第27話

彼女は電話には出てくれた。底冷えした空気が背中を這う。


「…あのさ、昨日のこと謝りたくて」


彼女は冷たい声で言う。


『何に対して怒ったか、分かってるんですか?』


俺はわかってるよ、と伝え、説明する。

見ないふりをしようとしていたこと。それが、あの子の死を乗り越えられないのが理由だということ。そして、言わなきゃいけなかったことを、言えなかったこと。


『…まぁ、分かってるならいいです』


彼女はそう言って、電話を切った。

溝が埋まるまでは時間がかかるかもしれない。だけど、少しずつでも埋めていこうと思う。


ごめん。そう心の中で言って、電話を切った。


次は桐野。1度目の電話には、出てくれなかった。

…まぁそうだよなぁ。俺は諦めて、シャワーを浴びる。


どうして俺はいつも何かに追われているんだろう。一度何かから逃げた者の宿命なんだろうか。

何かで聞いたことがある。嘘をつくと、それを信じさせるためにまた嘘をつかなきゃいけない。


「…上手くいかないもんだね、世の中」


口に出して、母が入院しなきゃいけなくなった前日同じことを言っていたのを思い出した。

俺と父はもう助からないんじゃないかという覚悟は出来ていたので、同じことを思った。


上手くいかないもんなんだ、世の中は。その時に、その認識は強く植え付けられたのかもしれない。

それは良く言えば何事にも執着しないということだけど、悪く言えば本質を見ようとしないということだ。


人生が上手くいかない理由も知ろうとせずに、ただ上手くいかないものだと思っている。それが、俺の今までの人生だ。


変わっていかなきゃいけない。何度唱えても、どう変えていいかは分からない。今まで通りじゃダメだとは思うけど、無闇に今までと違うことをするのも意味が無いような気がする。

俺が今までしてきたのは、ただの現状維持なのかもしれない。


…必死に積み上げたものを崩される瞬間というのがある。例えば挫折。自分が何年もかけてできるようになったことを、半分以下の時間でできるようになる人がいる。

それは才能であったりするんだろうと、ふと思う。その時人は挫折する。


当たり前のことだ。向き不向きがあって、向いてることにも上がいる。そう思ってしまう。


それでもやり続けられることこそ真の才能だって気付いた頃には、手元に何もなかったりする。


だから大事なのは、変わろうとする気持ちを持ち続けることだと思う。

俺は今、貰い物のチャンスを捨てようとしていた。

貰えるものは全て貰っておくというのが俺の座右の銘だ。


貰ったチャンスは活かさなきゃ。


浴室を出て、もう一度桐野に電話をかける。…やっぱり出てはくれなかった。

酷いことをしてしまった。見なかったことにしようとした。桐野がずっと抱えていたであろう想いを。


俺はその為に、あの子すら都合よく使ってしまった。


また俺は、自ら失敗をしようとした。傷つきたくないというだけの気持ちで。


俺は家を飛び出した。

桐野の家なんか知らなかったけれど、どこかにはいるはずだ。

飛び出して…公園に人影を見つけた。


「桐野…!何してんだよ!」


びくっと肩を揺らして、桐野は俺の方を見る。

桐野は怯えた目で俺を見る。


「先輩…ごめんなさい…!」


それから涙を流して、俺に抱きついてきた。

俺は何が何だかわからなくて、腕を回すこともできず立ち尽くした。


何が起こってるんだ…?

俺の頭の中に浮かんでいたのは、それだけだった。

頭が真っ白になる感覚。


「私…あんなこと言うつもりじゃなくて…!」


泣きじゃくる桐野を何とか宥めながら、部屋まで連れていく。


家に着いても、桐野は泣きっぱなしだった。

頭はずっと真っ白だ。何をしたらいいのか、全く分からない。


時々話しかけては、涙声で返事をもらって、そしてまた会話が止まる。そんな繰り返しだ。


「…なぁ、謝らなきゃいけないのは俺じゃないか?」


埒が明かなくて、素直に聞いてみる。

桐野は違うんです、と3度ほど繰り返して、また泣き始めた。


何が違うのかは分からないが、とにかく違うらしい。

…でも、俺を思って泣いてくれているんだろうし、だからこそあんな所にいたんだろうから。


俺は桐野の頭を撫でた。


「うぇっ?」


桐野は変な声を出す。それが面白くて、俺は笑う。桐野も俺の笑顔を見て、笑う。


「…落ち着いた?」


桐野は頷いて、深く息を吸う。


「ごめんなさい、先輩」


何度目かの謝罪をされる。桐野は頭を上げて、本題に入った。


「私、あんなこと言うつもりじゃなかったんです。先輩があの子のことをまだのりこえられないのだって、考えたら当たり前なのに」


なるほど。やっと合点がいった。まだ人と恋愛できないのなんて当たり前だと、そう言いたいんだな。


…そうなのか、恋愛って。この間まで見ないふりをし続けた感情だから、分からないものだらけなのは当然だけど。こんなにも何も分からないと、やはり不安だ。


「…俺もごめん。2人のことを、見なかったことにしようとした」


昨日思った事を、全て口にする。

桐野は否定せずに聞いてくれて、俺の謝罪を受け止めてくれた。


「だから、待ってくれないか。俺がちゃんと2人を見れるまで」


そして返事を保留したいということも伝えた。


「…しょうがない先輩ですね、ほんと」


桐野はため息をつく。


「でもまぁ、待ってあげますよ。私はあなたの後輩ですから」


立ち直りの早い奴だ。俺は笑って、立ち上がる。

すると、インターホンが鳴った。玄関まで行ってドアを開けると、彼女が立っていた。


「…私も焦りすぎたので、謝りに来ました」


俺の後ろにいた桐野を見て、彼女は先を越されたという顔をした。


「円歌ちゃん、こんばんは」


桐野は桐野で、勝ち誇ったような顔をする。…今日は騒がしくなりそうだな。この先の展開がなんとなく読めてしまう。

ドアを開けて彼女を部屋に招き入れる。通うという宣言通り、彼女は着替えなども持参していた。


それを見て桐野が、私も泊まると騒ぐ。俺が泊まってもいいから着替えを持ってこいと言うと、桐野はすぐさま家を出ていった。


…胃が痛くならなければ何でもいい。俺は騒がしくなるのは半ば諦めて、2人分しかない布団を敷いた。

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