番外:独白
ただ生きているだけの、容器のような私。それに意味なんてないんだと、ずっと思っている。
病室はいつも孤独だ。誰がいても、いなくても。窓を開けると吹き込んでくる風も、世界を等しく照らす太陽ですらも。
私はここで一人、ずっと死に続けるんじゃないかと思う。生きているのに、生きていることを誰にも認識してもらえないから。
私がどれだけ精一杯生きても、誰の目にももう長くはない人として写ってしまう。私はそれが嫌で、何とか生きている自分を誰かに見せたかった。…こんなもので、死んでやるもんか。私はずっとそれだけを考えていた。
私の街に大きい病院はなかったから、引越しをして大きい病院に入るしかなかった。父も母も、私の病気のことは気にするけれど、私のことは気にしてくれない。聞かれるのはいつも体調のことで、私は嫌になってしまっていた。
…私はなんで、こんな風に生きることになってしまったんだろう?
考えた所で、答えは出るわけがなかった。
「…今日も一人だ。寂しいなぁ」
寝付けない夜の、真っ暗な病室。私はそれが苦手だった。
…そういえばここには、私と同じ病気の子がいるらしい。世界にも症例が少ない病気だから、珍しいそうだ。
別に、それ以上でも以下でもない。私には関係のない話だ。同じ病気だからと言って、それが何になるんだろう。
その子の方が症状が重いらしく、明日も知れぬ身だという話を、母から聞いた。…私もじきにそうなるんだろうなぁ。そんな風に思いながら聞いたのを覚えている。
眠れない夜を明かす為に一人考え事をしていると、たったったったっ…という軽い足音が聞こえた。恐怖心と好奇心のせめぎ合いの末、私は廊下に出てみることにした。
…黒髪の女の子が、廊下を走っていった。
面会時間がとっくに終わっていることを考えると、入院患者だと考えるのが妥当だろう。私はあとを着いていくことにした。
女の子は私より、年上に見える。顔も身体も大人になり始める時期だ。私とは違う。
女の子は必死に何かを呟きながら、私の近くの病室で止まった。…ここは、隔離病棟の一角だ。この女の子もきっと、もうすぐ死んでしまう身なのだろう。
「神様なんかいるもんか…」
女の子が睨む、窓ガラスの先。私は知っていた。ここには、私と同じ病気の女の子がいる。
…私より、症状が重くても。こんなに想ってくれる友達がいたら、それでいいじゃないか。
私は醜い嫉妬心を抱えて、自分の病室に戻った。
忘れないように誓わなきゃ。私は一人でいるんだって。
そう唱えて、私は目を瞑った。不思議と、眠気がやってきた。私は抗わずに、そのまま眠ってしまった。
…目が覚めると、先生は笑顔だった。父も母も、笑っていた。
私は状況が飲み込めなくて、先生を見つめる。
「…病状も、問題ないでしょう。定期的にこちらに来てもらう必要はありますが…」
どうやら、外に出られるみたいだ。…私が家に帰れるようになる度に、父も母も喜んでくれるけど。期待したものを見せられて、それから奪われることの辛さを、この人達は知らないんだろうな。
…だけど私ももう、大人にならなきゃいけないから。喜んでいるフリくらいはしよう。そう思って、父と母に笑顔を向けた。
さぁ、また地獄みたいな日々の始まりだ。この間は一年間。今回は何ヶ月、自由でいられるのだろう。流れそうになる涙を、精一杯堪えて。私は病室から一歩踏み出した。
病院から出る前に、この間女の子が睨んでいた窓ガラスの先を見てみる。
…私と同い年くらいに見える女の子が、口からは灰色の管を伸ばしていて、腕には無数の針の跡。輸血用の袋に入った液体を注がれるだけの入れ物と化したその子は、浅い呼吸を繰り返していた。
その女の子は、私と同じだと思っていた。私と同じように、孤独に生きるだけの入れ物だと思っていた。
…全然違う。
この子はもう、生きているとは言わない。私は溢れる涙を押さえようと、顔に袖を押し付けた。
何も同じなんかじゃなかった。私の方が、恵まれていたんだ。
私はこの子みたいに、外を知らないわけじゃない。入れ物にされているわけじゃない。ずっと、被害者面をしていただけだったんだ。
「ごめんね…」
私の口からは、そんな言葉が溢れ出た。母が優しく、私の頭を撫でてくれた。…この子は、こうしてもらったこともないのかもしれない。そう思うと、やっぱり涙は溢れて止まなかった。
帰り際、笑顔で見送ってくれた先生はこんなことを言った。
「この先何も症状が出なければ、もうここに帰ってくることはないからね」
父と母は、そんな先生に涙ながらに感謝した。…そうだ。私だって愛されている。私がそれを見ないようにして、周りと比べていただけだ。
もう手紙も来なくなった私にだって、愛してくれる人はいるんだ。私はあの子とは違う。普通の幸せを、これから続けていけるんだ。
…胸が痛む。
あの子と、この間の子は、きっと一緒だ。鳥籠の中で、2人なりの幸せを見つけようとしている。
死までの猶予がないことを、2人ともわかっているんだ。覚悟していても突然訪れるそれを前に、今を精一杯生きている。
それを生きていると認め合えるのはお互いだけで、だからこそお互いを必要としている。
私はそうじゃない。あの子達と同じじゃない。
その事実は私の中で、複雑な感情となって渦巻いていた。ある種の優越感と、それを感じてしまうことへの罪悪感。感情の主成分は、多分それだ。
幼い私はそれをモヤモヤと呼んで、積極的に見ないフリをした。私とは関係ない。それだけをずっと唱えて、父の車に乗り込んだ。
帰り道、振り返った病院の、病室の一つ。窓ガラスの先を睨むのと同じ目で、黒髪のあの子が私を睨んでいた。
――そんな昔話を、私はずっと覚えている。あの目も、そしてあの時思ったことも、今も大事に抱えている。
普通の幸せなんて、どこにあるんだろう。私は病気でさえなければ幸せになれるって、なんで勘違いしていたんだろう。
咳が止まらなくて、寝付けない。幸せを見ないまま、私は昔に戻ってしまうんだろうか。
私の人生は砂時計みたいだ。また逆さにされて、あの時に戻されてしまうのだろうか。…もうとっくに、孤独じゃなくなってしまったというのに。
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