第79話 気がついたら周囲が真っ赤に染まっていた

 頼みのシュナイダーも足を折られてしまい、戦線離脱。もはや、この状況を一変する手立てはない。

 それでもシエルはライの背中を見ていた者として、何一つ諦めなかった。彼女はその身に余る莫大な闘気を結界とライの治癒に使う。惜しげもなくたった一人の為にシエルは命を投げ出す覚悟だ。


「ガレオン! 聖女を止めよ!」

「分かっています! しかし、これはッ!?」

「どうしたのじゃ! さっさと結界を破壊せぬか!」


 ガレオンは困惑していた。かつて破壊したシエルの結界は多少固かったが壊せないことは無かった。

 しかし、今はどうだ。シエルの覚悟が現れているのか彼女の結界は何者にも打ち砕けないものになっているのだ。いくら、ガレオンが本気で叩いても傷一つどころか全く響かない。


「一体、どれだけの闘気を使って……!」

「ちッ! ガレオン! ライに目を覚まされても厄介じゃ! 妾の残った魔力で最大の魔法を叩き込む。お主はそれに合わせろ!」

「はッ! 承知しました!」


 カーミラは結界の向こう側で聖杖ルナリスの力で傷が治っていくライを見て手をこまねいている場合ではないと悟った。

 たとえ、ここで全魔力を消費し、動けなくなってもこの場でライを殺しておかないとどのような事になるかは容易に想像出来る。間違いなくライは魔王の脅威となるだろう。

 まだそこまでではないが少なくとも四天王である自分と互角の戦いを繰り広げた事からカーミラは危惧した。


「はあああああああああッ!!!」

「でいやあああああああッ!!!」


 カーミラの魔法とガレオンの拳がシエルの結界とぶつかる。とてつもない破壊力にシエルの張った結界はピシピシと皹が入っていく。もう少しすれば結界は音を立てて砕け散ってしまうだろう。

 シエルは結界が破壊されそうになっていることを知りながらも懸命にライの治癒を続けていた。命を燃やし尽くすかのように莫大な闘気を捧げるシエルは額から玉のような汗が零れている。


「ライさん……!」


 背後で結界が壊れる音が聞こえた。シエルは振り返りそうになったが、最後までライの復活を願い、治癒を続けた。


「ガレオンッ!」

「分かっております!!!」


 シエルを引き裂き、ライを殺そうとガレオンが爪を振るった。


 血飛沫が舞い散り、シエルは真っ赤に染まる。そのような光景を信じていたカーミラの前にはガレオンの手を掴んでいるライの姿があった。


「……」

「馬鹿な……ッ! もう魔力はないはずじゃ! いくら聖女により傷が塞がったとはいえ、立ち上がる力は残ってないはず! 一体、どうなっておる!?」

「ぐ、くくッ!」


 ボキッという耳を塞ぎたくなるような音が響いた。その音の発生源は言うまでもなく、ガレオンの腕からであった。彼の腕はライによってへし折られたのだ。しかも、素手で。


「ぐわああああああッ!」

「ガレオン!?」


 驚愕に目を見開くカーミラはガレオンの名を叫ぶ。カーミラの目には魔力のないライが映っていた。にも拘わらずライは素手でガレオンの腕をへし折ったのだ。驚かない方がおかしい。

 今のライは異常である。どこかおかしい。本来ありえない筈の事が起こっているのだ。


 カーミラはライが魔剣の能力で敵から魔力を奪い、奪った魔力を用いて身体強化をしている事を知っていた。

 だからこそ、目の前の異様な光景が到底信じられなかったのだ。魔力も尽きているのに、何故ガレオンの腕をへし折る事が出来たのか。未知の恐怖にカーミラは震えだす。


 一方でシエルはライが起き上がったことに歓喜していたのだが、先程と様子が違う事に疑念を抱いていた。勿論、ライであることは間違いない。


 しかし、その精神は完全に暴走していた。


「(殺す、殺す、殺す、コロス、コロス、コロス!)」

『主! 正気に戻るのだ!』

『これは一体……』

『分からぬ。だが、一つ言えるのは不味いということだ』


 ブラドとエルレシオンの声も届かないほど、ライは正気を失っていた。一体どうしてこのような状態になってしまったのか。

 それはライの特異な体質のせいであった。ライはどこにでもいる村人に過ぎなかったが、闘気と魔力が一切ない特異な存在であった。そのおかげで聖剣と魔剣の二つを扱える唯一無二の存在でもある。


