43話
遠い昔のことを思い出した。
彼女のように、なんで自分だけ、と思ったことを。
友達と呼べるような人もできず、父も母も家にいない。俺は孤独だった。どうしていいか分からなかった。…だから、その原因は俺にはないと開き直った。
俺だけ何も知らされず、ただ何となく察して、母の死を待つだけだった。誰に言われるでもなく、自分でそうすべきだと思った。
だけどやっぱり、それは理不尽だった。
どうにもならないことだけが、俺の体に積み重なっていた。度重なる転校とか、母の死とか。俺に原因がないのに、俺が辛くなる何かが。
彼女の涙は止まらなくて、俺はそんな彼女を懐かしいとすら思う。昔の自分に重ねてしまう。仕方ないことなのに、納得できない。それは多分、誰の人生にも起こり得ることだ。…大小の違いはあれど。
石川さんもきっと、彼女の気持ちは分かっている。だけどもう、どうしようもなく大人なんだ。だから、仕方ないと飲み下すことができる。…まだ子供のままの食道では、それはどうしても喉につかえてしまう。それは声にならない悲鳴となって、やがて涙に変わる。そういうものだ。
…やがて、彼女は泣き止んだ。赤い目をして、心配掛けてごめんなさい、と笑う彼女は、痛々しく見えた。
「…さて、お話の続きをしましょう!」
彼女は元気に振舞ってみせる。…無理をしているのは目に見えていた。だけど俺も石川さんも、それを言うことはしなかった。彼女がそれでいいなら、そうしてあげようと思ったから。
…これが彼女なりの、強くなるということなのだと思うから。
「そうねぇ…まず、春歌ちゃんの普段のことについてお聞きしたいわ」
彼女はハキハキと、あの子の学校での生活について話した。
それは俺の知っているあの子そのもので、俺と彼女の間に認識のズレはそんなにないように思えた。
それも多分、彼女といる期間が長いからなんだろうな。彼女の言うあの子と、俺の言うあの子が、いつの間にか近付いて見えるようになったんだ。
「…貴方といる時は、どうだった?」
俺に話を振られる。俺は答えに詰まる。どうだったんだろう。あの子というものが、この一ヶ月間でわからなくなり始めていた。…いや、ちゃんと覚えている。あの子とどう過ごしたのか。だけど、あの子がそれをどう思っていたのか、それが全く分からなかった。
「ごめんなさい、少し辛い質問だったわね」
石川さんは俺の言葉をそう解釈してくれて、俺にその続きを求めることはなかった。…助かった、と思ってしまう自分に、嫌悪感があった。
「…じゃあ、亡くなる直前に、あの子に変化はあったかしら?例えば…学校を休むようになった、とか」
石川さんは彼女の方を見て言う。彼女は少しも考えることなく、ありませんでした、と言った。とても悔しそうな表情で。
石川さんは何かを書き留めて、それからメモ帳を閉じた。
「ご協力ありがとう。今日のことは他人に漏らしたりしないから、安心してね」
そう言って、石川さんは去っていった。
それにしても、質問をされている間俺は冷静だった。あの子が死んでしまう可能性のある病気を持っていることと自殺したことの間に、関連性を見い出せないような気がした。
「さ、私達も手を合わせましょう」
彼女は明るく言った。…不必要な程に。彼女にはそう振る舞う必要があるということを、痛いくらいに感じていた。
「…薊さん?」
彼女は二歩ほど歩くと振り返って、俺の名前を呼んだ。今行くよ、と俺が追いつくと、彼女は俺の横を歩いた。
あの子のお墓は綺麗にされていて、俺達は軽くなぞるように拭いたり、水をかけたりした。
彼女の方から、あの子に手を合わせた。…長くなるんだろうな。俺はそんな風に思いながら見ていた。しかし予想に反して、彼女はすぐ俺に順番を譲った。
俺はあの子に誕生日おめでとう、と告げる気だった。しかし手を合わせた瞬間に、それは間違っているんじゃないかと思い始めた。あの子は誕生日を待たずに命を絶った。だから、おめでとうと言う言葉は、間違っているんじゃないかと思った。
…だけど、本当の気持ちを伝えることにした。18歳の誕生日、おめでとう。君が生きていればもっとそう思えただろうけど、君はもういないから。だから返事を貰おうとしない、空虚な言葉だけど、受け取って欲しい。
それだけ告げて、俺は立ち上がった。彼女に声を掛けて、霊園を後にする。
「…あの公園、行ってみる?」
俺が聞くと彼女は珍しく、それを否定した。それならそれでいいか、と思って、バス停までの道を歩くことにした。
「やっぱり、死んだ人のお祝いをするなんて変ですよ」
彼女はそう言って、今日は帰ると言い始めた。いつもなら止めることはないが、俺は彼女がそう言う意味がわかってしまった。
「…あの子のことを忘れるのは、強くなるってことじゃないよ」
俺がそう言うと、彼女は目を逸らした。
「それは薊さんがそう思うだけ、ですよね」
彼女の語気はいつもより強くて、なんだか意地のようなものを感じた。
「私は祝える気持ちじゃないんです。…それだけです」
バスを待たずに歩き出す彼女を追いかける。
「じゃあ…ケーキはどうするんだよ。あの部屋も、もうあの子の誕生日のために飾り付けたんだ」
俺も語気を強める。
「薊さんが祝いたいと思うなら、そうすればいいんです。とにかく私は、死んだ人の誕生日を祝おうと思えないので」
彼女の方が足は速い。俺は置いていかれそうになりながら、必死に彼女に話しかける。
「そりゃ随分勝手なんじゃないか、話を持ちかけたのは君の方だろ」
彼女は立ち止まって振り向いた。
「…私は、もう死んだ人のことなんて考えたくありません。それって気持ち悪いじゃないですか」
気持ち悪い。そう言われて、頭に血が上るのを感じた。…だけど、何を言っても八つ当たりになるような気がして、俺は何も言えなかった。
「ここで黙るってことは、薊さんもそう思ってたってことですよね?誕生日を祝うなんて気持ち悪いって」
…そうじゃない、とは言い切れなかった。証拠は自分で示してしまった。確かに周りから見れば気持ち悪い。でも、彼女とならば、意味がある何かになると思っていた。
「皆、私に本当のことなんて言ってくれないんだ。こんな私に、誰かが味方してくれるわけない」
彼女はそれだけ言い残して、走り去っていく。…俺は追いつく為に、バスに乗ることにした。
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