45話
最寄り駅に着いて、ケーキを取りに行くことになった。お洒落なケーキ屋さんだ。俺には一生、縁がないと思っていた場所。
彼女はすいすい入っていって、予約していたことを告げた。店員さんはにこやかに、お待ちしておりましたとケーキを取り出す。
…俺にはできないことのような気がした。このやり取りも、このお店に入るのも。
俺は先に出てるから、と言って、店の前で彼女を待つことにした。
どうしても苦手だ。お洒落な空間にいると、見下されているような気がして。そうじゃないと分かっていても、自分で決めつけてしまう。こういう場所にいていい人間ではないと。
だから、俺はそういうものとは無縁で生きていた。それが間違っているとわかっていても、そのままで。一度ズレた認識は、元に戻りづらいものだ。
やがて彼女が外に出てきたので、俺はお疲れ様、と声を掛ける。彼女は頭に疑問符を浮かべたような顔をしていたが、俺からしたらその挨拶で合っていた。
またいつも通り、家までの道を辿る。
不安になることもない、当たり前の行動。
その繰り返しが人生と言えば、そうなんだろうと思う。進歩のない歩み。それは矛盾しているようで、成り立ってしまう。それが家に帰るということで、それが日常を終えるということだった。
いつもより少しだけ浮ついた部屋。そこで、あの子の誕生日会は行われた。参加者は2人だけ。
夕暮れが過ぎて、夜になるまでの間。俺達はあの子についての話をしていた。話しすぎて、ほぼ同一人物になってしまった、あの子の話を。
どれだけ明確にあの子を描いても、あの子が何を考えたのかまでは分からない。何を考えてした発言なのか、または何も考えなかったのか、俺達には知る由もなかった。…あの子が生きていた頃は、それを疑問にも思わなかった。
「…なんで君は、死んじゃったんだろうなぁ」
俺の呟きに、彼女は反応しなかった。色々なことを思い出しているのかもしれない。
夜になると、俺達は無言になっていた。お互い何も言わずに、料理を準備したりした。…当たり前の、いつも通りの料理。誕生日会を気負わないように、そうした方がいいと思った。
当然、2人で処理しきれる量だ。どれだけあの子の為を思っても、あの子が笑顔で俺の料理を食べてくれることはもうないから。
彼女は俺の作った料理を、美味しそうに食べてくれた。俺はそれだけで、作ってよかったと思えた。…こんな一コマも、塗り替えられていくんだなぁと思った。切ないような、嬉しいような、複雑な気持ちだ。
彼女と過ごした日々は、未だ色褪せていない。俺にとって直近の記憶なのだから、当たり前だ。
だけどあの子との日々はどうだろう。何度もコピーされた書類みたいに、色がなくなっていくのをはっきりと感じる。手放してしまうには惜しいけれど。…ずっと檻に閉じ込めておく訳にもいかないもんなぁ。
あの子との思い出は、擦り切れて無色になってしまうほどに、繰り返し思い出されている。以前は覚えていたセリフでさえ、今はもう遠くて、思い出せない。
思い出して、忘れかけて、透明に還る。何を話しかけても、応答のないあの子と同じように。
やがて料理を食べ終えると、明るい雰囲気は戻ってきた。…というより、そうせざるを得なかった。
「ケーキ出しましょうか!」
彼女は元気に、そう言った。
お互いわかっている。これが最初で最後の、主役不在の誕生日会だと。これは過去を乗り越えるための、いわば通過儀礼のようなものなのだと。
「そうだね」
俺も笑顔で返事をする。…表向きの、意味のないやりとりではない。未来に遺恨を残さないために、俺たちはそうするほかなかった。過去しか持ち得ない、感傷に囚われて。その上で、笑うしかなかった。
ホールケーキに、18本の蝋燭。やはり、数字の形をしているものの方が良かったんじゃないだろうか。…でも、彼女がそうしたいと思ったのだから、それでいいのだろう。
「お誕生日おめでとう!」
おめでとう。俺もそう言って、燃える蝋燭を眺めていた。消してくれる人は、もういない。真っ暗な部屋で、頼り無さげな灯りだけが、俺達を映し出していた。
揺れている、単純な光。…あの子との未来という、存在しない何かを待っているだけじゃ、何も言えなくて。過去に向かって逆走する俺達に、すれ違っていく人も、何も言わないんだ。
だからと言って、立ち止まっているわけにもいかない。誰もが歩いているから。それを自分らしさだと誇っても、誰も気付いてくれるはずはなかった。…認めてくれるはずも、なかった。
だから前を向く。目を瞑っても、また開いて、前を向く。朝と夜の間に居続ける訳には行かない。次の朝に向かって、歩き出すしかない。
突然開けていた窓から強い風が吹き込んで、蝋燭の火は残らず消えてしまった。吹き込んだ風は、不自然なほど暖かかい。…電気を付ける。彼女はやはり、笑っていた。
「今の、あの子ですかね?」
…偶然でも、何でもいい。だけどあの子がいてくれたかもしれないという事実。それは確かに、俺達に充足感をくれた。
だけどこの瞬間、あの子は永遠になった。18歳を迎えられなかったという事実は、これから先もずっと変わらない。あの子は、永遠に17歳であり続ける。それは俺達がこんな事をしても、曲げられないものだ。
「…終わりましたね」
ケーキはあの子が好きだったというブッシュ・ド・ノエル。まるでクリスマスみたいな雰囲気だ。誕生日会にマナーみたいなものがあれば、だいぶ失敗だろう。だけど、それでいい。
俺達はあの子を永遠にしたかった。…そうしてあげたかったんだ。だから、抜けているくらいで丁度いい。完璧すぎることを、誰も望んでいないから。
ここで100点の誕生日会をしたら、それで終わろうと思ってしまうかもしれない。丁寧な飾り付けもなしにするくらい、普通でよかった。…いや、寧ろ不合格なくらいでよかった。
夜は更けていく。今夜も相変わらず、彼女は泊まると言った。俺は布団を2組敷いて、寝室の準備を終える。…今宵の月は、満ち切っている。それはまるで、俺達の誕生日会の点数みたいだ。
次に目を開く時、空は何色だろうか。青でも、黒でもいい。確かな時間の経過と、君を感じられたら、それでいいんだ。
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