第23話
「それにしても今日まで、色んなことがありましたね」
彼女は懐かしむように言う。俺もそれに同調して、思い返してみる。
初めて彼女が家に来たのは、あの子が死んですぐのこと。
あの子との思い出を精算しようとしていた頃のことだ。あの時の俺は、正直早く忘れてしまいたいと思っていた。
そこに彼女は現れて、あの子の名前を教えてくれた。
彼女の知らないところを、いくつも教えてくれた。
それからあの子は素直に泣いて、涙が出ない自分を責めた。数年前に死んだ母のことを思い出して。
母の死であの子と出会い、あの子の死で彼女と出会った。
死が繋ぐ関わり合い。それはまた、連鎖していってしまうのかもしれない。…そうさせない為には、なんて、いつも考えている。
「…そういえば、君が名前を教えてくれるまで知らなかったんだ、あの子の名前」
彼女はびっくりしたような顔をした。
「お互い名乗ったりしなかったんですね」
俺はあの子と初めて会った時のことを話す。
コンビニの前で、死んだように佇んでいたあの子を見つけた時のこと。声を掛けて、部屋に上げた時のこと。
「…今思い返せば不審者みたいだね、俺」
そういうと、彼女は笑ってくれた。
「それで、声を掛けた時にあの子は嬉しそうだったんですか?」
聞かれて、記憶を辿ってみる。何と声を掛けたかは、ぼんやりとしか覚えていないけど、絶対忘れられないあの子の言葉があった。
「いや、『宗教の勧誘ですか?』って言われたよ。確かにそういうのされてそうな目だなぁと思って、目の前で笑っちゃったんだ」
それを見て、あの子の目には急に光が戻った。なんで笑うんですか!って言うあの子も笑っていたし。
「で、面白い子だなぁと思って。そこでお別れでもよかったんだけど、俺の帰っていく方向を見て、同じマンションですねって話になって」
彼女はうんうん、と大きく相槌を打ちながら話を聞いてくれる。聞き上手と言うのかどうかは微妙だけど、そこまで話にのめり込んでくれると、俺も話しやすい。
「それで、最後まで着いてきて、俺の部屋に上がったんだ。…あの子ってもしかして、警戒心が薄いの?」
彼女は首を横に振る。
「全然!寧ろすごい強いタイプですよ」
昼間も思ったけど、やっぱりあの子は自分の好きな人の匂いみたいなものを感じ取るのがすごく上手いんだろうな。
「それでその後スペイン風オムレツを作ってあげて、もう遅いからって帰らせたんだ」
初めて会った時のあの子の印象は、彼女と初めて会った時の印象と真逆だった。快活そうになんか見えなかったし、あんなにしっかりしてなかったし。
「それからあの子は俺の家に頻繁に来るようになって、長話をする時もあれば、お互い全然話さない時もあったりして」
大抵くだらない話をした後、お互い好きなことをして、たまにあの子が泊まっていって、それから布団を買い足したり、ぬいぐるみが置かれたり、お菓子がストックされるようになっていった。
「…なんというか、気楽な関係性だったよ。お互い気を使わなくてよかったし、だからと言って無神経になるようなこともなかったし」
彼女はこの部屋を見回して、あの子のものを探しているようだった。
最後まで、気楽な関係性という印象だった。だからこそあの子が死んだ時は、もっと淡白に受け止められると思っていた。
最近よく来るようになった子が、自殺をしてしまったというだけ。そんな風に思っていたから。
「…でも、それだとやっぱり、薊さんがあの子にこだわる理由は分からないですね」
…あの子にこだわる理由。そんなもの、本当はないんじゃないだろうか。
人にない何かを持っていたことが、死んでから神格化され始めているのかもしれない。
「失ってしまったから、なのかもなぁ」
あの子を好きになったのも、あの子のことを知りたいと思うのも。土台無理な話だと思っているからこその、無い物ねだりなのかもしれない。
…そんなことはないけど、自分でもそう思ってしまうことがある。好きじゃなかったら返事には迷わないし、好きじゃなかったらあんなに頻繁に家に入れないから。
ただ別に、そこは重要じゃないような気がしていた。大事なのは、今あの子についてどう思っているかだ。過去は記録として残り続けるだけであって、生きているのは常に現在だから。
過去が大事になるのは、死んだ後だけだ。生きてる限り、現在はどうとでもなる。
「…大事なのは今、だよ」
彼女の顔を見て言う。
失ってしまったあの子のことを心に留めつつ、まだ失っていない彼女を大事にしなきゃ。
「そうですね、今が大事です」
彼女のことだって、桐野のことだって、失わない覚悟だ。
そう思い続けている限り、何だか上手く行きそうな気がするから。…どちらかの想いに応えなければいけないのは、少々心苦しいけど。
「いつ失ってしまうかを考える恐怖ってあると思うんです」
彼女はぽつりと語り始めた。
「仲良くなった人が、突然消えてしまうんじゃないか。大事な人が、次の日には死んでしまうんじゃないかっていうことを考えてしまう恐怖があるんです」
…あの子の死を経験して、俺達はだいぶ弱くなった。失う恐怖に苛まれるようになった。俺は失わないように最大限努力することで見ないふりをしているけれど、彼女にとってはそれが解決策にならないかもしれなかった。
俺は彼女の頭を撫でる。彼女はそれを受け入れて、嬉しそうに笑う。
「…いなくならないよ。先立たれる気持ちは、俺だって知ってるから」
彼女は約束ですよ、と言った。俺は約束だよ、と答えて立ち上がる。
「どこ行くんですか?」
背中越しにそう聞こえた。キッチンだよと答えると、彼女はホッとしたようにそうですか、と言った。
「スペイン風オムレツを作ろうと思って」
また作ってくださいよ、とあの子に言われたことを思い出した。簡単だからいつでも作るよ、と答えた。だけど結局出したのは最初の日だけで、それ以降あの子に振る舞ったことはなかった。
また、という約束を守れなかった分、彼女に食べてもらおうと思った。また食べたいと言ってくれるくらい、美味しいといいけど。
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