40話

取り残された俺は、やっぱり一人で寝るほかなかった。慣れきっていた感覚だというのに、辛いと思うようになってしまった。


一人でいる時の方が、人は強いのかもしれない。下手に人と過ごしてしまうと、いざ一人にされた時、押し寄せる不安の波に耐えきれなくなってしまう。


考えても無駄なので、早く寝ようと思った。…そういえば、最近あの子の夢を見ない。あの子が出てきたことしか覚えていなかったけれど、きっと大事な夢だったはずだ。


俺は必死に、その記憶を思い返してみる。あの子が飛び降りようとする夢は、明確に覚えている。あの子と2人、どっちを選ぶかを聞かれたことも。


俺は、2人を選んだ。あの子は正解だと言った。生きている世界と、死んでいる世界。多分そんな話だ。

…その前に、どんな夢を見たんだろう。


漠然としたイメージも沸かないくらい、遠い記憶のように感じる。

夢というのはそういうもので、覚えている方が不思議なものだ。だから覚えてなくて当然なんだけど。


どうしてか、それが大事な夢のように思えた。…だけど一つも思い出せないまま、俺は眠りについた。


今日は、落ちていく感覚はなかった。…大事な夢だ。そんな気がした。

俺が座っていたのは、見覚えのある四角い部屋だった。黒板があって、同じ机と椅子が並んでいて。


…この教室は、中学生の時のものだ。俺は自分の着ていた制服で、そう気付いた。

クラスメイトは一人もいなかった。多分、いても一人も覚えてはいないだろうけど。

そのくらいに、中学の時の記憶は薄かった。変な時期に転校してきた俺は、誰とも関わろうとしなかった。そしてそんな俺に、誰も関わろうとはしてくれなかった。


あの時はなんで、誰かに声を掛ける難易度や、等身大の自分を曝け出す難易度が高かったんだろう。

それとも、あの時をちゃんと過ごさなかったから、俺は今でもへらへらと作り笑いを浮かべるんだろうか。


頬杖をついて、グラウンドを眺める。俺はこんな席だったんだっけ。俺の隣の席と左奥の席が、何故か無くなっていた。


こういういじめをするようなクラスだったのかなぁ。関わりが無さすぎて、俺にはよく分からなかった。

思い返せば俺は、この教室でずっと死に続けていたんだ。多分、本当に死んでしまいたかったし。

誰とも関わりを持たない、生きる容器みたいだった俺の中で、記憶が蘇っていく。


…そうだ、俺の隣の席の女の子は。

グラウンドの真ん中で、女子中学生2人と先生が遊んでいた。2人とも、見覚えのない子だった。


俺は昇降口まで降りて、グラウンドに足を運んでみる。

宮内先生…と、名前しか知らない2人。

2人とも、学校に来たことはなかった気がする。…何度かはあるのかもしれないけど、俺は覚えていなかった。


ゆきちゃん、はるちゃんと呼び合う2人の顔も知らないのに、同級生だという事実はある。

宮内先生も、あの2人も。楽しそうに遊んでいる。…もう学校には、どちらの椅子もないのに。


でもこれが、どう大事な夢なのかはわからなかった。そしてこの2人が、なぜ教室に現れなかったのかも。

ただ、帰っていく彼女達を見送るほかなかった。


2人の背中が見えなくなったあと、宮内先生は寂しげに笑った。


「あいつらも、本当は学校に来たいだろうになぁ」


今日はおそらく日曜日で、中学校には人が少なかった。グラウンドにも人はいなかったし、残っている先生も、多分宮内先生だけだ。…これは多分、あの2人と関係があるんだろうと思った。


「…あんな病気さえ、なければなぁ」


体育倉庫の鍵を閉めて、宮内先生は上着を羽織る。

掃き出し窓から直接職員室に帰っていく宮内先生を、俺は静かに見送った。


…何だか、そんな噂話を聞いたことがある気がした。あの2人が学校に来られない理由。そしてそれを宮内先生に問い質した時に、口篭っていたということも。


目が覚める。

ぼーっとした頭で、今日の夢のことを思い出していた。なんだか珍しい夢を見たような気がする。…頭に残っていたのは、昔のクラスメイトがかかっていたと噂になった、謎の病気だった。


俺はその病名を、スマホで調べてみた。小児期に発症すると、致死率の高い病気だそうだ。

俺のクラスには不登校の子が2人いて、どちらかがその病気だったと聞いた。


俺はしばらく、その病名でヒットしたサイトを流し見ていた。なんとなく、気になって仕方なかったから。

すると、中学生くらいの子の闘病記録、というようなサイトが出てきた。おそらく親御さんが個人的にやっているサイトなのだろう。最後の投稿は、多くの応援をありがとうございました、で止まっている。


ログを遡っていると、ゆきという名前であること、生きていれば俺と同い年であることが分かってきた。…やっぱりあの噂は、本当だったんだろう。


聞いたこともないような検査を受けてピースする写真や、今日は元気そうです!と注釈が振られている写真の顔は、全てモザイクがかけられていた。


…そうか、あの顔も名前も知らなかった同級生は。確かにこの世に存在していて、そしてもういなくなってしまったんだ。


おそらく親御さんの意向なのだと思うが、同級生に黙祷するようなことはなく、ただなし崩し的にいなくなった2人は、ちゃんと生きていたんだ。俺が知らなかっただけで。


最後の投稿に、気になる記述があった。


『…退院していったあの子の親御さんは、同じような悲しみを味わわないで欲しいなんて、勝手に思っています。』


俺にはなんのことだか分からなかった。…結局、夢に意味なんてないのかもしれない。

俺が見た夢が、たまたま本当のことだったという、それだけなんだろう。

関係がなくはない誰かの消息が分かっただけに思えた。


いや、意味がないわけではなかった。中学生の頃見ないようにしていたことに、またこうして向き合えた。どうでもいいとか、だから何だ、と脳をシャットダウンしてしまうより、よほどいいと思えた。


『はるちゃんのおかげで、あの子も幸せだったと思います』


そう添えられた写真には、ゆきと呼ばれる女の子と、それより5cmほど背の高い、はるちゃんと呼ばれる女の子が写っている写真があった。…一時帰宅の最後の日に、はるちゃんに頼んで並んでもらったのだという。


幸せって、難しい。俺にはとても、この子の14年間は想像できないから。何を経験できて、何を経験できなかったのかすらも。


俺はそのサイトを閉じて、顔を洗う。…無愛想な顔が、少しだけ歪んで見えた。

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