第105話 その身に刻め

 現在も営業中の娼婦達をライが眺めていたら、彼女達もライの視線に気がつき、手を振った。思わず後ずさるライだったが、気さくに笑って手を振ってくれる彼女達を見て、ニヘッとだらしない笑みを浮かべて手を振り返す。


『主よ……』

『マスター……』

「(な、なんだよ! その呆れたような声は!)」


 ライとて所詮は男である。相手が美女ならば鼻の下が伸びるのは当たり前だろう。ただ、時と場合は選んだ方がいい。

 今、ライの近くには勇者アリサ聖女シエルの二人がいるのだから。


 気付かないわけがない。ライが娼婦に鼻の下を伸ばして手を振っていることに。


 ゴゴゴッと地響きでも聞こえてきそうな雰囲気でアリサとシエルはライを睨んでいた。

 背筋に悪寒が走ったライは後ろを勢い良く後ろを振り返る。すると、そこには般若を背後に現して、仁王立ちをしているアリサとシエルの姿があった。


 とてつもない威圧感プレッシャーにライはガクガクと震える。かつて四天王と戦った時と同じか、それ以上の緊張感がライを襲っていた。恐らく返答を間違えると殺されるだろう。


「(俺、何かしたのかな……?)」

『う~ん、流石にそれは教えられん』

『そうですね。こればかりは当人同士で解決してもらわないと』


 これは説明できないとブラドとエルレシオンは黙ってしまう。味方を失ってしまったライはどのようにすればいいのか必死に考えた。

 しかし、分からない。

 そもそも、何故二人が修羅のようになっているのかが理解できないのだ。ライは観念したように頭を下げる。


「えっと、ごめん。二人がなんで怒ってるか分からないんだけど」

「別に怒ってないわ」

「ええ、怒っていませんとも」


 どう見ても怒っている。笑ってこそいるが纏っている雰囲気は怒りそのものだ。噴火した火山のように激しく背後が燃えているように見える。

 流石にライも言葉と態度が噛み合っていない事は分かる。だからといって指摘することは怖くて出来ないが。


 はて、どうしたものかとライは困り果ててしまう。一体何がそんなに気に食わないのだろうかとライは思考を巡らせる。

 そして、考えられる原因が分かった。勿論、それが正解なのかどうかは聞いてみない事には分からないが恐らくそれが原因なのだろうとライは判断した。


「(もしかして、俺が娼婦に手を振ってたからかな?)」

『…………』


 沈黙しているブラドとエルレシオン。まさか、自力でその答えに辿り着くとは思ってもいなかったようで、少し動揺していた。が、声には出さなかったのでアリサ達の思いがライにバレるようなことはなかった。


