第32話
家に着いて、小休止を挟む。やはり外出し慣れていないと、帰ってきたあとの疲れが尋常じゃない。
「…疲れましたね」
桐野は床に寝転んでいる。折角の服が皺にならないか心配だったが、俺にはもうそれを言ってやる気力もなかった。
「疲れたな…」
ゲーミングチェアにもたれかかって、上を見上げてみる。なんてことのない白い天井だ。何も変わらない、いつもの部屋。
しかし、この部屋があったから俺達は仲良くなったんだなぁと思うと、何となく感慨深い。
人との出会いは運命だなんて言うけど、まさにその通りだと思う。気分とか、偶然とか、そんなもので繋がった絆だから。
ただ、どんな場合でもそれを選んだのは自分だ。気まぐれでも、何となくでも、思い通りに動かせるのは世界で自分だけだから。
…そう。今までの、選択の蓄積。それが自分の人生だ。正解なんてない選択の連続は、生きている俺達の特権だ。
改めて、そんなことを思った。
時計を見ると、16時半を過ぎていた。そろそろ、彼女も合流するはずだ。
「あ、円歌ちゃん」
桐野は窓の外を指差した。俺も覗いてみる。彼女はリュックサックを左右に揺らしながら、楽しそうに歩いている。時々小石を蹴飛ばしたり、マンホールを飛び越えたりしている。
「面白いね、動きが」
2人で腹を抱えて笑っていると、インターホンが鳴った。
『こんにちはー!』
彼女だ。桐野と2人で鍵を開けに行く。
「おかえり」
俺が言うと、彼女は嬉しそうに笑った。
「ただいま!」
そういえば、彼女の方があの子より声が高い。聞き取りやすい声だ。話し方も。こういうのもコミュニケーション能力と呼ぶなら、彼女はだいぶ基礎点が高いと思う。
彼女は制服のまま、布団に飛び込んだ。
「皺になっちゃうよ」
桐野が注意する。…自分は床に寝転ぶのに。俺はそれが面白くて、くすっと笑う。
「薊さん、今日の夜ご飯はなんですか?」
冷蔵庫を見てみると、おかずになりそうなものは入っていなかった。買い物に行くしかなさそうだ。
そう言うと、2人はそれに着いてきた。制服のまま来ようとした彼女を止めて、着替えを待つ時間があったりもしたけど。
「どこのスーパーに行ってるんですか?」
彼女は縁石の上でバランスを取りながら聞いてきた。いつも俺の前を歩くので、大体振り向いた姿を眺めている気がする。
「駅前の大きい所だよ」
俺の短くない人生で唯一利用しているスーパーマーケットだ。安さとか品揃えではなく、単純にそこしか知らないんだけど。
彼女はお店が思い浮かんだようで、あぁ、あそこですか、と言ってまた前を向き直した。
「というか、危ないから降りなさい」
桐野は俺の横で彼女を諌める。彼女は素直には〜いと言って、縁石を下りる。
何だか、小学生を見ているみたいだ。もちろんいい意味だけど、純粋というか無垢というか、何だか危なっかしい子なのだ。彼女は。
「そろそろ着きますね」
彼女は小走りで、先に店に入っていった。もはや追う気も起きない。
店に入ると、彼女はキャベツを吟味していた。…どういう観点でチェックしているんだろう。
「軸が太くないキャベツは美味しいらしいですよ!」
彼女は俺が思ったよりちゃんと見ていたようで、ならばと任せることにする。どうせ値段は変わらないんだし。
時々うーんと唸りながら見極めること3分、彼女が持ってきたキャベツは確かに美味しそうだった。
「そうだ、今日はお好み焼きにしようか」
めっきり使わなくなってしまったホットプレートを使うチャンスだ。
彼女は大袈裟に喜んでいる。
となれば、買うのはシーフードミックス、豚肉、お好み焼きの素、卵、あとは調味料だ。さっさと済ませて、早く帰ろう。
「…あれ?お昼ぶりだね」
買い物かごを提げた女性に話し掛けられる。
見覚えがなくて返事ができない。
「あー、こうすれば分かるかな?」
そんな俺の心情を察してくれたようで、女性は手で髪を後ろに纏める。
喫茶店の店主だ。
「あぁ、こんばんは。えーと…」
そういえば、まだ名前を知らない。
「楓って言うんだ、下の名前。楓さんでいいよ」
どこまでも察しがいい。何でお店では閑古鳥が鳴いているんだろう。
「楓さん。楓さんもお買い物ですか?」
楓さんは調味料の類を大量に買っている。…自家製カレーだ。多分。
「そうだよ…そっちの子は?」
桐野にも手を上げて挨拶をした後、楓さんは彼女のことを聞いた。
「あの子の友達です」
俺が言うと、楓さんはへぇ〜、と彼女を観察する。
「葛木円歌です。初めまして」
彼女は礼儀正しく挨拶をした。楓さんも、初めましてと返す。
「あの子の大事な人って、この子のこと?」
そう言われ、俺は頷く。
楓さんは今度連れてきてもらいな、と彼女に言い残して、レジに並んだ。
「…今の人、誰ですか?」
あの喫茶店のことを説明する。
すると彼女は心当たりがあったようで、あの面白い店主の人だ、と一人で納得していた。
会計を終えて、帰路を辿る。
彼女は即興で作ったのであろうお好み焼きの歌を歌いながら歩いている。その3歩ほど後ろを、俺と桐野は並んで歩く。
よくよく考えてみると、いつも彼女は俺の前で、桐野は俺の隣だ。
あの子はどこに立っていたっけな。
横顔を見た事があるような気もするし、後ろ姿を見た事があるような気もするし、振り向いた顔も見覚えがある。
…というよりも、そもそも2人で出掛けたりすること自体なかったような気がする。精々コンビニまで歩いた覚えがあるだけで、道路を横切るだけだから、前も後ろもなかったような気がする。
だから、俺をこんな風に一緒に外出するような人間に変えたのは、この2人だ。俺はそれが嬉しくて、自然と笑顔になる。
俺を変えてくれたのは、あの子だけじゃないんだ。彼女も桐野も、確実に俺を変えてくれている。
現在進行形で、俺は変わり続けてるんだ。2人と関わり続けている限りは。
「なんか嬉しそうですね?」
そういう桐野も、嬉しそうに笑っている。彼女はそんな俺達を見て、より一層笑顔になる。
もう誰一人、あの頃のままじゃない。確かな実感を得て踏み締める帰り道は、何時もよりも心が弾んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます