最終話
空っぽの部屋には、誰かとの思い出が充満している。なんとなく一人になりたくて、俺は煙草を吸うためにベランダに出た。最近、灰皿を買った。タンブラーのような見た目で、沢山吸殻が入る。
新しい箱を開封する。一本咥えて、火をつける。…煙草の味や吸い心地を表現する言葉は、いつまでも見つからない。
見下ろした先に、あの頃の公園はない。彼女が高校を卒業したくらいのタイミングで、老朽化に伴って工事が入ることになったから。こんな小さな公園にも工事が入るんだなぁ、と、工事概要を見ながら思った。
…そういえばその時、あの河川敷で歌を歌っていたお兄さんと再会した。俺は全く覚えていなくて、お久しぶりです、と声を掛けてもらって、やっと思い出したんだけど。
「どこにいたって、夢は見れますから」
諦めてしまったんですか?と聞いた俺に、お兄さんはそう言った。友人の受け売りですけどね、と照れ笑いを浮かべながら。
工事と言えば、楓さんはこの間新しいお店を出すと言っていた。次の店は、聞く限りではまともな立地だった。…少なくとも、今よりは。
楓さんは、いい場所にお店をだせばいいわけではない。そこがどれだけくつろげる場所なのかが大事だ。だから、頑張らなくちゃ。そんなことを言っていた。新しいお店の名前は「Cette fille」というらしい。意味は聞かなかったので、よく分からない。
俺はというと、大学を留年した。したというか、してしまった。あれだけ長期間行っていなければ、そうなってしまうのは仕方ない。父に電話をしたら、思ったよりちゃんと叱ってくれた。やっぱり父親なんだなぁという感じがして、少し嬉しかった。
留年してしまったので、今俺は桐野と同学年だ。それによって敬語が抜けて、今までよりも距離が縮まった気がする。…まぁ、桐野以外に友達と呼べる人間はいないんだけど。
彼女も大学生になった。彼女は、俺と同じ大学だから、という理由で大学を選んだ。二の舞という奴だ。俺も桐野も本気で止めたのだが、もう決めたので、と入学してしまった。だからあと一年と少しは、3人で過ごすことが出来そうだ。
人は暑い時、そしてやらなければいけないことに追われている時に、こうして意味のないことを考える。淹れたばかりのアイスコーヒーの氷はすぐに溶けてしまう。何度も淹れ直すので、結露した水滴がコースターに染みを作る。
…あの子がいなくても、世界は回る。当たり前みたいに、時は過ぎていく。振り向いてもあの子が見えないくらいに。
おっと、そんなことを考えている余裕はない。今日は昼までに提出しなければいけない課題を終わらせて、そのすぐ後に遊びに行くんだ。
「どうせ暇を持て余してるんですよね?」
先週、そんな彼女の一言で、今日の予定が決まってしまった。…まぁ、実際持て余している。というより、ついこの間までは持て余していた。
彼女や桐野との関係性が良好になっても、根本にある無関心は治るようなものではない。だから、友達と呼べるような人間は増えていない。折角の夏だというのに、俺は部屋の中でエアコンの涼風を浴びて、体調を崩したりしていた。
だから、遊びの誘いは嬉しくはあるんだけど。まさか、今日提出になっていた課題があったなんて。俺はひとつ伸びをする。部屋に戻って、ノートパソコンを開く。
我ながら、一日で書いたとは思えないクオリティのレポートだ。今まで散々俺を悩ませてきた余計なことを考える癖が、今回は俺を救ってくれたようだ。
続きはスラスラと書き終わり、提出にもギリギリで間に合った。…何とかなった。胸を撫で下ろして、次こそは余裕を持って終わらせようと、今まで守った試しのない誓いを立てる。
突然インターホンが鳴る。彼女と桐野が、揃って玄関に立っていた。
「…全然着替えてないじゃん」
部屋着のままの俺を見て、桐野が文句を言う。
「来る時間を言わないからだろ」
俺がそう返すと、彼女はまぁまぁ、と俺達を宥めた。…何でかは分からないけど、最近桐野とはこんな感じだ。
「それより、早く着替えてください!」
彼女に言われ、ドアを閉めて服を着替える。いつも通り、無個性な服装だ。
外に出て、マンションの駐車場に向かう。…もちろん俺の車なんかではない。彼女が入学祝いに、両親に買ってもらった車だ。俺も桐野も免許を持っていないので、最近は彼女の運転で遊びに行くことが多い。
申し訳ないとは思うが、彼女はいつも、好きでやっているので!と笑う。それなら、と甘えさせて貰っている。
いつも俺は後部座席なので、助手席の桐野と運転席の彼女の話を聞くだけになる。…一人で何か考えるのには、丁度いい。
あの子が死んでしまった理由は、やっぱり人生が行き詰ったからで。なんで行き詰ったのかといえば、それは病気のせいで。あの子が隠して死んでしまったということを差し引いても、結果として俺達は一ヶ月を掛けて、簡単な足し算をしていた。
それは変えようのない事実で、感想としては呆気なかったと言わざるを得ないんだけど。…ただ、あの子を飛ばせたのは、俺達なんだろうなぁ。そんな風に思っていた。