 そんなライは今まで敵の魔力を流用して戦っていたのだが、今回その魔力が尽きてしまった。そこにシエルが尋常ではない闘気を注いだのだ。本来なら傷を治すだけであったのだが、異質と化したライの体はその闘気を吸い込んでしまった。


 魔剣の能力で変異した肉体に、尋常ではない量の闘気が注がれてしまった事でブラドとエルレシオンも説明出来ない事態が起こってしまう。ライの体内に蓄積されていた歪な魔力と純粋な闘気が混ざり合い、誰も予想できない事が起きたのだ。


 魔力と闘気の融合。


 今までもライの体内では起きていたことだが、今回は桁違いの量でそれが起こってしまった。

 決して混ざり合わない二つのエネルギーが合わさってしまい、爆発的な力を生みだす。ただ、その影響は精神にも及び、ライの復讐心が強く刺激されてしまい、暴走状態となってしまった。


「は、離せええええッ!」


 掴まれていない方の腕でライに拳を放つガレオン。

 パシッと渇いた音が鳴り、ガレオンの拳がライに止められた。そのままライは力を込めてガレオンの拳を握りつぶす。


「ぐッ、があああああああああッ!?」


 そして、両腕を掴んだままライはガレオンの腹を蹴り飛ばした。その威力は凄まじかったらしくライの両手にはガレオンの千切れた腕があった。どうやら、蹴り飛ばした時に千切れたらしい。


「な、なんなんじゃ……お前はッ!」


 あまりの出来事に固まっていたカーミラだったが、ようやく事態を理解したのかライへ向かって声を荒らげる。


「(コロス。ミナゴロシダ)」


 ライは両手に持っていたガレオンの腕をカーミラに投げ付けると同時に走り出した。カーミラは飛んで来る腕を弾き飛ばすと、目の前にはライの足裏が迫っていた。所謂、ドロップキックをライはカーミラの顔面に叩き込む。


「ぷぎゅッ」


 情けない悲鳴と共にカーミラの頭は吹き飛んだ。普通なら即死だがカーミラは吸血鬼。頭が吹き飛んではいるがまだ死んではいない。ライは再生を始めるカーミラに向かってもう一度跳躍する。今度は頭から股にかけて粉砕しようと踵落しを仕掛けるライ。


 そこへ両腕が無くなったガレオンが突っ込んできてカーミラを弾き飛ばした。狙いがずれてしまったがライの踵落としはガレオンの背骨を砕く。苦痛の悲鳴を上げるガレオンは転がったカーミラに向かって叫んだ。


「カーミラ様! お逃げを!」

「馬鹿を言うでない! 二度も敗走など出来るか!」

「これは敗走ではありません! 一刻も早くこのことを陛下にご報告を!」

「ッ……!」


 ガレオンの言う事は正しい。覚醒したライは剣を持たずともガレオンを圧倒するほどの存在。これで魔剣と聖剣を持とうものならどうなるか分かったものではない。一刻も早く魔王にこの事実を伝えるべきだとガレオンは判断したのだ。

 自分はもう助からないがカーミラならば逃げ出せれる。ここで己を犠牲にしてガレオンはカーミラを逃がすつもりである。


 事態の深刻さを察したのか上空にいた鳥人が降りてきてカーミラを拘束した。


「なッ! 何をする!?」

「申し訳ございません、カーミラ様! しかし、ご容赦を! 罰なら後で如何様にも受けます! ですが、今だけはどうか理解ください!」

「くッ! 離せ! ガレオンはお主の上司じゃぞ!」

「行け! 俺に構うな! カーミラ様を必ず城までお連れしろ!」

「はい! ガレオン様! 貴方にお仕え出来た事誇りに思います!」


 ガレオンの部下であった鳥人はカーミラを連れて空へ逃げる。当然、ライが見逃すはずがなく、追いかけようとするのだが、それはガレオンが許さない。両腕を失い、背骨を砕かれていてもガレオンは首を動かしてライへ噛み付く。


 足に噛み付いてきたガレオンにライは何の感情も篭っていない目を向けると、拳を握り締めてガレオンの頭に叩き付けた。何度も何度も何度も拳を振り下ろし、既にガレオンの頭は砕けて死んでいるのに、死体蹴りを止めないライ。


「もうやめてくださいッ!」


 ガレオンの返り血で真っ赤に染まったライへしがみつくシエルは泣いていた。いつものライに戻って欲しかった彼女は彼の背中に額をくっつけて涙を流し続ける。シエルは何度も懇願する。元に戻ってと。


 その祈りが通じたのか、ライは大人しくなり、やがてフラッと倒れてしまった。

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