 二人は沈黙を貫いているので正しいかどうかはわからない。果たして、このことを口に出しても良いのか。どうすればいいのだと頭を抱え込んでしまうライ。

 やがて、観念したのかライは不機嫌になっている二人と別れて一人で街を観光する事に決めた。


「……俺、あっち見て回るから。二人は好きにしてていいよ」

「は?」

「な、何言ってるんですか!? ライさん!」

「いや、だって、その二人とも俺が何かしたから怒ってるんだろ?」


 二人が何故怒っているかなどわからなかったライは自分の行動の所為だと判断して別れる事にしたのだ。


「なんでそうなるわけよ!」

「え~……。じゃあ、もしかして俺があの人達に手を振ってたのが嫌だったからとか? まさか、そんなことないだろうし……」


 と、そんな理由はずではないだろうと笑っているライだったが、目の前の彼女達は図星だったので顔を赤くした。

 いくら鈍いライでもこうも分かりやすい反応を示されれば分かってしまう。


「え……!?」

「ッ~! 何よ、悪い?」

「いや、え?」

「ライさんが悪いんですよ? 私達が一緒にいるのに他の女性に鼻の下を伸ばしてるなんて」

「え、あ、はい」

「もういいわ。この際だからはっきりと教えてあげる。シエル! そっち任せるわ!」

「はい!」


 いきなりアリサに右腕を掴まれるライ。訳もわからず混乱いしていると左腕をシエルに掴まれてしまう。

 これは一体どういうことなのだろうかと二人に問い質す前にライは尋常ではない力で二人に連行される。二人はどこへ向かうというのか。


「あの、二人ともどこに連れて行こうとしてるんだ!? なあ、教えて欲しいんだけど!」


 しかし、二人は答えない。歓楽街の大通りをアリサとシエルに挟まれてライは風のように走る。というよりも引き摺られている。止まろうと思えば止まれるが悪意も敵意も殺意も感じないので止まる理由がない。ただ、彼女達の真意が分からないだけ。


 戸惑っているライを無視して二人はとある場所を目指した。アリサは歓楽街に何度か訪れた事があり、ある程度の地図を頭に入れていた。

 大通りから脇に逸れて歓楽街の深い場所へと入っていく三人。妙に派手で目に刺激的な建物が多い路地へと辿り着いた。


「ここって……」

「そうよ。所謂男女の休息所。愛の巣とも呼ばれているわ」

「愛の巣! つまり、それって!」

「ええ、そう。もうここまで来ればシエルも分かるでしょ?」

「で、でも、早過ぎませんか!? もっと、こう段階を踏んだ方がいいのではないでしょうか!」

「そう言うこと言ってると、さっきみたいに他の誰かに取られるかもしれないでしょ。それなら、いっその事心身ともにはっきりと分からせるのよ!」

「心身ともに!」


 ゴクリと生唾を飲み込むシエルの表情は赤く染まっている。二人の会話を聞いていたライは何がなんだか良く分かっていない。が、ライの体内に寄生している出歯亀は黄色い歓声を上げていた。


『おお~! うむうむ! 何事も早さは大事だ!』

『多少の不備があっても迅速に勝利することが大切ですからね!』

『盛り上がってきたな!』

『盛り上がってきましたよ!』

「(これから何が始まろうとしてるんだ! そして、どうしてお前らはそんなに喜んでいるんだ!)」


 風情も情緒も雰囲気ムードもあったものではない。ゴリ押しである。アリサはライが鈍感な事を見抜いて、覚悟を決めた。処女である彼女はもう待ってなどいられるような時間はないと判断したのだ。

 見知らぬ女に奪われるくらいなら、いっその事自分が奪ってやると決意している。誰も彼女を止めることは出来ないだろう。


 そして、アリサの思惑が分かったシエルも同じであった。本当はもっと段階を踏んで、恋人から始まって親睦を深めていき、やがては結ばれるといった妄想をしていたが、先程の一件で仄暗い感情が彼女にも芽生えたのだ。

 嫉妬である。自分ではない他の女性にだらしなく鼻の下を伸ばしているライを見てシエルは腹を立てた。どうして、自分ではないのかと。


 だからこそ、今回のアリサの提案に乗るべき覚悟を決めた。


 悠長にしてなどいられない。この世は弱肉強食で奪い合いなのだ。ならば、奪うだけ。たとえ、初めてだろうと知識と知恵があれば何とかあるとシエルはやる気に満ち溢れていた。


 これも全てライが撒いた種である。自業自得ともいえるかもしれない。まさか、狩られる側になるとは思いもしなかっただろう。


「さあ、行くわよ」

「ええ、行きましょう」

「ちょ、ちょっと待って! 少しくらい説明してくれよ!」

「中へ入ったら説明するわ。詳しくね」

「その体にたっぷりと教えてあげます」


 本当に二人は勇者と聖女なのだろうかと言うくらい、悪い顔をしている。いっそ邪悪と言った方がいい。


『あわわわわわ……』


 これは想定外だったのかブラドとエルレシオンもうろたえている。当然、ライも同じであった。


「ひえ……ッ!」


 逃げ出すのは簡単だ。だが、本能が叫んでいる。逃げたとしても二人は地獄の底までついて来るだろうと。決して逃げられないと悟ったライは決死の覚悟で二人に連れて行かれるのであった。

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