47話
彼女と朝食を済ませると、びしょ濡れの桐野が部屋を訪ねてきた。俺はすぐにシャワーを浴びるように言って、桐野の服は彼女に、乾燥機にかけてもらった。
…特に意味がないと思っていた機能が、まさかこんな時に役に立つとは。
俺は家電の進化に感動しつつ、寝室の布団を畳む。
「おはようございます」
シャワーを浴び終えた桐野は、俺達に挨拶をした。
「…なんか食べる?」
桐野は、明らかに疲れて見える。いただきます、というので、先程俺達が食べたのと同じものを用意する。
「美味しい…20時間ぶりの食事…」
話を聞くと、徹夜でゲームをしたあと、すぐにバイトだったのだという。…なんと言うか、つくづく変な奴だ。
忙しいというよりは、忙しない。そんな言葉が似合う桐野から、目が離せない。多分そういう理由で、俺と桐野は今でも仲がいいんだと思う。
「これなんですか?」
桐野は部屋の飾りが仕舞われたビニール袋を指した。俺は昨日あの子の誕生日会をしたんだと答えた。
「…だから、妙な雰囲気なんですね」
そういえば、俺と彼女の間には、会話がほとんどなかった。眠気を抜きにしても、普段ならありえないくらいに。
「何か、別に気負わずいたらいいじゃないですか。誕生日会は誕生日会。あの子を想うことは、それとは別ですよ」
桐野はこういう時、妙に鋭い。俺が部屋の、気付かれないくらい細部の模様替えをしても、多分すぐに気付くだろう。それくらい、普段からものを見ているんだと思う。
「…そう、ですよね」
彼女は決意を固めたように、そう言った。
あの子は永遠になった。だけど、あの子を想う俺達の方は、別に永遠じゃない。考えれば考えるほど、考えるまでもない当たり前のことだ。
「私、これからもあの子のことを考えていいんですよね」
…あれは別に、終わりの儀式じゃない。あれをしたからと言って、特別何かを変えなきゃいけないわけじゃない。
それに気付かなかったのは、仕方のないことだ。俺だって起き抜けには、そう思っていたんだし。
「…で、郵便受けにこんなものが入ってました」
桐野は小さな紙包みを取り出して、俺に差し出した。
開封してみると、DVDのようなものが、ケースに仕舞われていた。
どうやら指定日配達で、昨日届いたものらしい。差出人の欄には、川原春歌という名前があった。…それは恐らく、あの子の名前だった。
「それ、見てみましょうよ」
俺もすぐに見たかった。…しかし、それには少し問題があった。
「うち、DVDプレイヤーないんだけど…」
期待に胸を膨らませた2人の表情は、一気に力が抜けたようなものになる。
「こういう時の為に、普通は用意しておくものなんじゃないんですか!?」
桐野に責められる。そう言われても。俺の頭に浮かんでいるのは、そんな言葉だけだった。
部屋にあるゲーム機は、再生機能があるモデルじゃないし。俺たちがこれを見るには、DVDプレイヤーが必要だった。
買いに行こうと俺が言うと、今はなんでもネットの方が安いです、と桐野に止められる。…結局、そのディスクの再生は、DVDプレイヤーの到着待ちということになった。
「久しぶりに、あの子の名前を見ました」
彼女は同じ学校だったから、あの子の名前を目にする機会も多かったんだろう。俺はというと、苗字を見たのは2度目だった。
こういうことが起きる度、やっぱり俺とあの子の間に、繋がりなんて殆どなかったんだなぁと思う。全てが偶然で、全てが曖昧で、全てが表面的だった。例えばあの時声を掛けなかったら、あの子と知り合うチャンスは永遠になかったんだろう。
そんな偶然に、改めて感謝する。その偶然がなかったら、いつまでも一人のままで、やがてそれを肯定するようになっていただろうと思うから。自分の生き方はこうだって、開き直っていただろうと思うから。
それはそれで、楽しい人生だったかもしれない。でも、今2人がいて、それを幸せだと思えているから。俺はあの子と出会えてよかったと、心から思う。
あの子に何を返せたんだろうなんて思う度に、辛くなってしまうけれど。それもいつか考えなくなってしまうことだと思うと、考えることをやめられない。何も返せなかったと悔いることをやめられない。
「…あの子がいてくれて、本当に良かった」
俺達は、同じようなことを思ったんだと思う。彼女の呟きに、俺も桐野も頷いた。
桐野だって、あの子が繋いでくれた縁だ。あの子を失わなかったら、俺は返事をしないまま、一生疎遠になっていたんだろうと思うから。
桐野もそれが分かっているから、あの子について知りたかったんだと思う。だからあの時、喫茶店に行こうという誘いに応じてくれたんだろう。
「私達は、まだ行ってないところがありますよね」
彼女に言われて、すぐに見当がついた。…桐野だけは、なんだか分かっていないようだった。
「どこなんですか?それって」
俺達にとって、あの子を知る上で一番重要で、だけど一番避けてきた場所。
「…あの子の家」
俺は桐野の問いに、一言で答える。
俺達が今まであの子の家を避けてきたのは、残されたご家族が住んでいるから。
あの子のお父さんやお母さんのことを考えると、行くべきではないような気がしていたから。…何より、そこに行って何もなかった時のことを、考えたくなかったから。
俺と彼女の気持ちは一致していて、お互いが最後の手段だと思っている。あの子が暮らした空間は、他にも沢山ある。だけどあの子が人の目を気にしなかった場所は、多分自宅だけだと思う。…それは、誰もがそうだ。
素の自分でいられて、誰かに隠し事をすることも、嘘をつくこともない場所。
だからこそ、あの子が何かを残した可能性が高い場所。
俺達の2人ともが知らない何かがきっとあると思った。…だけど、何もないかもしれなかった。
この一ヶ月間、ずっと何もない時のことを考えてしまっていた。だけど今は、門前払いでもいいから賭けてみたいと思えるくらいには覚悟ができていた。
…あの子の家に、行ってみたい。その場所に何もなかったら、その時はもう、諦めるしかない。
燻り続けて、喉元まで出かかっていた思いを、彼女が形にしてくれたなら。
俺はそれに答えるしかなかった。
「…私は、ここで寝てますから」
桐野はそう言った。
「薊と、まつりちゃんだけが、そこに行く権利があるんだと思います。私は関わったこともないし」
俺は彼女と目を見合わせる。…お互い、覚悟の決まった顔付きだった。
「…じゃあ、行ってみようか。あの子の部屋」
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