44話

幸いバスは、ほとんど待たずに来た。これなら彼女が走るよりも早く駅に着くだろう。俺は乗り込んで、そう思った。


…俺の思いとは裏腹に、バスは普段通り進んでいく。俺はイライラした気持ちでいっぱいだった。


見渡す限り、田園風景が広がっている。そのどこにも、彼女はいなかった。何度彼女に電話を掛けても、出てくれることはなかった。


思えば彼女との繋がりなんて、彼女が家に訪ねてきてくれることしかなかった。俺はやっぱりな、と諦めようとする自分を、必死に奮い立たせる。


やっぱりなんて言葉を使わない。それが俺の、強くなるということだと思うから。頑張って頑張って、それでもダメだった時は。その時はにっこり笑うしかない。そういう運命なんだと。


やがてバスは駅前に止まった。

俺はバスを降りて、駅周辺を探し回る。


あの喫茶店を見つけた時みたいに、路地を一つ一つ覗いたりして。

…やがて、彼女を見つけた。彼女は座り込んで泣いていた。乱れた呼吸を整えて、彼女に話し掛ける。


「…言いたいことがあるなら、全部言いなよ」


彼女の目の前まで来て、俺はそう言った。彼女は言いたいことなんてありません、と立ち上がって、逃げようとする。


「確かに俺は、俺一人であの子の誕生日を祝うことを気持ち悪いと思う。だけど君がいるから、それに意味があると思えるんだ」


俺は説明する。彼女とするならば、何か新しい発見があるかもしれない。そう思って、誕生日を祝うことを了承したのだと。


「…自分を蚊帳の外だと思ってしまう気持ちも分かる。俺にもそういう過去があるから。だけど俺は、君を当事者だと思ってる。だからこそ君と過ごす日々を大切だと思ってるし、君といたいと思ってる」


俺が言い終えると、彼女は立ち止まって、その場で泣き崩れる。俺はしゃがんで、彼女と目線を合わせる。


「言いたいことがあるなら、はっきり言って欲しい。俺は嘘をつかないし、ちゃんと答えるから」


彼女はごめんなさい、と何度も繰り返し呟きながら泣いている。…周りからどう思われているんだろう。人目につかない場所でよかったと、心底思った。


「…私、ずっと、何をしてきたんだろうって思って」


彼女からしたら、青天の霹靂という奴だろう。もしくは、 寝耳に水、だろうか。とにかくそのくらい突然、大きな事実を突きつけられた。自分が蚊帳の外だったと思った。そういうことなんだろう。


「そしたら、今までの自分の行動が、馬鹿みたいだって思ってしまって」


事実を隠したまま死んでいった友達のことを考えたら、当然そうなるだろうと思った。あの子は俺達に、それを見つけられたくなかった。なのに俺達は無遠慮に、それを知ろうとした。…いや、知ってしまった。


「…あの子の為を思うなら、私はもう忘れてしまいたいって」


あの子からしたら、本当にそうなんだろうと思う。早く忘れて欲しいと思っているだろう。


「だけど、それは私にはできなくて…!」


…俺だってそうだ。あの子をなかったことになんてできない。だからこそ、俺はさっき彼女に反論した。


「…復讐に近いのかもね」


俺はそう呟いた。彼女の気持ちも、あの子の気持ちも、痛いほどわかる。例えば俺が病気なら、それをバレないように生きていくだろう。俺の前で明るく振舞った母のように、まだいなくなったりしないよ、という態度を取るだろう。


だけど、俺がそれをされた時、なんでもっと辛そうにしてくれなかったんだって思った。あの時、俺が涙を流せなかったのは。母の辛そうな顔を一度も見たことがなかったからだ。母は死ぬべくして死んだんだって、なんとなく納得できていたからだ。…それは俺が、蚊帳の外だっただけなのに。


だからこそ、俺は今もあの子のことを考えている。あの子が忘れて欲しいと思ったのと同じくらい、俺は覚えていたいと思っている。


それはまさに復讐と呼ぶに相応しい、残された者にしかできないことだ。


「俺達はあの子を、忘れたいと思えないから。あの子にとっては嫌でも、あの子を覚えていたいと思わせたのは、あの子自身なんだよ」


あの子からしたら迷惑だろう、なんて気持ちは一ヶ月前彼女と、あの子の死の理由を探しに行くと決めた時に捨てていた。


「…だから、俺達は俺達のしたいようにしよう。それに文句を言える人なんて、もういないんだから」


それはあまりにも悲しすぎる現実で、それに抗う為の術。夢みたいだったあの子の死を飲み込むための、非現実的な日々。


それが俺達の一ヶ月間なんだと思う。


「…分かりました。ケーキ、取りに行きましょう」


彼女は立ち上がって、俺に手を差し伸べた。目は真っ赤だ。だけど瞳は強く、前を見据えていた。…さっきは適当な言葉で彼女を肯定したような気がするけど、確かに強くなってるよ。それは伝えずに、彼女の手を取った。


電車の中で、珍しく俺達は会話をしなかった。さっきしたんだし、当たり前なんだろうけど。何となく居心地が悪くて、俺は話を振った。…どうでもいい話題しか出なかったけれど、彼女はちゃんと応答してくれた。


俺達の距離感も、一ヶ月の間に随分縮まったような気がする。俺は最初、どうでもいい話でもしたいと思えなかったし。そもそもあの子の友達というフィルターを通してしか、彼女を認識していなかった。


そのフィルターが取り払われたのは、いつ頃だったんだろう。…彼女が俺に想いを伝えてきた頃くらいだろうか。同じ境遇を持つ相手を好きになること。それは多分あるのだと思う。吊り橋効果とか、そんな名前のついたものだ。


俺達はあの子を介して知り合って、やがてあの子無しでも関われるようになった。それは多分あの子が望んだことで、随分最初の方からあの子は、死ぬことを決めていたんだろうなと思う。


だからこそ、自分と関わった人間が孤独にならないように。何も伝えずに、死んでいったんだろう。…初めて、あの子の気持ちが理解できたような気がした。


勿論あの子の目論見通りにならなかったことだってある。他の誰かがいれば自分を忘れてくれるだろうなんて、随分見通しが甘いじゃないか。俺はあの子にそう言ってみたくなった。どういう表情をしてくれるかな。


あの子が死んでからの方が、寧ろあの子のことを想っている。今日も、明日も、明後日も。きっと君の死を想うんだろう。俺だけじゃなく、あの子と関わった全員が。


いつも通りに進んでいく電車の中で、いつも通りそんなことを思った。

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