第21話

コーヒーはもう、最初の熱を失ってしまった。それくらいの時間、俺は女性の言葉を処理できずにいた。

女性はただ俯いたまま、俺の言葉を待っているようだった。


「何を話したんですか?その時」


俺は覚悟を決めて、聞いてみる。きっと答えが得られるわけではない、曖昧な問いだ。


「…普通の話だよ。学校のこととか、友達のこととかね。今から死ぬなんて思えないくらい」


あの子はそうするだろうと、何となく分かっていた。

多分今から死ぬなんて相談をするタイプではないだろうから。


「アタシはね、嬉しかったんだよ。こんな立地で、愛想のない店員が一人いるだけの店にずっと通ってくれる人がいることが」


…懺悔に近いような、そんな言葉だ。あの時気付いてあげられなかった。助けられなかった。そう言葉にはしないが、罪の意識を抱えている。


「だから…」


そこまで言って、女性は言葉に詰まった。俺はコーヒーを啜って、付いていたテレビを見るふりをした。


暫くして、啜り泣く声が聞こえてきた。この人もまた、あの子に救われて、だからこそ囚われている。


「俺達は、あの子が何で死んでしまったのか、理由を探しているんです」


俺は独り言のように語り始める。


「…それだって、もしかしたら自分に責任がないって思いたいが為の行動なのかもしれません」


女性は涙声で、時々相槌を打ってくれる。


「でも、あの子が生きた証はたくさんあって、中には少なくとも俺達が生きている間は残るようなものもあるんです」


俺は決意を込めて、続きを話す。


「…だから、あの子は生きていたんだって、俺達は思い続けていたいんです。何かをする度あの子を思い出すことは、辛いこともあるんでしょうけど。でもそれは俺達の心の中で、あの子が生きているってことでもある」


コーヒーを飲むこと。煙草を吸うこと。どこかに行くこと、今日も生きること。その全てに、あの子の残り香がある。


それがなくなってしまわないように、あの子がゼロになってしまわないように。それが残された俺達の役目みたいに感じていた。


「あの子、神社の絵馬に『私と関わってくれた人が幸せになれますように』って書いてたんです」


…俺はあの子に囚われている。だから、あの子が残したこの言葉にも、例外なく囚われている。


「あの子の言う幸せがなんなのかは、よくわからないんですけど。でも、悔いがないように生きなきゃなって思うんです」


女性の目を見て、言葉を紡いでいく。


「あの子は確かに死んでしまったけど…あの子を本気で殺してしまうのは、あの子の死を想わなくなる瞬間だと言い聞かせて、必死に生きていこうと思っています」


あの子の死を想うことが、あの子の為なのかはわからない。本気で忘れて欲しくて、本気で死にたくて死んでいったんだろうから、あの子の意図するところとは違うかもしれない。


だけど俺は、絶対に忘れない。あの日俺と出会った、死んだ目をした女子高生も。部屋に通うようになって、色んな一面を見せてくれた隣人も。俺を好きになってくれた、あの子のことも。


「…だから、後ろを向いちゃいけないんだって思うんです。あの子が死んだ瞬間じゃなくて、生きた時間のことを考えて生きていこうって」


これから先も、あの子は死に続けていく。僅かに残っているあの子の記憶も、時間が経てば剥がれていくから。その一つ一つを取りこぼさないことはできないけど、取りこぼさないようにすることはできる。


それが、俺があの子を死なせてしまわない、唯一の方法だった。


「…だから、あの子の話をしましょう。あの子がここでどうやって生きていたのか、みたいな話を」


女性は涙を拭いて、それから言葉を発した。


「話を聞いてる時はどんなヘタレかと思ったけど、意外に強い子なんだね、アンタは」


あの子のおかげですよ、そう返すと、女性はクスッと笑う。


「…そっか。ちゃんとあの子は、生きてたんだね」


女性はもう一度、グラスを手に取って拭き始めた。


「生きてましたよ。ちゃんと」


冷めたコーヒーを飲みきると、すぐにもう一杯コーヒーを出してくれた。


「タダでいいよ」


ありがとうございます、と受け取る。


「喫茶店って、女性が一人でやってるの珍しいでしょ」


女性に話し掛けられる。確かに、と頷く。


「それで、このお店はこんな立地だからさ。店を持ちたいって焦るあまり、お客さんが来るかどうかなんて全然考えてなくて」


…まぁ、来やすいとは言えない立地だよな。俺は好きだけど。


「失敗したなぁ、って思った。夢を見るのって、人を盲目にさせるんだって」


それを願えば願うだけ、人はそれに縛られる。それに注力していると言えば聞こえはいいが、それ以外のことを蔑ろにしているとも言い換えられる。…夢というのは、残酷なものだ。


「でもね、あの子が来てくれてから、ここに店出してよかったなぁって思えるようになった。アタシは大事なものを貰ったけど、あの子には何も返せなかった」


女性は悔やんでも悔やみきれない、という表情をする。俺は何も言わず、続きを促す。


「…こんなことをしても、罪滅ぼしをしてるアタシの心が軽くなるだけかもしれないけど。でもあの子が好きだった奴が言ってくれてるんだから、アタシは頑張ろうと思う」


決意に満ちた目だ。あの頃、俺やあの子にはなかったもの。


「ここにこんな喫茶店があってよかったって、そう思ってもらえる店を目指すことにするよ」


…女性の笑顔につられて、俺も笑顔になる。


「…じゃあ、ゴミ箱どかした方がいいですよ」


俺がそう言うと、女性は強めに反論してきた。


「そこは『頑張ってくださいね』とか言う所でしょ」


2人で笑い合う。コーヒーを飲み干して、席を立った時、背中越しに女性に言われる。


「今度また来なよ、次はお金とるけど」


俺は振り向いて返す。


「今度は俺とあの子の大事な人も連れてきますよ」


その言葉を聞いて、女性は手を振って見送ってくれた。

…また、俺と誰かをあの子が繋いでくれた。

あの子に囚われた誰かと、話をすることができた。


人間は群れをなす動物だ。だから自分が辛い時、それをわけ会える誰かが必要なものだ。俺はあの女性と話をすることで、少しは楽になれたんだろうか。


太陽はちょうど、俺の真上にある。そのせいで、路地裏も明るく照らされている。ここは日の当たらない影の部分というわけではないようだ。俺はそう思って、部屋に帰るべくネオン街を抜けた。

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