第28話

「この間言ったこと、覚えてますか?」


寝室から出てきた俺に、彼女が話しかけてきた。

俺は何のことかわからなくて、彼女の顔を見る。


「あの子の誕生日のことです」


あぁ、そういえば。彼女とお墓参りに行った時に、そう言われたのを思い出した。


「いつなの?あの子の誕生日」


ダイニングテーブルを挟んで向かい合う。


「10月2日です」


10月2日。カレンダーを見ると、来週だった。

俺は10月2日に丸をつける。


「…で、その日何をするの?」


俺が聞くと、彼女はケーキ屋さんのサイトを見せてきた。


「このお店で予約したんです。…あの子が好きだったケーキ屋さんなんですよ」


ということは、誕生日パーティをするのか。


「場所は?」


彼女は当然とばかりに言う。


「この家です!」


…まぁ、そうなるんだろう。あの子にとっては、ここも家みたいなものだろうから。


「じゃあ、飾り付けとか準備しないとね」


俺は割と乗り気だった。こういうものには縁のない人生だったが、人の為に何かをすることが嫌いなわけではないから。


「はい!買い出し、行きましょうね!」


彼女が嬉しそうで何よりだ。


しばらくすると桐野も戻ってきた。息を切らしているあたり、相当な焦りを感じる。


「走ってきたの?」


引き気味に聞くと、当たり前じゃないですか、と返ってきた。

びしょびしょだったので、まず風呂に入れることにした。


桐野の荷物を持って、部屋に戻る。


「そういえば、夕ご飯食べてから来たの?」


彼女に聞くと、首を横に振った。冷蔵庫になんかあったかなぁ。荷物を寝室に置いて、キッチンへ向かう。


…鶏肉、か。トマト缶とチーズがあるのを確認して、今日は鶏肉のトマトチーズ焼きにすることにした。


桐野がお風呂から出たくらいで、ちょうどご飯の支度ができた。

3人で囲む食卓は、いつになく賑やかで、何物にも代えがたい時間だなぁと思う。…と同時に、いつまでもこうしてる訳にはいかないという気持ちにもなる。


俺は2人のことを同じくらい好きだけど、その気持ちは不誠実だから。どちらかを選ばなきゃいけない。それが辛くて仕方なかった。


だけど、選ぶと決めたからには仕方がない。お互い支え合っていけるのはどちらか、真剣に考えないと。


夕ご飯を食べ終えて、食器を下げる。

俺がベランダに行くと、桐野もついてくる。


桐野の煙草は、銘柄が変わっていた。


「お揃いにしてみました」


へへ、と笑いながら、桐野は煙草に火をつけた。…当たり前だけど、同じ匂いだ。

それがなんとなく嬉しくて、俺は笑顔になる。


「…あんま背伸びすんなよ」


皮肉を言って、俺も煙草に火をつける。煙を深く吸い込んで、それから吐き出す。…別に必要もないのに、そんな行為にいつの間に慣れたんだろう。


桐野は隣で時々噎せていた。


「だから背伸びすんなって言ったじゃん」


俺が笑うと、桐野はむくれる。

そんな桐野が可愛かったので頭を撫でると、後ろからカラカラと音がした。


見ると彼女が窓を開けてこちらを眺めていた。


「いちゃいちゃしてないで早く戻ってきてください」


それだけ言って、ピシャリと窓は閉められる。

…戻ってやるか。俺は煙草の火を消して、また窓を開ける。


「…私にはないんですか」


明らかに大袈裟にむくれている彼女に話しかけられる。俺は彼女も撫でた。


この行為だって何がいいのかはよく分からない。分からないけど、2人が嬉しそうだからそれで良かった。

寧ろ撫でたら喜んでくれるくらいなら、それをしない理由がなかった。


「この部屋って、布団2組しかなかったですよね?」


桐野が聞いてくる。


「だから、2組しか敷いてないよ」


俺の答えに、彼女は1人どうするんですか?と聞いてくる。


「じゃんけんで負けた方が俺と同じ布団かな」


笑ってくれると思ったが、俺が冗談でしたと言う前にじゃんけんが始まってしまった。

あいこが2回続いて、負けたのは桐野だった。


何故か悔しがる彼女と、何故か喜ぶ桐野。変な光景だ。


「…じゃあ、寝ましょうか。先輩」


桐野は満面の笑みで俺に言う。断りきれなくて、添い寝になってしまう。


「うぅ〜、薊さぁん」


彼女は1人の布団で未だ悔しがっていた。…この流れ、次こういう機会があったら彼女と寝なきゃいけないのか?

切実に次がないことを祈る。


「先輩、なんで背を向けるんですか?」


恥ずかしいからに決まってるだろ!と返すのも恥ずかしいので、俺は黙り込む。

すると、背中側から腕を回される。


「…暑いから離れて」


俺が言うと、桐野は更に体を密着させてくる。…柔らかいし、温かい。もちろん嫌な感覚ではないんだけど、でもそれは恥ずかしくて仕方ないものだった。


「先輩、大好きですよ」


耳元で囁かれる。俺は何も答えずにいた。…耳が熱いので、多分赤くなっているんだろう。


「早く寝ろ!」


それを責められるような気がして、俺は桐野と向かい合うように寝返りを打った。目の前に桐野の顔がある。


桐野はびっくりしたような表情をしたあと、目を逸らす。…もしかしてこいつも恥ずかしいのか?


「あれ?恥ずかしいの?」


俺が言うと、桐野は布団で顔を隠した。…最初からこうしたら良かったな。俺は目を瞑って、早く寝てしまおうと思った。


…口は災いの元というのは、どうやら本当らしい。二度とああいう冗談は言わないと固く誓った。


朝目覚めると、両隣を囲まれていた。俺が寝ている間に、彼女も俺の布団に侵入してきたらしい。寝ている間にされたことって、割と気づかないのかもしれない。


俺は起き上がろうにも起き上がれなくて、諦める。なし崩し的に、何週間ぶりかの二度寝をすることになった。…それは、あの子が死んだ日ぶりということだ。


一度起きて二度寝をしたそのタイミングで、あの子は自殺をした。同じマンションに住んでいながら騒ぎを知らなかったのもそのせいだ。

俺はそれを心のどこかでずっと悔いていて、だから今まで避けてきた。


…だけどあの子の死を、本当の意味で乗り越えるなら。

たまには二度寝くらいしたっていいのかもしれない。そう思って目を瞑る。


元々眠い状態からさらに眠ろうとするので、二度寝はとても気持ちがいい。その気持ちよさは間違いなく、人生で経験する快感の五指には入る。

抗い難い眠気の波に攫われながら、俺は二度目の睡眠に入った。

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