第91話 キャッキャッウフフ(怒)

 帝都へと向かっていたライ達一行はすっかりと回復したシエルによって、その怪我を治していた。回復したライは馬車から降りてシュナイダーに跨っている。何故か、その彼が跨っている前にはシエルがぴったりとくっついていた。


「ねえ、シエル。なんで貴女、そこにいるの?」

「え……」


 馬車の中から顔を覗かせるアリサはそのおかしな光景に疑問を述べる。ライはまだ分かる。馬車に慣れていないからという理由があったから。

 しかし、シエルは違う。むしろ、彼女は馬車の方が慣れているはず。それなのに、どうして態々わざわざライの前に乗馬しているのか理解できないといったアリサは怪訝な目でシエルを睨んでいた。


 対してシエルも上手く言葉に出来ない。自分が何故ここにいるのかすら良く分かっていないのだ。唯一つ言える事は、ここが心地よいという事だけ。自然とピッタリ来るのだ、この場所が。

 それに長くはないが短くもない間、ずっとここにいたのだ。今更、変わりようがない。ライも文句を言わないし、別に問題はないはずだと思っているシエルはアリサに曖昧な笑みを浮かべるくらいしか出来なかった。


「ちょっと、ライ! それでいいの!?」

「へ? 何のことですか?」


 ライはというとほぼ毎日のように一緒にシュナイダーへ乗っていたので感覚が麻痺していた。シエルが前に乗っていようとも特に困った様子はない。それどころか、何がおかしいのか分かっていない。


「だから、シエルよ、シエル! なんで平然と乗せてるのよ!」

「え……。そう言われてもこれが普通だし」

「普通!? 何! 私がおかしいの!?」


 自分の常識が間違っているのだろうかと意見を求めるアリサはエドガーとベルニカに視線を向ける。顔を合わせる二人はアリサが正しいという事を述べた。


「まあ、お嬢の言うとおりだ。婚約者、ましてや恋人といった事情もないのであれば馬車に乗るのが普通であろう」

「そうですね。よほどの事がない限りは男女で二人乗りはしませんよ」


 二人の意見が自分と同じだったことに喜ぶアリサはこれみよがしに二人を非難した。


「ほら、見なさい! 私のほうが正しいでしょ!」

「う~ん、そうなの?」


 そういったことに疎いライはシエルにアリサの言う事が正しいのかを求めた。シエルは困った様子だったが、観念して正直に話した。


「えっと、その、世間一般的に考えるとアリサの方が正しいかと……」

「あ、そうなんだ。じゃあ、シエルは馬車に戻った方がいいんじゃないか?」

「で、でも~……ここがいいと言うか、ベストポジションと言うか……」

「早く戻ってきなさいよ! この淫乱聖女!」

「あーッ! 誰が淫乱聖女ですか! このゴリラ女!」

「なんですって!」

「なんですかー!」


 ムキーッと二人揃って怒りを露わにする。争いは同じレベルの者同士でしか起こらない。お互いに口汚く罵るアリサとシエルの口論はしばらく続く。勇者とも聖女とも呼べない低俗な言葉が飛び交う。それを近くで聞いていたライとエドガーとベルニカは苦笑いであった。


「ハハハ……」


 燦々さんさんと太陽が照りつける中、一行は帝都を目指して進んでいく。


 程なくして一行は休息の為に足を止める。馬車にずっと乗っていたアリサは固くなった筋肉をほぐすためなのか、それとも先程の喧嘩の続きなのか、どちらかは分からないがシエルに襲い掛かった。


「きゃあッ! なんなんですか!?」

「体がなまっちゃいけないでしょ? だから、私が鍛えてあげるわ!」

「け、結構です~~~ッ!」

「問答無用!」

「きゃあ~~~~~ッ!!!」


 容赦なく組み伏せられるシエルは芝生の上に倒れる。唐突に始まったキャットファイトをよそにライはシュナイダーのブラッシングを行う。道具はベルニカから借りた物を使って。


 ブラッシングを行いながらライは近くにいたエドガーに尋ねる。


「そういえば、あの二人は知り合いだったんですか?」

「ああ。お嬢は勇者だろう? だから、何度か怪我をした際に聖女シエル様の元を訪れているのだ。もっとも、その時は今ほど仲良くはなかったが」


 目の前で繰り広げられているキャットファイト。アリサが寝技を仕掛けており、完全にシエルを落としにきている。シエルは必死にアリサを引き剥がそうとしているが、彼女は本気ガチでやっていた。

