第20話

一頻り騒いだ後、2人は帰っていった。…何をしに来たんだろう。俺はつけっぱなしになっていたゲーム機の電源を切って、窓を開ける。…柔らかな風が吹き込んで、カーテンが揺れている。


暖かい日が差し込んで、部屋はとても過ごしやすい。昼寝でもしてしまいそうな気候だ。…なんとなく、昼はゆっくり時間が流れているような気がする。良くも悪くも、遅い流れの中で活動をしているような。


車の音や、話し声や、風の音を感じる。それら全てが当たり前に生きていて、何気ない日常の一コマを作り出している。


俺達が生きるのは、ただなんとなくという理由が多くを占めているだろう。生まれてきたから、死ぬのが怖いから、ただ何となく生きている。それは自分が何となくと思っているだけで、努力したり挫折したり、清濁併せ呑んで生きてきたことには変わりない。だからこそ、生きているだけで素晴らしいと思う。


大多数の人間は、自分の人生に不満や後悔がある。もっと器用なら、とか、もっと容姿が良ければ、とか。神様に与えられた自分の能力値を、全員が全員低く見ている。


神なんていない。宗教の自由が認められていて、殆どの人間が自分の信仰する宗教を持たない日本では、そう言う人も少なくない。かくいう俺も、万物に宿る神なんてものを信用しているわけではない。ただ、神はいると思っている。


…俺が信じるのは自分だけ。良いことも悪いことも、全て選んだのは自分だから。だから、神がいるのは自分の心の中だ。人間は器用な動物だから、自分に嘘をついて生きられる。やってみたい物事をやらない理由、自分の人生に不満がある理由、何かが上手くいかない理由なんかを、都合のいい言葉で片付けることができる。間違ったことを言わずとも、自分にとって都合のいい解釈はできるから。


でも、嘘をついたという事実は残る。見切りをつけた、才能がないんだ、資金がないんだという言葉が言い訳だと、自分だけは知っている。同じように、人に感謝する気持ちも、誰かを思いやる気持ちも、心だけが本当かどうかを知っている。


神様はなんでもお見通しで、それに天罰を下せるのなら。神様のいる場所は、自分の心の中だ。自分の行動が偶然の産物であったとしても、それは自分で動くと決めたから起こった出来事であり、最初から主導権は全部自分にある。


だから、今の自分が置かれている状況は、全部自分で選んだものだ。奇跡なんて、起こしに行かなければ起こらない。何も起こらない平穏を愛せる人間には、一生なれはしないと思うから。今まで嘘をついたこと、今まで心の底から本気でやったことは、自分の中で生き続けている。ただ生きているだけなのか、それを活かすことができるのかすらも、自分で選び取ることができる。


これがゲームなら、失敗する度にやり直せばいいだけの楽なゲームだろう。それが出来ないから、これはゲームではないというだけで。

人生なんて突き詰めてみれば、一個だけしかライフのない、ただのゲームだ。


チャンスは二度来ないというが、厳密に言えば二度挑戦をする気になる人がいないというだけなのだと思う。諦めない限り、チャンスは見え隠れしていて、それを掴めるかどうかは自分次第だから、やれるだけやったらいいんだと思う。


そう。俺はやれるだけやるんだ。後悔しない人生を。やれるだけやって、それがダメだったら仕方ない。俺が選ぶのはそういう腹の括り方だ。


「よっし、頑張らなきゃな」


俺は靴を履いて外に出る。今日はあの知らない路地裏を探そうと思う。あのよくあるネオン街に、何か見覚えがあるような気がする。公園には野良猫がいて、俺を見ると逃げるように走り出して、すぐに止まった。


猫は、振り向いて俺を見る。まるでついて来いとでも言うように。

俺が一歩近づくと、猫は3歩ほど進む。…そしてまた、俺の方を振り向く。


俺は猫について行くことを決め、歩き出す。俺の気持ちが伝わったのか、猫は振り向かなくなって、進んでいく。


近くの工場の横を抜けて、知らない住宅街を通っていく。

駅から離れてみると、そこは俺の知らない街みたいに見える。


知っているつもりになっていただけ、という感覚。それはあの子が死んですぐに思ったことと似ている。あの時は寂しいような感覚になっただけだったけれど、二度と取り返せないわけではない今は、ワクワクする気持ちの方が強い。


猫が左に曲がったのを見て、俺も左折する。そこはまさしく、俺が夢の中で見たネオン街だった。昼間ということもあって、閑散としている。


何本目の路地裏だったか、一つ一つ覗いて確認する。その間に、猫はいなくなっていた。…あまりにも、似たような景色だ。結局入ってみなければ、それが俺の見た路地裏なのかはわからなかった。


2つ目、3つ目、と路地裏を覗いていく。…入ってみた所、ドアがあった。喫茶店の看板が出ていて、俺はそのドアを開けてみた。


「…いらっしゃい」


愛想がいいとは言いづらい女性の声がした。…ここの店主だろうか?


「一人です」


俺が言うと、カウンター席の一番左側に案内される。

客は俺だけしかいないようだ。


「…アメリカンで」


俺が言うと、女性は厨房に消えていった。…それから、すぐにカップを持って現れて、俺の前に置いた。


「よくここに店があるってわかったね」


コーヒーを啜っていると、女性に話しかけられる。


「猫が案内してくれて」


そう答えると、女性はくすっと笑う。


「この間まで来てた女子高生も同じようなこと言ってたよ」


…女子高生。そう聞いて、もしかしたらヒントがあるかもしれないと思った。


「…飛び降り自殺した子ですか」


俺が聞くと、女性はびっくりしたような顔をする。


「アンタもしかして、近所のお兄さんって呼ばれてた?」


肯定すると、気まずい沈黙が流れる。


「…残念だったね。いい子だったのに」


先に沈黙を破ったのは女性の方だったが、そうですね、と返すしかないような言葉だった。


「あの子、最後来たのいつだったんですか?」


女性は拭いていたグラスを置いて、ため息をひとつついた。

俺はもう一口、コーヒーを啜る。


「…ちょうどその日だよ」


…え?

耳を疑った。


そんな俺を見て、女性はもう一度口を開く。


「あの子が飛んだ日。飛ぶ直前に、ここに来てたんだ」

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