第19話

早朝から煙草を吸ったはいいものの、これから用事があるというわけでもない。日付を見てみると、どうやら今日は休日らしい。…まぁ日付感覚というのは多くの人の目安になるというだけのことであって、俺にとっては重要ではなかった。


昨日と一昨日で好きな街が増えた。それだけでも、大きな収穫とすら思える。今日は家でだらだらしたっていい。肉体的な疲労はそれほどでもないが、2日連続で慣れないことをして精神的な疲労が溜まっていた。


時間は朝6時。特にすることもないし、久しぶりにゲームでもしようかな。平日とは違う休日を過ごしたのも、だいぶ久しぶりに思えた。ゲーム機の電源を入れ、コントローラーを手に取る。


ちょうどその時チャイムが鳴った。少し嫌な予感がする。


ドアを開けると、そこには桐野がいた。


「家まで遠いので寝かせてください…」


そんなに遠くはないだろ。そうツッコミを入れる余地もないほど、疲れきって見えた。


「…深夜のバイト、やめたら?向いてないと思うよ」


俺がそう言うと、桐野は反論してきた。


「10時から5時までは時給が25%増しなんです、その差は大きいんですよ」


…高校3年生が思うことだ。普通の人が寝ている時間働くというのが大変だから、時給は25%増しなんだ。桐野のように昼間学生をしている人間が両立できるほど楽なことではないと思う。


桐野は靴を脱ぐ時も躓きかけたので、手を貸す。何はともあれ心配だ。寝室まで案内して、桐野を布団に寝かせる。


「先輩の匂いだ〜」


布団にうつ伏せになった桐野は、脳みそが溶けきったような声でそう言った。…俺ってもしかして臭いんだろうか。

暫くすると桐野は死んだように眠り始めた。呼吸音もほとんどしないため、心配になる。


こいつも頑張ってるんだなぁ。何となく、俺は桐野の頭を撫でた。桐野は少し嬉しそうな顔になる。


「お疲れ様」


小声でそう言って、寝室の襖を閉める。

なるべく桐野を起こさないように、音を出さずにゲームを始める。…やっぱり下手になってるなぁ。昨日のゲームを通して、ゲームはやらないと下手になってしまうということを学んだ。


一段落して時計を見る。10時だった。4時間もゲームをするのは久々だ。

そう思っていると、またチャイムが鳴った。


「はい」


ドアを開けると、そこには彼女がいた。いつも通り元気な挨拶をする前に、口に人差し指を当てて静かにしてというサインをした。


「どうしたんですか?」


彼女は小声で聞いてきた。俺は事情を説明する。


「へぇ、そうなんですか」


彼女は俺の許可なく部屋に上がる。


「…後輩キャラが好きなら、先輩って呼びましょうか?」


別にそういうわけじゃないけど…と否定をする。不機嫌になる気持ちも分かるが、それは仕方ない。俺はどうにか宥めようと、たくさん言葉を考える。


「本当にいい人ですよね、薊さんって」


彼女は少し刺のある言い方をする。そう言われても…。俺にはそう返すしかなかった。


「まぁ別に私は彼女じゃありませんし、好きな人が誰と遊んでいても文句を言う権利もありませんけど」


明らかに拗ねている。…年相応な姿を見るのは初めてかもしれない。何となく大人びている彼女のそんな姿は、なんというか可愛かった。


「…何笑ってるんですか」


ジト目と言うやつだろうか。俺を責めるような冷めた目で、彼女は言った。


「その…可愛いなと思って」


俺は正直に思っていることを伝える。


「は、はぁ!?」


彼女は明らかに動揺している。顔は耳まで真っ赤で、自分でもそれに気づいたのか俺から顔を背けた。


「…そんな言葉で誤魔化されませんから」


背中越しに彼女はそう言うが、そうは見えなかった。…男性慣れしてないんだなぁ。何となく分かってはいたけど。


「…うるさいです」


寝室の襖を開けて、桐野がリビングに出てきた。

寝ぼけた目をしていたが、彼女の姿を見るとはっと目を見開いた。


「何しに来たの?先輩の家に」


桐野は敵意剥き出しに冷たい声色で言った。


「あなたには関係ないです」


それに応じるように、彼女も冷たい声色で返す。

…こんなものに巻き込まれるなんて思ってもいなかった。

俺はどうしたらいいか分からなくて、ただ牽制し合う2人を眺めていた。


「…ふふっ」


不意に桐野が笑い始める。それに釣られるように、彼女も笑い始めた。


俺は訳が分からなくて、そんな2人を呆然と眺める。


「…昨日はどうだった?円歌ちゃん」


「楽しかったです!2人でプリクラも撮りました!」


そんな俺を置いて、2人は仲良く話し始める。

よかったねぇ、と笑う桐野は、口を開けたままの俺を見てさらに笑った。


「一昨日仲良くなったんですよ、あの後」


…あの時、桐野が彼女を追い掛けたのはそのせいだったのか。俺はほっとして、自然に笑顔になる。


「…ほっとしてる場合ですかねぇ」


彼女は分かってないなぁ、というように笑う。俺は意味がわからなくて、桐野に助けを求める。


「私達はどちらを選んでもらっても後腐れはないようにします。意味わかりますか?」


俺は全く分からなくて、今度は彼女に助けを求める。


「つまり、傷付けたくないから〜なんて理由で逃がしませんよって意味です!」


嬉しそうに言う2人が、怖く見えた。

俺は助けを求めたい気持ちになる。昨日の夢の中では、あんなに一緒にいたいと思えた2人だったのに。

やっぱり一緒に行けばよかったかなぁ。心の中にあの子を思い浮かべながら言うと、あの子は笑ってくれた。


「そういえば先輩、何で私の頭撫でたんですか?」


桐野に言われて、途端に恥ずかしくなる。起きてたのかよ。すると彼女はずるいです!と言って、自分も撫でるよう求めてきた。


俺は起きてるんだから無理だって、と言うが、彼女はじゃあ今から寝るので撫でてください!と寝室に向かっていった。桐野はそんな俺達を楽しそうに眺める。


「なんでわざわざ言うんだよ…」


俺が言うと、桐野は意地悪く笑う。


「面白そうだったからです」


性悪め。俺は心の中で悪口を言って、寝室に向かう彼女を止める。せっかくお洒落をしているのに、寝たりしたらぐしゃぐしゃになっちゃうだろうし。


じゃあ今撫でてくださいよ!と頭をぐりぐり押し付けてくる彼女を宥めていると、桐野がぼそっと呟いた。


「私は可愛いなんて言われたことないけどなぁ」


…もしかして、拗ねてるのか?桐野は顔を合わせてくれない。


「言わないし、撫でないからな!」


俺の助けを求める声は、誰にも届くことがなかった。

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