第26話

「…なんで、ダメなんですか」


桐野は泣きながら理由を聞いてきた。


「今誰を好きになっても、あの子の代わりが欲しいという気持ちでしかないんだと思うから」


俺は淡々と説明する。


あの子の代わりが欲しい、あの子が埋めてくれなくなった心の隙間を誰かに埋めて欲しい、そういう思いでしかないんだ、今は。それでいいと言われても、俺がそれをいいと思えないから。


だから今は、桐野の気持ちには応えられない。そう伝えた。


桐野はそうですか、と言って、走って去っていく。


誰もいなくなったなぁ。

雨は未だ強くて、俺は窓を閉める。


…誰もいなくなってしまった。

嘆くわけではなく、ただ感想としてそう思った。


一人には慣れていたはずなのに。

悲しくて、申し訳なくて、一人で泣いた。


なんとなく外に出たくなって、俺は傘も持たず外に出た。公園に入る頃には、もう全身がびしょびしょだった。それもどうでもいいと思えるくらいには、俺は心を病んでいた。


「…何してんだろうなぁ、俺」


雨を浴びながら、空を見上げる。無数の雨粒が降り続いている。


君はどうやって、こんなにたくさんの人と関わっていたの?


そうやって、あの子に聞きたい気分だ。もう二度と聞けはしないけど。

やっぱり俺に恋愛は向いてなかったよなんて、くだらない話がしたい気分だった。


「…何で君は、死んじゃったんだろうなぁ」


いつだって不思議な気分だ。

俺はずっと、分からないままでいる。


何で死んじゃったんだろう。

考えても答えが出ないことは知っている。道徳の質問みたいに、答えはないことなのかもしれない。


例えばあの子と同じ状況になったとして、俺は死を選んだんだろうか?そんな覚悟が決まるものなんだろうか?


俺とあの子は分かり合ったようなフリをして、実際何も分かっちゃいない。


だからあの子を死なせてしまったし、あの子と話が出来なかった。

そのくらいの他人だ。


「人を理解するって、どういうことなんだろう」


どういうことなのか、これまでの経験でも理解出来なかった。彼女のことを分かった気にもなれないし、もう4年の付き合いになる桐野のことだって理解できた気がしない。


初めから、人を理解することなんて誰にもできない。

分かった気にもなれないし、答えが欲しい気持ちでいっぱいだ。


煙草に火をつける。雨でつきづらい。

煙草の煙も風で流れていく。…湿気っていて、あまり味もしない。こればっかりは、どうにもならない。


どうにもならないことばかり、なのかもしれない。本当は。


「どうにかなってくれないかなぁ」


本音で言えば、そんなものだ。

考えずに答えが出れば、それほど楽なことはない。


大抵の人が、楽に生きるために生きている。

楽を求めて、人生を安定させようとしている。


僅かな達成感と、僅かな幸せを本物だと思っている。


俺はそうは生きられないと思う。だから、人に馴染めずにいる。大人になれずにいる。


何でも自分の思い通りになるとは思わない。だけど、自分の思いが通じて欲しいと思う。


「…どうにもならないよなぁ」


分かっている。分かっていて、それでも何かがあると思って生きている。生きているというよりは、足掻いている。


どうにかしなきゃいけない。

どうにもならないけど、どうにかしなきゃいけないことだ。今日のことは。


そんなことは分かっているから、俺は病んでいる。

そう、どうにかしなきゃいけないんだ。


桐野と一緒には生きられない。彼女とも、このままでは無理。

すべて、あの子の死を乗り越えなきゃいけないものだ。俺以外の人間は幸せになって欲しいと思うけれど、俺自身の幸せを考えたことはなかった。


人を幸せにすることが、俺が幸せになる方法だと思っていた。

だから、人に思いを向けられるのが苦手なんだ。


母はどのように父と出会って、父を選んで、俺を産んだんだろう。何度考えても、俺には分からない。


人はどうやって幸せになるんだろう。どうやって幸せだと認識しているんだろう。それが分からないから、SNSには不幸な人が溢れているんだろう。


俺もその人達と同じように、幸せを教わらなかった人間なんだ。探しもせずに、ただ確実な答えがあると思っていて、それをただ願っている。


そういう意味で、俺はずっと子供だ。

子供のまま、成人してしまった。


俺はそれを恥ずかしいと思っているし、どうにか大人になりたいとも思っている。それにも努力が必要だけど、何をしたらいいかも分からない。


だから、俺はこの部屋で、死ぬのを待つばかりだった。親の金で住んでいるこの部屋で、親不孝をする気で生きていた。


死にたいと思っているわけではなかった。死にたいというより、消えたかった。

誰にも忘れられて、元から存在しなかったことになりたかった。生きる理由がないなんて、そんな不確かな理由で。


生きる理由はないんじゃない、探さなかっただけだ。生きる意味がある今の俺は、そう思って過去の自分を笑っている。

好きなことも、才能のあることも、やらなければ分からない。やらない理由はたくさんあって、そのやらない理由の方がそれらしくて、それを選んだだけだ。


「…やらなきゃいけないよなぁ」


やらなきゃいけない。それだけを抱えて、今の俺は生きている。それこそが幸せなのかもしれないなんて思いながら。


ただ桐野や彼女に、あの子を重ねていた自分が嫌いだっただけなんだ。2人を幸せにすることが、俺の生きる意味だったから。だから一方を選べなくて、2人ともに不義理な態度を取ってしまっただけなんだ。


それが、俺の言い訳だった。

…本当は分かっていた。その態度を取っても、誰も幸せにならないということを。俺も桐野も彼女も、ただ辛いだけの選択だ。


「…謝らなきゃ」


俺は煙草の火を消して、部屋に戻る。缶の中に吸殻を入れて、深く息を吸って、それから吐く。


人に謝るのも、人との関わりを避けてきた俺にとっては慣れない経験で、緊張する。


俺は覚悟を決めて、携帯を開いた。

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