第39話
スーパーに着くと、彼女は昨日と同じように野菜を選び始めた。何を買うとも告げていないのに真剣に吟味してくれるので、まぁそれでいいか、と思う。
「今は人参が旬です!」
意気込んで人参を選ぶ彼女を微笑ましく思いながら、俺も食材を買っていく。
この時期はもう夜も寒いし、スープでも作るか。ソーセージやじゃがいもをカゴに入れていると、彼女がやっと人参を選んで持ってきた。
「これが一番美味しいと思います!」
自信満々だ。俺が使わなかったらどうするつもりなんだろう。…まぁ使うけど。
彼女の選んだ人参をカゴに入れて、色んなコーナーを見て回る。俺は気分でしか自炊をしないが、売っているものでメニューを組み立てていくこの時間は好きだ。
「…さて、こんなもんか。帰ろっか」
彼女に声を掛ける。
会計を済ませて、外に出る。日は暮れ始めていて、街はオレンジ色に染められていた。
…にしても、何時に帰ってくるのかくらいは聞いた方が良かったなぁ。そんな風に思いながら、家までの道を辿る。
大通りではいつも通りカラスが鳴いて、いつも通りチャイムが鳴って。いつも見続けてきた街は、いつも通りを繰り返している。…いや。
この街すらも、変わらないようで変わっている。変わらないままで変わっていく。マイナーチェンジを繰り返して、10年も離れれば知らない街みたいに見えるだろう。
ずっと立ったままと踏んで建てられた商業施設は親会社が倒産して無くなった。誰かが住み続けた木造家屋も自然災害で無くなった。…変わらないものなんて、一つもないんだ。
だから俺は今日を生きている。今日も生きている。変わろうとし続けて、変わるまいとし続けて、今歩いているここにいる。それを教えてくれたのは、もう変わることのできない、代えることのできない人だ。
俺はこの街に愛着がある。愛も哀も酸いも甘いも経験できたのはこの街だ。あの消えかかった街灯の下で、車止めにもたれるあの子を見つけたのが始まりだ。それまでの人生を全否定された気になって、それでもそれが気にならなかったあの子との時間が事の発端だ。
始まってしまったら、終わるしかない。スタートの合図が鳴ったら、ゴールまで走るしかない。それを今、重圧とは思っていない。…どこまで行けるのかも、よくわからないけど。
「薊さーん!遅いですよ!」
彼女は20mほど先にいた。俺は今行くよ、と告げて歩き出す。こうやって物思いにふけると立ち止まってしまう癖も、そろそろ直さなきゃいけない。…そうだ、煙草を買わなくちゃ。
俺は彼女に追い付いて、コンビニに入る。…桐野が雑誌の立ち読みをしていた。
「あ!まつりちゃん!」
彼女は桐野に話し掛ける。桐野は相当集中していたようで、ビクッと肩を揺らして振り向いた。
「あぁ、円歌ちゃん…と、先輩」
彼女を見て表情を弛めた桐野は、俺に気付いて表情を歪めた。…何だか嫌な予感だ。
「…何してるんですか?私に黙って」
お前だって彼女に黙って出掛けたことぐらいあるだろ!と言いたかったが、そうすると彼女にも責められそうだったので黙っておく。
「まぁ、色々あってね」
苦笑いで誤魔化すと、桐野は立ち読みに戻った。
「薊さん、お父さんは何時に帰ってくるんですか?」
彼女に聞かれて、聞いてないと答える。すると桐野がこちらに歩み寄ってきた。
「お父さん帰ってくるんですか?聞いてないんですけど」
桐野は俺を責めるように言う。俺も今日の朝聞いたし、それは仕方ないと思うんだけど…。俺に弁明する隙を与えずに、桐野はお邪魔しますね、と言った。拒否権がないみたいなので、了承する。
煙草を買って外に出ると、2人は車止めにもたれて待っていた。…何だかあの子みたいだ。それを嫌だとは思わなかったけれど。
「じゃ、帰りましょう!」
彼女が先を歩いて、桐野が隣を歩く。いつも通りだ。部屋に戻ると、締めたはずの鍵が開いていた。