 黄金の闘気を惜しみなく発揮している。それに対抗しているシエルも十分に凄い。とはいえ、やはりまだまだシエルはアリサに及ばない。シエルは白旗を揚げて、バンバンと地面を叩いたのだ。


 それを見たベルニカがすかさずアリサの後頭部を叩く。


「あいたッ!?」

「お嬢様、そこまでです。シエル様がギブアップしていますよ」

「む……。なら、仕方ないわね」

「ケホッケホッ……! 酷いです、アリサ! 死んじゃうかと思いましたよ!」

「ふん。それくらいじゃ死なないわよ。それに手加減してたし~」

「どこが手加減ですか! 思いっきり、闘気を使ってたじゃないですか!」

「え~、気付かなかった~」

「ッッッ! そうですか、そうきますか! だったら、こっちだって容赦しませんとも!」

「え?」


 油断していたアリサはシエルが飛び掛ってきた事に反応できなかった。組み付かれるアリサはシエルと一緒に芝生に転がる。


「ちょっと、なにすんのよ!」

「こっちの台詞ですよ! さっき自分がやったことじゃないですか!」


 ゴロゴロと転がってマウント合戦を始める二人。服が泥だらけになるのもお構い無しである。それを見ていたベルニカは頭痛で倒れそうになる。一体誰がその服を洗濯するのだとベルニカは溜息を吐くのであった。


 キャッキャッウフフのような展開ならライも凝視していただろうが、割と本気の喧嘩である。髪の引っ張り合いこそ起きていないが、関節技を決めたりしている。シエルにそのような技術はなかったはずなのだが、彼女は先の戦いで学んだ事を忘れてはいなかった。

 かろうじて覚えている技をアリサ相手に試している。肝の据わった聖女だ。普通ならもっと相応しい相手がいるだろう。それこそ、無限に骨をへし折れるライとか。まあ、ライは戦闘中でもない時は普通に痛覚がきちんと機能しているので死ぬほど痛みに叫ぶだろうが。


「あんた、いつの間にこんな技覚えてたのよ!」

「先日、ライさんから渡された聖剣のおかげです! くらえ、必殺の聖十字固めセイントクロス!」

「いたたたたッ! 洒落にならないわよ、これ!」

「切れろ、靭帯!」

「ふざけんじゃないわよ! こんのぉッ!」

「きゃあああッ!?」


 聖女らしからぬ発言の数々を発するシエルに関節技を決められていたアリサは彼女を強引に持ち上げて投げ飛ばす。まさに怪力、剛力。ゴリラ女と呼ばれるのも仕方ない事だろう。

 吹っ飛んだシエルの先にはブラッシングを終えたライがいた。飛んで来るシエルをライは抱きとめる。


「おっと、大丈夫か?」

「は、はい。大丈夫です」


 見詰め合う二人。どことなくいい雰囲気を出そうとしているシエルの目は少しばかり潤んでいる。先程、アリサの靭帯を切ろうとしていたとは思えない変わり身である。恐ろしい女だ。

 それを良しとしないアリサが地面を蹴って走り出した。速度を落とさず二人の傍にまで来たアリサは腕を交差させて宙を舞う。


「何イチャつこうとしてんのよ、このあばずれ聖女が!」

「キャッ!」


 しゃがむシエル。止まらないアリサ。とばっちりを受けるライ。アリサのクロスチョップが見事にライの腹部へと決まった。


「おぶぅッ!?」


 倒れるライに巻き込まれるアリサは悲鳴を上げる。


「きゃあッ!」

「あ、あーーーッ!」


 意図せずライの胸の中に飛び込んだアリサ。図らずしてライの胸の中にいるアリサを見てシエルが叫んでいた。


「何やってるんですか! 人に淫乱とか言っておきながら自分だって同じような事してるじゃないですか! 発情期なんですか、アリサは!?」

「バ、馬鹿言ってんじゃないわよ! 別にわざと飛び込んだわけじゃないし……」


 そう言いつつもアリサはライの胸に顔を寄せて、ちゃっかりと堪能している。抜け目ないアリサを見てシエルはさらに叫んだ。


「あっ、あーーーッ! 何してるんですか! 早くどいてくださいよ!」

「あ、あ~、さっきシエルにやられた所が痛くて立てないわ~」

「もっとマシな嘘つけないんですか! この~ッ!」


 無理矢理アリサをライから引き剥がしたシエルは彼女と乱闘を繰り広げる。その様子を見たライは楽しそうに笑った。


「帝都まで楽しくなりそうだ」

『そうだな~』

『ふふ、とても賑やかでいいですね』


 仇を討つことは出来なかったが、これからの旅路が楽しくなる事は間違いないとライは空を仰ぐのであった。

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