あの子の残したビデオレターは、日記とは全く違う、俺と彼女への長いメッセージだった。…俺と彼女が一緒にいるということまで、あの子は分かっていたらしい。
たった5行の日記とは違い、ビデオレターは40分に及んだ。俺達2人への言葉だけで。
何と言うか…あの子はやっぱり、最後まで自分が好きじゃなかったんだろうなと思う。嫌いとはまた違う、それよりも空っぽの感情だ。
あの子は関わりすぎたとは思っていても、変えてしまったという認識はなかったみたいで。早く忘れてね、と寂しげな笑顔で言って、それきり再生は終わった。
何だよそれ。きっと俺は、そんな風に思ったんだと思う。もう一度見返すようなこともなく、あのDVDはプレイヤーに収納されたままだ。
あの日彼女を家まで送る時、会話がなかったのは。俺達が改めて、あの子について考え直したからで。次の日もその次の日も、いつも通り。あの子の死を想う日々が戻ってきた。
何で死んでしまったんだろう、ではなくて。あの子を幸せにできなかった俺達自信について、考えるようになった。
あの子はこの世に絶望して死んだんじゃなくて、生まれてから蝕まれ続けた諦観に、飲み込まれてしまった。
だから、もう二度とそうならないように。幸せな過去ではなかった俺達ができるのは、それを考えることだった。
あの子の死んだ理由がわからなかったのは、俺達には当たり前すぎて、そんな理由で死んだと思わなかったからだ。それはつまり、俺達だってあの子みたいに、いつか飲み込まれてしまう可能性がある。だから、俺達はもう二度と、繋いだ手を離さないように。
ちゃんと生きるしかないんだ。誰かを悲しませたりしない為に。もう、そんな誰かが想像できてしまうくらいには、大人になってしまったから。
車が止まる。
「ここで降りましょう!」
彼女に言われて、俺達は揃って外に出る。
…あぁ、ここか。いつだったかあの子が名前を刻んだ遊具のある、あの公園だ。
桐野はその遊具に気付いたようで、あの子の名前をそっと撫でた。それから何かを小声で呟いて、微笑んだ。
「…何?」
そんな一部始終を眺めていた俺に気付いて、桐野が言う。俺は別に、と言って目を逸らす。…相当恥ずかしかったんだろう、桐野の顔は真っ赤だった。
「じゃあ、次の場所行きますよ〜!」
そう言う彼女は、もう車の方に戻っていた。俺達も急いで戻る。
「次は、あの子に挨拶をしましょうか」
行き先は勿論、あの子のお墓だった。…あれ以来、あの子のお母さんとは仲が良くなって、何度か食事にも誘ってもらった。料理が全く出来なかったあの子とは違って、家庭的で温かみのある料理を振舞ってくれる。
その時に連絡先を交換したので、今日あの子のお母さんがお墓参りをしたことも知っていた。だから、花は用意しなかった。
あの子の関係者が、あの子を忘れたかはともかく。皆が皆、もう前を向いていた。あの子がいた過去を、昔の事として消化できるようになっていた。
今日は快晴だ。日差しも強い。それでも俺は、真上を見上げる。入道雲が積み上がっている空は、消えてしまいそうにない、確固たるものだ。…掴めないのに、確かにある。不思議だなぁなんて思うと同時に、それは何だか、思い出みたいだなぁと思った。
あの子と過ごした日々は、もう再生できないけれど。壊れてしまうことなく、そうあり続ける。だから、俺達が生きている限り、あの子は確かに居続ける。俺たちの人生の中に。それはきっと、あの子が望まなかったことだけど。
俺達がそう望むんだから、もういない人間には文句なんて言わせない。あの子の墓前でこんな事を言ったら、罰が当たるんだろうか。だけどあの子のことだから、仕方ないなぁなんて笑ってくれると思う。
お墓参りを済ませて、俺達は霊園を後にする。
霊園の端に、俺と同じ名の花が咲いている。…刺々しくて、危なそうな花だ。だけど丸みを帯びていて、綺麗な紫色の花をつけている。
花言葉は確か…独立。他の花言葉は、あんまりプラスなイメージのない言葉だったりするけれど。母が俺の独立を願って付けてくれた名前だから。
俺にとっては、それだけでいい。一つしか花言葉を持たない花だ。
彼女に次の行き先を聞く。海だと答える彼女に、俺と桐野はツッコミを入れる。何の用意もないとか、そんなようなことを。
だけど、それでも楽しいんだと思う。
3人でいれば、それだけで。
その認識が変わらないからこそ、俺達は今も関わっているんだし。
…まだ、どちらかを選べと言われても困ってしまうけれど。そのうち、本気で考えなきゃいけないんだろうなと思う。
だけど、その時が来るまでは3人でいよう。明日を迎えるために。前を向いて歩く為に。過去を糧に、今を生きる為に。
今日も、君の死を想う。
死想 横銭 正宗 @aoi8686
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