48話
あの子が最後の時間を過ごしたであろう、9階の角部屋。今、俺達はそのドアの前にいる。
それはこの一ヶ月間の一連の行動を、終わらせるということに他ならない。…あの子が、他にヒントをくれない限りは。
俺達は意識的に、そこを避けてきた。そこを見てしまったら。そしてもし、そこに何のヒントもなかったら。永遠に未解決のまま、消化しきれない思いを抱えて生きることになるから。
だけど、今はそんなネガティブな思考も放り投げている。あの子の死を乗り越えるということは、つまりここで、どんな些細なヒントでも掴み取らなきゃいけないということだ。
ヒントはきっとある。俺達が、それを見つけられるかどうかなんだ。
あの夏の終わりに、どうにかケリをつけて。一ヶ月も延長してしまった夏休みを、終わらせなきゃいけない。生きるということは、そういうことなんだろうから。
「…なんか、緊張しますね」
彼女の表情は固い。きっと俺もそうなんだろうと思う。俺らの思考以上に、五感が、全身が、これで終わりだと告げていた。
「…じゃあ、押しますよ」
彼女はインターホンを押した。…角部屋という所は俺の部屋と同じで、だからこそ間取りもそう変わらない部屋。だけど住む人が違えば、そこは全く別の部屋だ。
あの子の部屋を訪ねるのは、俺にとって初めての経験だ。あの子が生きているうちに済ませておきたかったなんて、どうにもならないことが頭をよぎる。
『はい』
インターホンからは、女性の声が聞こえた。…きっとあの子のお母さんだろうと思う。
「円歌です、こんにちは」
あぁ、円歌ちゃん。ちょっと待ってね、という声が聞こえた後、ぷつんと音が途切れる。…俺は吐きそうなほど緊張していた。こんなに緊張したのは、人生で初めてかもしれない。
「こんにちは〜…あら、お兄さんも」
あの子のお母さんはこの間のお墓参りの時より、いくらか元気に見えた。俺と彼女は丁寧に挨拶をする。
「…春歌の部屋を、見せて頂きたいんです」
彼女は端的に、今日ここに来た理由を伝えた。あの子のお母さんは少し考えたあと、俺達を部屋に上げてくれた。2人がほぼ同時に発したお邪魔します、という声も、いつもより張り詰めているように感じる。
…全く知らない部屋だ。部屋の位置も、ドアの数も、全部一緒なのに。あの子の個室は、部屋に入ってすぐ右の、俺の部屋では広すぎる収納スペースになっている部分だった。
あの部屋のものを片付けたら、俺と2人は別々に寝ることができるんだけど。俺は片付けられずにいた。…母の物も、あの子の物も、あの部屋には詰まっているから。
「…何かあるかもしれないから、じっくり見ていっていいからね」
…ふと考える。あの子のお母さんは、あの子の死についてどう思うんだろう。もちろん俺が想像できないくらいに悲しいだろうし、やるせない気持ちもあるとは思う。
だけど俺達みたいに、死んでしまった理由を知ろうとしただろうか。…しなくても分かってしまうものなのだろうか。
それはそれで、辛いだろうなと思う。
あの子の部屋は俺にとっては予想通り、簡素なものだった。彼女は来たことがあるようで、自分の定位置であろう場所に座った。
「…久しぶりに来ました、この部屋も」
最後に来たのは?と聞くと、以外にも今年の春だという。つまりあの子が俺の部屋に来るようになってからは一度もないということだ。…彼女を見かけたことすらないように思ったのは、俺が他人に興味がないからではないらしい。
室内は思ったより、生活感がなかった。…あの日から一ヶ月も経っていれば、そうなってくるのかもしれないけど。それはこの部屋が飾り気がないからとか、そんなことではなく。
この場で生活をしている人が、もういないからだろう。ある意味、当たり前のことだけど、俺の心にはその事実が重くのしかかった。
「じゃあ、何か探してみましょうか」
そう言いながら、彼女は机の方に向かった。…分かりやすくヒントが広げてあるとか、そんなことはなかったので、俺達が自分で探す必要があった。
「…あ、懐かしい」
部屋を片付ける時のように、彼女は思い出に浸っている。…全人類が、そういうものなのかもしれない。
彼女が見ていたのは、二人で撮ったであろうプリクラだった。
「そういえばこれを撮る時、薊さんと全く同じ反応してましたよ、あの子」
彼女とプリクラを撮った時のことを思い出す。見せてもらうと、確かにあの子の笑顔はぎこちなかった。撮り慣れていないのが、見ただけでわかるくらい。
彼女はそんな思い出の品に、何を思うんだろう。きっと見せてもらっているだけの俺と違って、色んな思い出を引き出されているんだろうと思う。…半分、強制的に。
だけど、彼女は泣かなかった。次のヒントを探そうと、色んなものに手を伸ばした。…彼女はもう、あの子の死を乗り越えられるのかもしれない。そう思うとなんだか、取り残されている気がした。
俺とあの子はプレゼントを渡したり、一つのものについて語り合うことはほとんどなかったから、思い出と言えるようなものはあまりないように見えた。…強いて言えば、机の引き出しに入っていた、あの子が好きだったチョコレート菓子くらいのものだ。
…思ったより、あの子は素で生きていたのかもしれない。こんなものが部屋にあるなんて以外、と思えるようなものが、ほとんどなかった。
それはあの子に意外な一面が存在しないというよりは、素直に生きていたということに近いんだと思う。
あまり自分を表現することのない子なんだろうけど、その何倍か俺の方が自分を持っていなかったから、話すとすれば大概、あの子の話だった。それが多分、あの子の知らない側面の少なさの理由なんだと思う。
「あ、これって」
彼女が手に取ったのは、あの子の日記。…まぁ、付けているような気がした。あの子が過去の話をする時、いつも今起こっているみたいに鮮明に話してくれたから。
だからこそ、俺はここに来たかった。あの子の残した文章の中に、きっとヒントがあるだろうと思ったから。
彼女はページをぺらぺらと捲っていく。…本当は、俺にも見えるように開いて欲しい。だけど彼女が思い出に浸る時間も必要だと思って、俺は何も言わなかった。
彼女は日記を読む間、笑ったり涙したり、忙しく表情が変化する。思い出の多さとか、濃さとか、とにかくあの子と過ごした時間が、俺とは比にならないほど濃密なんだろう。…だから、俺は後でいい。
そのうち彼女は泣き崩れて、日記を落としそうになった。俺はそれを受け止めて、彼女が泣き止むのを待った。
「…なんで、そんな…」
彼女は、後に繋げるべき言葉をひとつも紡げなかった。それは涙に押し潰されて、意味がないものになってしまう。
俺は泣き止むまで、ただひたすら待った。…やっぱり人の死を受け入れるのは、容易なことではないと覚悟を固めながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます