41話

…今日は、あの子の誕生日だ。部屋の飾り付けは、彼女が来てからでいいだろう。

あの子の誕生日だから、あの子のことを考えて過ごそうと思っていた。それなのに、夢のことが忘れられない。


胸騒ぎに近い、心のざわめきがある。予感じみていて、だけど信じ抜けるわけではないような不確かなものだ。何がこんなに引っ掛かるのかは分からない。だけど、あの時見ないフリをした、同級生がいなくなる事実。それにある意味惹かれているんだろうなと思った。


「…まぁ、気にしても仕方ない」


呟いて、諦めようとした。気にしても仕方ない。自分に言い聞かせるように、何度も唱える。

死んでしまった人は戻らない。今抱えなくちゃいけないのは、遠い過去への暗い優越感ではない。


今日は大事な日だ。あの子の死を乗り越えるための、あの子を忘れないための、あの子が存在したことを証明するための。

そう心に刻んで、一日を始める。


青天井。そんな言葉が似合う今日という日は、空が好きだったあの子によく似合う。

何もかも、嫌になってしまった時。空を飛びたいと思う心。それは俺が感じ続けて、ついに実行には移さなかった衝動の一つだ。


地面に叩きつけられる感覚に襲われる夢を、何度も見たり。落ちていく感覚が怖かった。

俺は逃げる事も、歩く事も選ぼうとはしなかった。自分で選ぶ何かにずっと自信がなかった。それが失敗した時、やっぱりなと冷めた目で見る自分が嫌だった。


今もきっとそうなんだと思う。彼女も桐野も失って、俺はやっぱりなと言うんだろう。やっぱりこうなった。それしか感想はないだろう。だけど、そうならないように精一杯頑張ることはいつだってできる。


無感動に生きる方が楽で、無感情に生きる方が簡単だ。だからこそ、俺は辛いほうを選びたいと思う。それが真摯に人と向き合うということだと思うから。


何度言い聞かせても、変わったなぁと思えるほどの変化は訪れない。緩やかな時の中で、緩やかに変化していく自分にその感覚がないのは、当たり前のことだ。それが不安でしかないのも。


何度も何度もそうやって、自分に暗示をかける。

そうすることで、目標が明確になっていく気がするから。俺は今日も生きている。ただ生きているだけじゃなく、明日も生きようとして生きている。


「…まずは目の前の、今日を生きるんだ」


自分に言い聞かせてみる。何だか不思議と、この世界が魅力的に見えてくる。

こんな簡単な自己暗示でも、たまにはしないといけない。

そうじゃないと目標を見失ってしまって、真っ暗な闇に呑まれてしまう。


ピンポーン。


インターホンが鳴って、俺は現実に引き戻される。玄関まで歩いていき、ドアを開ける。そこには彼女が立っていて、プレゼントらしき紙袋を両手で持っていた。


「おはようございます、薊さん!」


時計を見ると、まだ朝9時だった。早すぎるんじゃないかと思うが、遅刻されるよりはマシだ。


「おはよう」


そう返して、部屋に上げる。コーヒーを淹れて、ゲーミングチェアをくるくる回す彼女に持っていった。彼女はカップを両手で受け取って、ありがとうございます、と微笑んだ。


何だか初めて会った時のことを思い出す。彼女と出会ったのは、もう一ヶ月ほど前のことだ。俺はあの日、彼女が俺を罰する悪魔に見えた。…悪魔という表現も、実際間違っているのかもしれない。俺には彼女が、天からの使いみたいに見えていたから。


磔にされて、罪状を読み上げられるような気分で、彼女の話を聞いたのを、未だに覚えている。それくらいに、俺には罪の意識がはっきりとあった。それが何故だったのか、今となっては覚えていないけれど。


あの子が俺に会って、何を感じたのか。未だに俺は、それを掴めずにいる。何であの子が俺を気に入ったのか。…そして、何で死んでしまったのかも。死因の欠片すらも見つけることができずに、ずっと何でを繰り返している。


「…そろそろ飾り付けしましょうか!」


彼女はいつの間にかコーヒーを飲み終わっていて、ぱん、と手を叩いて提案した。そうだね、と返して、ハサミやカッターを手渡す。


「それはそっちで…それはここ」


薊さんの部屋だから、薊さんの方がわかるはずです。彼女がそう言ったので、指揮をとることになってしまった。…正直、飾り付けのことなんて一つも分からない。


「あ、ここはこうの方がいいかも」


俺の思い付きで、飾り付けた場所まで手直しすることになる。彼女はそれに文句一つ言わず、黙って直してくれる。


「ごめんね、付き合わせて」


玄関の飾り付けが終わった時、彼女にそう言った。


「いいんです、最高の誕生日会にしたいですから」


振り向いて笑う彼女は、やっぱり俺なんかより強くて。俺はありがとうと控えめに言うことしかできなかった。


彼女のおかげで、部屋の飾り付けは無事に終わった。彼女は部屋を見回して、満足げに笑う。…俺も正直、ここまでパーティじみた部屋になるとは思っていなかった。壁面だけでなく、部屋の隅まで飾り付けがされていて、いつもより賑やかに見える。


「…じゃあ、まずはあの子の所に行きましょうか」


俺は頷いて、外に出る為の準備をした。パーティ会場みたいな部屋のドアを閉めて、鍵をかける。そこはいつも通りの、平穏な世界だった。駅までの道のりはいつも通り平凡で、何度も歩いてきた通りの歩き方で、一歩一歩進んでいく。


この季節でも、吐く息は少しだけ白い。冬はすぐそこまで迫ってきているようだ。毎年確かに変わっていく季節を、目や肌や匂いで感じる。


「ちょっとずつ、寒くなってきたね」


俺が言うと、彼女はそうですねー、と言った。毎年変わっていくものなのに、移り変わるたび新鮮さを感じて、こんな風に誰かとその感覚を分かち合っている。


「…寒いですね」


彼女は確かめるように、口に手を当てて息を吹きかけた。

寒いね、と返して、ポケットに突っ込んでいた手を出してみる。

風が吹いて、指先が冷たくなる。…もう少し分かりやすく、季節が移り代わってくれればいいのに。暖かい日と寒い日を繰り返して、段々寒い日が多くなっていくこの季節は、はっきり言って生きづらい。


だけどこうやって、辛いことを辛いと言い合える人がいれば、それもいいのかもしれない。そう思って彼女に話をすると、思ったより強めに同調してくれた。毎日何を着ていけばいいのか迷います、という話に分かるよ、と返すだけで、なんとなく楽になるような気がした。

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