「おう、おかえり…」
父は俺に挨拶をして…絶句した。
「…お前、いつから女の子を侍らすようになったんだ?」
父の素っ頓狂な顔が面白くて、俺は笑う。…父の顔は、忘れていなかった。あの時より少し老けて見えるけど。
「もう夕飯作っていい?」
俺が聞くと、父はあぁ、と答える。そういえば無愛想だった。彼女と桐野も父に挨拶をして、しばらく話をしていた。
魚介類が安かったので、今日のメニューはコンソメスープとアクアパッツァだ。なんだか被ってしまうような気もするけど、まぁいいだろう。アクアパッツァは割と何を入れても美味しいので、買ってきた野菜を沢山入れることにしよう。
出来上がったので持っていく。ダイニングの椅子が足りないので、俺はゲーミングチェアを持ってくることになった。
「美味いな〜、もう母さんより料理上手いんじゃないか?」
父は笑顔で、過剰に褒めてくれた。…母さんの料理の記憶はほとんどなかったけど、多分美味しかったはずだ。食べる人のことを思って食事を作っていたのであれば、尚更だろう。
食べ終わると、2人は帰っていった。気を使ってくれたんだと思う。食器を洗いながら、雑談でもしようと思った。
「…なんで今日は急に帰ってきたの?」
聞くと、父は背中越しに言った。
「本当はな、父さん別に忙しくないんだ」
ぽつりぽつりと、思いの丈を話してくれた。
「別の所にアパートを借りて、それで暮らしてるんだ。この部屋は、どうにも居心地が悪くて」
多分、母さんのことだ。俺と同じで父も、母さんとの思い出を捨てられずにいた。一度も使わなかった食器が一人分、ずっと余り続けている。
「…お前も大きくなったし、そろそろ一人暮らしでもしたいだろうな、とか言い訳をして、俺はずっと逃げているんだ」
乗り越えられない過去は、多分誰にでもある。それを見ないふりで済ますのかどうかという違いがあるだけだ。
「だけど…昨日夢に、母さんが出て。あの子は頑張ってるって言ってきてな。だから…会わなくちゃって、思ったんだ」
父はくるりとこちらを向いた。
「お前、いい顔になったな、しばらく見ないうちに」
嬉しそうに笑う父。食器を洗い終えて、ダイニングに座る。
「…この間、大事な人が死んじゃってさ」
それから俺は説明した。今までの事を。
父は最後まで聞いて、それから一言だけ、お前もそうなんだな、と言った。
「だけど、そのお陰で人と繋がれた。見ないようにしてた過去も、見れるようになった。それでいいんだって、凄く思うんだ」
父は寂しそうに笑った。
「…生きていても、離れていくものなんだなぁ」
俺は父の言葉の意味がよく分からなかった。…だけど本人はそれで良さそうだったので、意味を聞くことはしなかった。
「この部屋の家具、そろそろ変えないのか?」
言われて、部屋を見渡す。…別に変える必要はない。そう告げると、父は嬉しそうに笑った。
「…やっぱり、お前に選ばせて正解だった」
…そうか。この部屋の家具を選んだのは、俺だったのか。
記憶を辿ってみると、確かに父は俺に色々聞いてきた。あれは父のセンスが俺と似ていたんじゃなくて、完全に俺のセンスだったのか。
「俺は今後も、この部屋には帰らないと思う。その方がお前も都合がいいだろうし」
あの二人とはまだ何もない、と言おうとしたが、父は話を続けた。
「…何かあったら、連絡するんだぞ。俺はいつまでも、お前の父親なんだから」
父はそう言い残して、部屋を出ていった。…何だかそれは決別のようで、俺は途端に寂しくなる。
LINEの通知が入って、俺は内容を見てみる。
『夕飯、美味しかったぞ。頑張ってな』
文章の後に、変な生物のスタンプも送られてきた。俺はありがとうと一言だけ返して、部屋の鍵を閉めた。
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