第30話
時間はあっという間に過ぎる。黙っていても、話していても。不幸でも、幸せでも。人が作ったルールだから、平等に。
いつの間にか、時刻は昼だった。彼女からLINEが来る。お昼ご飯は購買のコロッケパンだそうだ。美味しそうだね、と桐野と話をした。
「俺達も何か食べるか」
何か、と言って差し支えないほどに、何でも良かった。大して食にこだわりもないし、好き嫌いも特にない。だから、とりあえず空腹を満たせればよかった。
「…何か、ですか」
桐野の方はそうでもないようで、真剣に何を食べたいかを考え始めた。
俺は桐野の判断を待つことにした。それまで時間を潰そうと、部屋を見渡してみる。
そういえば、TVを見なくなった。面白くないからなんて理由じゃなく、あの子が死んだ日から数日間、あの子のニュースばかり流れていたから。女子高生という単語が聞こえる度にチャンネルを変えるのも、飽き飽きしていた。
…だからと言ってTVをつけてみる気にもなれず、スマホを見て時間を潰す。まぁ、特に面白くもない。感情の振れ幅が少なくて済む文章は、流し読みする分には最適だ。…俺はあの喫茶店のことを思い出して、桐野に話しかける。
「まつりは、あの子のこと知りたいと思ってる?」
桐野が頷いたのを見て、喫茶店に行ってみることを提案した。了承してくれたので、外に出る準備をする。
「あの子の特別さを真似しようとか、そう思ってるわけじゃないよな?」
一応聞いてみると、当たり前じゃないですか、と返ってきた。ならいいんだけど、と言って、鍵を閉める。
空は澄み切っていて、絶好のお出かけ日和という具合だった。…平日だけど。
「いい天気ですね」
桐野は楽しそうに俺の横を歩いている。俺もそうだね、と返事をして歩いていく。
工場の横を抜ける。
「この工場、何の工場なんですかね?」
この間の俺と同じ疑問を、桐野も抱いたようだ。…まぁ、何の工場なのかあまり分からないようにされているのかもしれない。
しばらく歩いて、ネオン街の路地裏に入る。本当にこんな所にお店があるんですか?と心配する桐野だったが、ドアがあるのを見て安心したようだ。
「いらっしゃ…あぁ、君か」
女性は笑顔で出迎えてくれる。桐野もどうも、と小声で挨拶をした。
「彼女?」
悪戯っぽい笑みで聞かれる。違いますよ、と冷静に返すと、何だ、と俺から視線を外した。
「初めまして」
女性は桐野に挨拶をした。桐野も同じ挨拶を返す。
「で、今日は何しに来たの?」
相変わらず人がいない店内で、端のカウンターに座る。桐野も隣に座った。
「ちょっとお昼ご飯を食べに」
俺が言うと、女性は営業スマイルを振り撒いた。…そういうあからさまな所が、この店に客がいない原因の一端を担ってるんじゃないかと思う。
メニューを渡されて、2人で眺める。軽食は割と豊富にあって、迷ってしまう。
「なんかオススメとかあるんですか?」
俺が聞くと、女性は少し考えてから言う。
「あの子は、ホットドッグをよく食べてたよ」
じゃあそれで、と言うと、桐野も同じ物を、と言った。
ホットドッグ2つね、と言いながら、女性はキッチンへと消えていく。
「あの人も知り合いなんですか?」
俺は頷いて答える。桐野は店内を見回して、それから視線をカウンターに落ち着けた。
「そういえば、飲み物は何にするの〜?」
キッチンから声が聞こえる。ブレンド2つで、と言うと、お代わり自由だからね、と返ってきた。…実家みたいな空気感の店だ。好きだけど。
「はーい、お待たせ」
お盆を持った女性が、2人の前に料理を運んでくれた。一見、何の変哲もないホットドッグだ。
「あの子も何が良くて、こればっかり食べてたんだろうね?」
…本人がそう言うんだから、本当に何の変哲もないホットドッグなんだろう。
味はやっぱり普通に美味しくて、なんと言うか、らしいという言葉が似合うものだった。俺の求めているホットドッグ像としては100点だ。
「美味しいですね、これ」
そう伝えると、女性はにっこり笑った。
あの子ももしかしたら、こういう何の変化もないものも好きだったのかもしれない。
「あの子とは、どういう知り合いだったんですか?」
桐野は単刀直入に聞いた。
「うーん、ただの店員と客だよ」
女性は淡々と答える。…本当に、それ以上でも以下でもない。
「ただ、ちょーっとお互い過干渉だっただけ」
女性は少しだけ、寂しそうな表情をした。
俺は黙って2人の会話を聞く。
「あの子を特別だと思ったことはありますか?」
…桐野は変に、俺の言葉を気にしている。
特別というのは他の人とは違うというだけで、そこに執着しているわけじゃないんだけど。言葉って、やっぱり難しい。
「…うーん、ある意味ね」
俺もそう言ったら誤解はなかったんだろうか。あの子は何というか、この世のものではないという感じのする子だった。今にも消えてしまいそうなんだけど、確かに存在するというような。
「でも、彼に好きになって貰いたいんだったら、あの子を目指すのは間違ってると思うよ?」
女性はくすっと笑って言う。桐野は真っ赤になって黙り込んだ。
「君が君であることが、彼に好いてもらう一番の近道だよ」
…やっぱりこの人は、何だかんだ大人なんだろう。俺が言いたかったことをすべて言ってくれた。
「…でも、わかんないんです」
桐野は俺などいないかのように独白を始める。俺は黙ってコーヒーを啜った。
「今の私が、本当に魅力的なのか。個性を潰して生きてた時期が長すぎて、自信が持てないんです」
女性はなるほどねぇ、と桐野の言葉を咀嚼した。…それから、意地悪く笑う。嫌な予感だ。
「そんなの、聞いてみたらいいじゃない。本人に」
…前言撤回。この人は子供だ。それもタチの悪い。
「…私の事好きですか?」
桐野は泣きそうな目で聞いてきた。…こいつがどれほど俺のことが好きなのかは、この間の一件で痛いほどわかっている。そしてそれほど大きな感情が俺にあるのかと聞かれれば、そうではないと思う。
だけど、俺は俺なりに桐野のことが好きだし、それは揺るぎようのない事実だ。だから、それをそのまま伝えればいい。そう思う。
…だけど、言葉が出ない。何でかその2文字が出てこない。それを絞り出そうとすると、苦しくなってしまう。
「あはは、大好きみたいだね、彼」
女性は俺をからかう。それに反応できないくらい、俺は硬直していた。
耳まで真っ赤になった俺を見て、桐野も顔を真っ赤にした。
ただの先輩後輩だと思っていられる期間は、もうとっくに終わってしまっていたのかもしれない。
「…青春だねぇ」
女性はグラスを拭いて、窓から空を見る。今まで避けてきたものに直面して、俺は今それをどう思っているのだろう。分からないまま、ただ時間だけが過ぎた。
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