第24話

夕ご飯を2人で食べる。あの子はあまり会話をするタイプではなかったが、彼女はよく話すタイプだ。俺は相槌を打ちながら、身振り手振りをつけて話す彼女を眺めていた。


…そういえば、彼女の生まれた環境の話を聞いたことがなかった。何人兄弟がいるとか、そういう話。


俺がそう言ってみると、彼女は表情を曇らせた。


「…ごめん、何か聞いちゃいけないことだった?」


彼女は首を横に振る。


「そうじゃないんですけど、強いコンプレックスがあるんです」


銀行マンの父と、明るく人当たりのいい母。頭のいい兄と、自分。そんな環境で生まれた彼女は、昔から自分に劣等感を抱いていた。本当に同じ血が流れているのか、疑ったこともあるくらいらしい。


「…だから私、あの子と出会うまで内向的だったんです。それこそ昔の自分なら、薊さんを訪ねたりできないくらいに」


だから、あの子には感謝してるんです。彼女はそう言って、窓の外を眺めた。


彼女にも、乗り越えられない過去というものはあるらしい。…そうじゃなきゃあの子と仲良くはなれないだろうけど。


俺は考えてみる。

過去に囚われるということ。俺達は現在進行形で過去に囚われている。あの子の死という直近のものから、母の死だとか昔の自分の人間性まで、大小様々な後悔に苛まれている。


それを未来に活かすことが、俺がまともに生きる唯一の方法だと信じている。正解のない人生にも、不正解はあるから。


人生はトライアンドエラーの連続だ。失敗したことのない人間なんかいないし、簡単に成功したように見える人間が努力を重ねてきたことだって知っている。


…彼女は過去を、消してしまいたいと思っているんだろうか。今も自己嫌悪に苛まれているんだろうか。なんだかそれは、嫌だった。


あの子のおかげで社交性がついたのなら、それでいいんじゃないか。多分他人はそう言うだろう。でもコンプレックスというものが、自分で満足が行くまで終わらないものだとわかっている。


「乗り越えに行こうか、過去を」


この間桐野がそうしてくれたように。

俺もまた、彼女を救いたいと思った。


俺は単純な人間だから、簡単にあの街を好きになれたけど。彼女のコンプレックスは根深くて、一筋縄ではいかないかもしれない。でもそれでいい。乗り越えられるまで、いくらでも挑戦し続けるだけだ。


「…やっぱり薊さんは、優しいですね」


彼女は微笑んで、俺が協力することを了承してくれた。彼女はずっとこの街で暮らしていて、ということは思い出の場所もこの土地近辺にある。だからまずは、そこに行って話をしてみようと決めた。


いつの間にか2人とも、夕ご飯を食べ終えていた。俺は食器を下げ、水に漬ける。

ドリップコーヒーを取り出して、2人分用意する。…あの子の置いていったカップを、彼女に手渡す。


「…それさ、よければ使ってよ。今後も」


俺が言うと、彼女はまじまじとカップを見た。俺はわざわざあの子のカップだよとは言わなかったが、彼女は察してくれたようだ。


ぜひ使わせて下さい、と彼女は言って、それから言葉の意味を反芻した。


「今後も…って、通っていいってことですか?」


俺は頷いて肯定する。

彼女は花が咲くみたいに笑う。


…楽しい時は、一瞬しかないから楽しいのかもしれない。光があるから影があるように、辛いことがあるから楽しいと思うのかもしれない。


そうだとしたら、苦しんだら苦しんだ分だけ、楽しいと思えるんじゃないだろうか。

俺達は大事な人を失って、傷心の中で出会った。それはお互い、あの子の死を知ろうとして。


そのうち、同じ経験をした人とは辛さを分け合える事を知った。それが生きている者の乗り越え方だとも知った。


それら全てが今の自分を作り出していて、それら全てが今の俺達の関係性についた名前だ。俺達は、大事な人を亡くした2人でしかない。欠けた何かを埋め合おうともがく気持ちが、今ここに2人でいる理由だ。


慰め合って励まし合って、手を取り合って進んでいくだけの、前を向いたら手を離すだけの、そんな関係性だ。


いつまでも一緒にいるわけにはいかない。別の道を歩み始めてそれがまた繋がったら、初めて選択の余地があるような。そんな曖昧な、だけど今は絶対に必要な、ちぐはぐな2人。


彼女は両手でカップを持ってコーヒーを飲んでいる。彼女は今の関係をどう思っているんだろう。他人だから分からなくて当然なんだけど、気になって仕方なかった。


「…薊さんは」


彼女が口を開き、そして閉じる。何かを言いかけてやめる。何を言おうとしたのかは何となくわかってしまう。俺と同じようなこと。


一歩先に進めば、それは地獄の釜の中。…というのは大袈裟かもしれないけれど、同じようなものだ。


ベランダに何かが当たる音がして、俺は窓を開ける。


雨だ。窓を閉めて、彼女にそれを告げる。天気予報のアプリを確認すると、どうやら大雨になるらしかった。


「…今日は泊まっていきなよ」


俺からあの子には、口にしたことのなかった言葉。

こういうことを重ねる度に、俺にとって彼女はただの代替品なんだという認識が強くなる。


あの子の代わり。あの子にしてあげられなかったことをする為の、ただの道具。


自分がそう思っているんじゃないかと疑う気持ちが強くなっていく。


「薊さん」


彼女は後ろから、俺に抱きついた。


「辛いです、私」


何に対しての辛いなのかは、何となくわかった。


「…私はあの子になろうとなんかしてません」


俺が彼女をどう見ているのか。そしてそんな自分をどう見ているのか。それが彼女には、何となく伝わったようだった。


「大丈夫ですよ、あの子と私は違うので」


顔も声も性格も、全てがあの子とは違う。それは俺だって分かっている。


「…だから、私を見てください。私を知ってください。あの子の友達じゃなくて、私は葛木円歌なんですから」


見ないふりをしようとした葛木円歌という人物像は、どんどん明確になっていく。あの子とどこが違って、あの子とどこが似ているか。そんな比較だけでなく、彼女自身のことについても。


俺はそれが怖くて仕方なかった。あの子に対して思ったことが、どんどん塗り潰されていくことが。


…ただ、生きていたらそんなこと、当たり前に起きるのかもしれない。そう素直に思えるほどに、彼女の声には説得力があった。


俺はごめんと一言だけ言って、浴室に向かった。

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