珈琲は月の下で No.4

久浩香

ハロウィン

周囲を広葉樹で囲まれた、ひょうたん型の公園があると思いねぇ。

ブランコやシーソーなどの遊具は、ひょうたんの上の部分にあり、下の部分には、時間毎に広葉樹の高さまで吹き上がる大きな噴水があり、その噴水を見る為のベンチが、幾つか配されていると思いねぇ。


午前2時まで10分くらい前の事さ。

ベンチの一つに、エルキュール・ポワロがやって来た。

いや、それが本物のポワロでない事は解ってんだ。

だが、鈍色にびいろの山高帽に口髯、同色のロングコートに黒の皮手袋、そしてステッキと蝶ネクタイ。フットマンがいないせいか、自分でトランクケースを持ってはいたが、そんな三つ揃い姿の小太りの中年男が歩いて来れば、それはもう、エルキュール・ポワロがやって来たとしか言いようがねぇ。


いや、ね。

ここ数年は、そんな奴等が闊歩し始めた事は知ってんだ。

コスプレっていうのかい?

魔女や獣人は言うに及ばず、なんだかよく解らない格好をした奴等がねり歩いてるんだって?

だが、そんなのは都会の、それこそ大きな通りだったり、飲み屋街だったりするんだろう?

いっちゃあなんだが、そこは田舎の閑静な住宅街。

そんな恰好をして夜中に騒ぐには、ちょっとばかし他人の目が痛い。

仮装してるから特定されない。なんて事もなく、派手な迷惑行為は、すぐに、どこの誰がそうしてた。なんて話が周り回っていくもんだ。

ましてや、午前2時。

いくら、はっちゃけようが、大抵の人間は、家にしろ、飲み屋にしろ、何某かの屋根の下に籠っているってなもんさ。


さて、そのポワロなんだが、その噴水の水が噴出する高さの臨界点あたりを見上げたと思ったら、ふいっとベンチの座面に目をやり、ジャケットの胸ポケットからハンカチを取り出して、パンッと広げたと思ったら、自分の腰掛ける場所にサッとに引いてよ。それから、地面においたトランクケースを横に置くと、鍵を開けてぱっかと開いた。

中に、何が入ってたと思う?

聞いて驚け。

エスプレッソマシーンだ。

エルキュール・ポワロは公園に、エスプレッソマシーンを運んできてたんだぜ。

直火式のマキネッタじゃねえんだぜ。電源は何処だ? って話さ。

ところが、だ。そのエスプレッソ・マシーンは、ちゃん動きやがった。

驚いたね。

シュコーッって音がしたと思ったら、ヴーーンって動いてやがるんだ。

それから、キュルキュルキュル、ヴィーーンと音がしたな。

あれは、スチームミルクを作ってる音だってピンときたね。

それから奴は、抽出したエスプレッソを、二つのカップに分けた後、一つのカップにミルクを注ぎ、楊枝でチョコチョコ細工して、残ったミルクは、もう片っぽのカップに注ぎ、ミルクピッチャーをトランクケースにしまうと蓋を閉じたんだ。


おい、おい、おい。

なんで、驚かねぇんだよ。

トランクケースにエスプレッソマシーンが入ってるんだぜ。驚けよ。

……ああ、そうか。

ポワロの提げていたトランクケースの幅がバカ厚いと思ってやがるな。

チッ、チッ、チッ。

厚みなんて、こんなもんさ。

そうさな。15…いや、どうだ? 20センチはあったのか?

まぁ、いい。だがな。エスプレッソマシーンは、軽く見積もっても30センチばかりの立方体だ。

どうだい? そのトランクケースに入るわけがねぇんだよ。

それに、だ。奴は、あのエルキュール・ポワロさながら、この公園に来た時は、右手にステッキ、左手にトランクケースを提げてたんだぜ。

マシーンもそうだが、カップやピッチャーは、中でどうやって入ってたと思う?

いやいや。俺に聞かれても知らねえよ。

だから、驚けって言ってんだろ。


さてさて。

まぁ、言ってしまえば、ここまでが前振りって奴だ。

エルキュール・ポワロは、細々したものは全部、トランクケースにしまって蓋をしめた後、カップの一つをケースの上に置いて、もう片方のカップを持った。

それが、傑作なんだ。

カップをどうやって持ったと思う?

こう、取手の部分にだな、入るだけの指を差し入れて、カップ全体を右手全部で包むんだ。それから、左手は底にあてる。

ほら、日本茶を湯呑で飲むだろ。丁度、あんな感じだ。

そうやって、奴は、珈琲を飲んだんだ。

とにかく、姿勢はいい。ベンチの背もたれになんかに、もたれかかりゃしねえよ。


飲み終えた奴は、それから、噴射口を見ていた。

時間配分を間違えたのか、懐中時計を見たり、トランクケースの上のカップを見たりもしてたな。時間が経つにつれ、ソワソワしていたのさ。


そしてついに、2時になった。

噴水は先ず、外周側の噴射口から、幾つかの小さな水の柱を噴き出した。それから徐々に真ん中へ向けて段々の水の柱が立ち、それから15秒…20秒…後に、ついに中心の噴射口から、高々と水の柱が立ったんだ。

