第37話
俺達は電車に乗って、ショッピングモールを目指していた。
あの子の学校でも、俺の住んでいた街でもないどこか。俺達が今日行こうとしているのは、そんな全く知らない街だった。
「私も行ったことないので、楽しみです」
彼女はリュックサックを抱いて、俺の隣に座っている。
車窓からは知らない街が見える。歩いた事も、見たこともないような街。どこかに似ているような、そうでもないような気がしてくる。
そう思うと、見た事のある景色というのはわりかし多いんじゃないかと思う。実際に目にした訳じゃなくても、写真や映像でも、世の中は風景に満ちているから。
「もうすぐですね」
目的地までは、あと一駅だ。纏めるほどない荷物を纏めて、席を立つ。
しばらくしてドアが開く。電車を降りて、駅の中を歩いていく。
そこそこ大きな駅だ。主要な地方都市、という感じの。
駅の中にはテナントが沢山あって、活気がある。家の最寄り駅とは大違いだ。
彼女はやはり俺の前を歩く。一定の距離を保って。
スマホを見ながら、すいすいと人の波を泳いでいくように。
俺はついていくのがやっとで、彼女を見失わないことだけを目標に歩いていく。
暫く歩くと改札があって、俺達はようやく外に吐き出される。振り向いて見てみると、この駅は不必要なほど大きい建物に見える。人が沢山いると、そういう風になっていくものなんだろうか。
「薊さん!行きますよ〜」
彼女は10mほど先の方で、俺がいないのに気付いたようだ。踵を返して、彼女の元へ歩いていく。
「もー、勝手にいなくならないでください!」
彼女に腕を組まれる。…まぁ、桐野にはこれ以上のことを何度もされているし、少し恥ずかしいけれどされるがままになろう。
どれだけ歩いても、やっぱり知らない街だ。当たり前なんだけど、最寄り駅から数駅しか離れていない場所なのに、こんなによく知らない場所があるのが不思議だった。
彼女は地図アプリを見ながら進んでいく。腕を組み慣れていないのか、たまに俺の腕をあらぬ方向に引っ張りながら。その度に彼女は必死で謝罪するが、一向に上手く歩けなかった。
そんな訳で、ショッピングモールに着く頃には俺はもう疲れ果てていた。外にあるベンチに座って、2人で少し休憩する。
平日だというのに人の数が多くて、まるでここだけ休日みたいだ。
「同じ学校の人とかもいるみたいです」
彼女はスマホを見ながら呟いた。…彼女の友達に絡まれたらどうしよう。俺がそう言うと、彼女は大丈夫ですよ〜、と笑った。
「じゃ、行きましょうか」
立ち上がった彼女を追うように席を後にする。いくつになっても人混みが苦手なのは変わらない。
色んなジャンルのお店の中で、彼女が最初に行きたがったのは雑貨屋だった。多分、誕生日パーティの買い物だ。
「…にしても、色んなものがあるね」
俺の中で雑貨屋は、文房具だとかマグカップだとか、そういう準生活必需品みたいなものが揃う場所だったのだが、今はそうでもないらしい。海外の食べ物だとか、見たこともない便利グッズみたいなものが沢山並んでいた。
部屋の飾り付けは友達がいない俺には縁遠いものだったので、彼女に任せることにする。彼女は色んなものを一度手に取っては戻し、真剣に考えているようだった。
俺はそんな様をぼーっと眺めながら、去年の今頃何をしていたかを思い出していた。あの頃は、あの子がいた訳ではなかった。桐野とも会わなくなっていたし、真面目に学校に通っていたような気がする。
あの頃俺は何を考えて、毎日を過ごしていたんだろう。同じ俺のことなのに、さっぱり分からない。
残暑はそれほど続かなくて、もう上着を着用していたのは覚えている。そういう記号みたいな、感情の籠らない思い出ばかりだという時点で、特に楽しいことはなかったんだと思う。
気の合う友人もいなくて、いつも一人で行動していた。あの頃の俺には、本当に何も無かった。桐野からの連絡にも、祖母からの連絡にも、何の感情もなく返していた。
何を楽しみに、どうやって生きていたのか。それが不思議でならない。俺は何で生きていたんだっけ?
考え始めても無駄なような気がするのに、深みに嵌ってしまう。
生きようとせずとも、生きられてしまった。答えは多分、それだった。お金に困っているわけでも、人間関係に困っているわけでもない人間が行き着くのは、何の感動もなく一日を始めて終わることなのかもしれない。…大層疲れない生き方だ。自分を皮肉るように、心の中で吐き捨てた。
「…?どうしたんですか?」
気が付くと彼女は、きょとんと俺の顔を見ていた。その顔があまりに何も考えていなくて、俺は笑ってしまう。
「何でもないよ」
そう告げると、彼女は頭に疑問符を浮かべたまま前を向き直した。
会計をしてみると結構な額だった。少しでも払おうとする彼女を無視して、全額支払う。彼女は不満げだ。
「私も出したかったのに…」
膨れる彼女に、俺は提案をした。
「これの分は、来年の俺の誕生日プレゼントで返してくれればいいから」
俺はなるべく遠い目標を設定して忘れてもらおうと思ったのだが、彼女は何故か嬉しそうに絶対ですよ!と言った。
「じゃ、次行きましょう!」
元気に歩き出した彼女についていく。
彼女が興味を示すものは年相応というか、俺は絶対に近寄りたくないお店のものが多かった。アパレルだとか、スムージーだとか、俺には理解できないもののお店を散々回って、気付いたらお昼になっていた。
俺はフードコートでたこ焼きを食べていた。こんなものを頼んだ自覚もなかったし、そもそもフードコートにいること自体不思議だった。
彼女に合わせて歩いているうちに、どうやら悟りを開いてしまったようだ。俺が行きたくない場所にこそ行きたがる彼女についていくためには、その必要があったんだろうと思う。
彼女は向かいに座って、俺とは違う味のたこ焼きを食べていた。熱くて口が開いている彼女を見るのは凄く楽しい。
完全に彼女に気を取られていた俺の口を、適当に口に放り込んだたこ焼きが襲った。俺は舌を火傷する。彼女は大袈裟に心配して、水を注いできてくれた。それはそれとして、たこ焼きは美味しかった。
お昼ご飯を食べ終えて、やっとショッピングモールから出る。
「さ、戻って買い出しに行きますよ!」
俺とは違って元気な彼女が言う。…何の買い出しだっけ。脳をオフにしていたせいで、今日の予定は完全に頭から抜けていた。
「何って、お父さんに手料理振る舞うって言ってたじゃないですか!」
彼女に言われて、やっと思い出した。しっかりしてください、と言う彼女に連れられて、俺達は駅まで戻った。
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