもとからいなくなってしまった。

 ぼくは必死にSNSで情報提供を呼び掛けたり、町内に貼り紙をしたりしたんだけど、何日経っても音沙汰はない。

 だけどついに、再びクーをこの目で見ることができた。

 その再開はテレビの向こう側からだった。

 祝日の昼間にぼんやりと眺めていたワイドショーに、クーの写真が取り上げられていたのだ。



 クーはいま、宇宙にいた。

 黄色い羽を雄々しく羽ばたかせ、星々の住まう銀河を飛んでいた。

 様々な目撃情報をつなぎ合わせると、どうやらクーは自らの羽で高く高く舞い上がり、やがて地球と宇宙の境界線カーマンラインをも越えて、自力で大気圏を飛び出したらしい。


 テレビやネットは騒然としていた。


 なぜ宇宙で普通のインコが生きていられるのか。

 そもそも無重力下で羽ばたくこと自体ナンセンスではないか。

 それなら何故、あの鳥はあんなにも自由に飛び回っているのか。

 きっと悪質なコラージュに違いない。


 人々はその画像に対して様々な議論を交わした。

 それの存在を肯定してしまえば、宇宙の根本的な原理すら覆してしまう。

 高名な学者たちは、こぞってその鳥の存在を否定した。


 だけどぼくは、その写真に写っているのがクーで、クーは実際に宇宙を飛んでいるのだと確信していた。

 その鳥をズームした写真に、首元のハートマークがあったから間違いないはずだ。

 どんな不思議な力が働いているかは、飼い主であるぼくにだってわからない。

 けれど、ぼくがクーを飼っていたことは事実だし、いま宇宙にクーがいるのも事実だった。

 過程はどうあれ、結果としてそうあるのだから、そういうこととして受け入れるほかあるまい。


 なんでクーは宇宙に行ってしまったのか考えたことがある。

 ぼくがあの日、流れ星にお願いするつもりだったことを、クーがかわりに叶えてくれたのだろうか。

 遠く遠くまで飛んでいくことで、ぼくを勇気づけてくれたのだろうか。


 それにしたって急にいなくなるのはひどいと思う。

 ぼくは心配して、次の日晩御飯が喉を通らなかったんだから。

 今度クーが帰って来たら、その真意を問いただしてみようと思った。

 宇宙空間でも生きていけるくらいだから、帰って来る頃には「ただいま」とか言って、案外普通に喋りだすかもしれない。

 ぼくの部屋にあるケージは、いまもそのままにしてある。

 クーが帰って来た時に居場所がなかったら困るからだ。

 それがいつになるかはわからない。

 一年後か、十年後か、はたまたぼくが死んだ後かもしれない。

 だけど、きっとクーはどこかで生きていて、必ず帰って来るだろう。

 ぼくの愛したクーには、不可能なんてないのだ。

 


     *



 宇宙でクーが発見されて一ヶ月が経った。

 いまでもクーはしばしば衛星写真に写り込んで、そのたびに人々を沸かせている。

 あれからペットとしてインコの需要が爆発的に増加し、SNSでは自分の飼っているインコの投稿をよく見かけるようになった。

 巷ではクーを模したぬいぐるみや、焼き印の押されたクッキーなんかも売られていた。

 近々クーを題材にした映画も公開されるようだ。

 固定観念や常識を打ち破るその姿に、不可能を可能としたその鳥に、勇気を与えられた人は結構いるらしい。

 そんなぼくも、「宇宙そらを飛ぶ鳥」に勇気を与えられた一人だった。



 玄関でスニーカーに履き替えていたところを、母さんに呼び止められた。


「カズキ、今夜の晩ごはん何が食べたい?」

「ハンバーグ!」


 そう答えて、ぼくは家を出た。

 朝焼けの街を走る。

 まだわずかに暗い空には薄っすらと星が浮かんでいる。

 はるか彼方でクーが見ていてくれるのならば、ぼくは何だってできる気がした。

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