中心にある噴射口は特別性だ。

上だけじゃなく、外周に向かっても水が噴き出したのよ。


全ての水の柱やアーチが噴き出した時、俺は見たのさ。

その中心の噴射口の水の柱の中に女の頭がボコッと出てくるのをな。

そいでよ。その女の頭は、水圧に押し上げられながら、ぐいぐいと昇っていったのよ。

いっとくが、頭だけが昇っていったんじゃねえぜ。ちゃんと首があるんだ。

そうだな。ちょうど、噴射口の下に身体があって、首が伸びて頭が柱の天辺に乗っかってるって感じだ。

あれは、そう。ろくろっ首って奴だったのさ。


ろくろっ首の髪は、水の管を通って昇っていった筈なのに、全く乱れていなかった。

よくは知らねえが、日本髪っていうやつだ。髷とかっていうのかい? とにかく、そいつを結ってると、思いねぇ。

そんでよ。その髪にはな、めったやたら、何本も簪が刺さってると思いねぇ。

……だがよ。それがまぁ、似合ってるのよ。

おっとっと。妬くんじゃねえよ。

俺は、あくまでお前に解るように言ってんだぜ。


さてさて。それでだな。

その、ろくろっ首なんだがな。水柱のてっぺんから、ポワロを見つけたのよ。

アーチ状の噴水の流れに乗って、ポワロに向かって首を伸ばしたのよ。

そして、噴射口の中から自分の身体の方を引き寄せたんだ。


「まぁ、ひょん様。そのお姿。どうなされたんどすか?」


「う…む。今宵は、西洋のお化けの夜らしいからの。化けてみたんや。どや?」


「へぇ。よぉ。できてますえ。とても、ひょん様には見えしまへん。うちかて、ここにおってくれへんかったら、よお、気づかへんかったかもしれまへんなぁ」


「む。そうか? で? どや? 似合うか?」


「へぇ。……せやけど、うちはやっぱり、いつものひょん様の方が、好きえ」


「そ、そ、そう…なんか? しかし、儂は、じじいだぞ。これよりわこうに化けるんは、ちとキツいが、これなら、六華りっかに、少しは相応しく見えへんか?」


「ま。ひょん様ったら。そんな事、気にしてはりましたん? ややわ。…ああ、そうどすか。やから、2月の節分まで留守にするぅ、なんて言うて、妖界を出ていかはりましたんどすな。…阿保らし。…相応しい、って、なんどすか? うちは、ひょん様の事を、好きやぁ、いうて、言うたやないどすか? そう言うたのに、おらんならはってもうて…ほんまに、うち、せつなおしたんえ」


「六華……ほんまか? ほんまに儂の事、好きなんか? あんな皺だらけのじじいの儂を、ほんまに好いてくれとるんか?」


「もう。疑り深いお方やわぁ。まぁ、よろし…それが、ひょん様いうお方なんやから。せやけど、それが出ていかれた理由なら、もうええやろ? うちと一緒に帰りまひょ」


「あ、いや、ちょ、ちょい待ち。…その…六華にな、見せたいもんがあるんや」


「見せたいもん? へぇ。なんどすやろ?」


「その…もう、冷めてしもたんやけどな。儂の…その…気持ちをな…飲んで欲しい…思てな…」


何言ってんだか、全くわかりゃしねえんだけどよ。

ポワロとろくろっ首は、何か言い合っていたんだと思いねぇ。

それから、ポワロは、ろくろっ首にトランクケースに乗せてたカップを差し出したのさ。

そしたらよ。ろくろっ首は、そのカップの絵柄を見て、顔を赤く染めやがったんだ。

俺はピンときたね。

カップには、ラテマキアートがしてあったのさ。

それも、絵柄は、ハートマークだと睨んだぜ。


公園の時間毎の噴水が出るのは、1分だけの筈なんだがよ。

やけに長い1分だったぜ。

だけどな、時間はやけに間延びして感じられたのさ。

あれは、時間そのものが、ゆっくり流れていたに違いねぇ。


それでな、ろくろっ首が、カップの中を飲み干すと、噴水が止まる兆しが見えたのよ。

ろくろっ首は、出て来たように帰っていったんだけどよ。ポワロが、その後どうしたと思う?

なんとだな、ポワロは噴水の中心の噴射する水の臨界点の更に上まで、ぴょーーんと跳躍したのよ。

そしてだな。そこから水柱を目指して落ちて来る間にな、奴の身体の中心…鼻と臍を結ぶ線のラインって言えば解るかい?とにかく、そこが裂けてだな。べりべりって破けたかと思ったら、中身が出て来やがったのさ。


その中身っていうのがよ。頭のでっかい、落語家みたいな恰好をしたよ、皺だらけのくそ爺ぃだったんだぜ。

魂消たねぇ。

あれは、多分、噂に聞くぬらりひょんに違いねぇ。と、思ったね。

ぬらりひょんはよ。水柱の頂点の上に正座した途端、そのままビュルビュルビュルっって感じで、噴射口の中に吸い込まれていったのさ。


それからな。俺が、魂消てる間に、噴水が終わっちまったんだけどな。終わると同時に、なん……にも、無くなっちまってたんだよ。

ポワロ…いや、ぬらりひょんは、身一つで飛んだっていうのに、ベンチには、トランクケースの“と”の字も落ちていねぇでやんの。

ただ、真っ白なお月さんが、ぽっかり浮かんでいやがったのさ。


俺はピンときたぜ。

あれは、ぬらりひょんが、コスプレをしてやがったんだ。

ぬらりひょんの旦那は、ハロウィンを知って、10月31日の丑三つ時に仮装してたんじゃねぇか? ってな。


どうだい?

まったくよお。参っちまうぜ。

ジャパン・モンスターも洒落たもんだと思わねぇか?

レディを口説くのに、ラテアートとは、なかなかやるもんじゃねえか。

なぁ、そう思わねぇか? ウィッチ・ベイビー! 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

珈琲は月の下で No.4 久浩香 @id1621238

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