第31話

食べ終えて店を出てからも、俺達はぎくしゃくしていた。

関係性を測りかねているけど、探りを入れるのも嫌だというようなことを、お互い考えているのがわかった。


「…じゃあ、帰ろっか」


当たり障りのない言葉を選ぶ。はい、と答えて、桐野は俺の横を歩いた。


相変わらず言葉はない。それでいい時もあるけど、今は何か言わないといけないと思っているから、お互いに沈黙が痛かった。


「またあそこ、連れて行ってくださいね」


桐野はそう言って笑う。俺はもちろん、と答える。

そこからまた、会話が無くなってしまった。


初恋がいつだったのかなんて、もう覚えていない。もしかしたらその自覚なく、初恋と呼ばれる期間は終わってしまったのかもしれない。

そのくらい、俺には恋愛という物が分からなかった。


だから、今この関係性に名前を求められても困ってしまう。あの子への想いと、彼女への想いと、桐野への想いはもしかしたら別なのかもしれない。自分の感情にすら自信が持てない。


「…あの子は、特別な子だったんですね」


桐野はあの子の特別さを、何となく分かってくれたようだ。

だけど、あの子の特別さは、何というか生まれ持った才能みたいなもので、決して真似できるようなものじゃない。

それを伝えられればいいと思って、俺はあそこに連れて行ったんだ。


「…まだ疑ってますか?私があの子になりたがってるって」


心を読んだように、桐野が言う。


「違いますよ、私は特別になりたいわけじゃないですから」


俺は何も返さずに、帰路を辿る。

あの喫茶店から俺の家までは、近くも遠くもない距離だ。それは徒歩以外の手段を使うほどの距離でもなく、自転車があればそっちの方が楽だなぁと思うような距離だという意味で。


だから会話が続かないこの状況で、家まで帰るのは苦痛だった。…まぁ、はっきりしない俺が悪いんだろう。人生は自分の選択肢がほとんどだから。


名前で呼び合うようになったって、例えば桐野が敬語をやめたって、多分変わりはしないんだと思う。この関係性に名前はなくて、いつでも距離を測り合うんだ。ズレた目盛りの物差しで。


「…薊があの子に執着する理由も分かります。非日常をくれる子ではないけど、実在性がない子を好きになるのは手に入らないからなんですよ」


現実に存在しないもの。とうに無くなってしまったもの。…まとめて、今生きる世界にはないもの。それに憧れ、恋焦がれる気持ちは、皆持っているんだと思う。


「だから、今ここに当たり前にいる私達を見られないのも分かります。…私たちは、特別ではないから」


違う。

そうじゃない。それでいいんだ。特別じゃなくていいんだ。そんなことを声に出そうとして、口元に人差し指を当てられる。


「分かってます。私がなりたいのは、特別じゃなくて一番です。だから、あの子と同じじゃなくていいんです」


桐野はまっすぐ俺を見てそう言った。


…俺は、何も言えなくなる。あの子の顔が頭をよぎる。それは多分、俺が人を好きにならない為だ。失うのが怖いからと、ブレーキを踏もうとする心情だ。


今踏みとどまれば楽だという、それだけの感情。それは人からの好意を無碍にするということでもあるし、人生が好転する可能性を捨てるということだ。


「…一番、ねぇ」


俺は空を見てみる。…そこに答えはない。当たり前だ。考えずに答えが出るのなら、最初から思考能力なんて必要がない。


だから、俺には考えるしかない。考える以外に、選択肢がないから。


「一番です」


桐野は人差し指を立てて、へへ、と笑う。…やっぱり、この関係性は分からない。もしかしたら、名前の付けようのない関係性なのかもしれない。


今はそれでいい…と、桐野が思っているかどうかは分からないけど。だからこそ、俺はこれから先も悩んでいくわけだけど。


でもこうやって桐野や彼女のことを考えるのは、悪くないと思う。…あの子を想うのとは、また違う意味で。


「さ、帰りましょう!」


恥ずかしくなったのか、桐野は走り出した。俺も合わせて走り出す。俺と桐野は同じくらい、体力がない。そして、運動神経も悪い。


だからすぐに立ち止まって、息が切れる。


「そんなすぐ…走るの…やめるんだったら…なんで走ったんだよ…」


俺が息切れしながら聞くと、桐野は何となくです、と言う。


「何となく…早く部屋に戻りたくて…」


部屋…か。

そういえば、桐野が大学生になるまで、あそこは桐野と俺の空間だった。桐野が来なくなって暫くしたら、あの子が来るようになったんだけど。


「あの時なんで来なくなったの?」


桐野は俺から目を逸らして、それから返事を濁した。その態度を見て、ますます理由が気になってしまう。


何回か問答をして、桐野はやっと白状した。


「髪染めたのはいいんですけど、嫌な印象持たれたくなくて…」


一日行かなくなったら、今度はそれについて聞かれたくなくなってしまって、ずっと来れなかったんだそうだ。


「そんな理由で来なかったのか…」


呆れに近いため息が出る。しょうがないじゃないですか!と言う桐野の頭を撫でる。


「別に髪がどうでも、桐野は桐野だよ」


撫でられるのを素直に受け入れながら、桐野は不服そうな顔をする。


「…好きな人には、可愛いと思ってもらいたいものですよ」


俺は頭を撫でる手を止めて、今の桐野を見てみる。確かに泊まりで来たとは思えないほど、おしゃれな格好だった。

こういうのに気付けないから、好きな子を死なせてしまうのかもしれない。…まぁ、悔いたって意味は無い。その経験があったから、今口に出せるわけだし。


「あー…なんていうか、可愛いと思うよ、今日も」


言葉を選んで話す。

今日だけでなく、いつも可愛いと思っている。そう伝えたかった。


「その思い切りの良さは何なんですか…」


桐野は赤くなって俯く。…言わなきゃいけないことは、すぐ言った方がいいと学んだだけだ。


「…でも、ありがとうございます」


俯いたまま、桐野は髪をくるくると弄った。

俺も恥ずかしくなって、会話がなくなる。…まぁ、そんなものだろう。こういう会話は。


「俺もなんか、おしゃれとかしようかなぁ」


俺が言うと、桐野は上から下まで俺の格好を見た。


「確かに同じような服しか持ってないですよね」


…そう言われると、新しい服が欲しいような気がしてくる。結局、無難な服を選ぶんだけど。


「でも、その方が薊らしいですよ」


桐野がそう言うなら、そのままでいいのかもしれない。…そういえば、誕生日会の買い出しに行くんだった。その時に服も買ってみようかな。そう思った。

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