第18話

俺は違和感を感じていた。

いつもの様に、落ちていく感覚がないことに。


暗い廊下の向こう側に、一筋の光がある。俺はそちらに向かって歩いていく。


廊下を渡りきった所にはドアがあって、俺が見ていた光はそのドアの隙間から漏れたもののようだった。


ホラーゲームだったら、このドアは開かないんだろうな。そんなことを思いながら、ドアノブを回す。カシャ、と音がして、ドアは開いた。


…ドアの向こうは、見たこともない路地裏だった。ゴミ箱が置いてあって、室外機があって、その先からパイプが伸びている。

左は行き止まりで、右は外に通じているようだ。俺は右に向かって進んでいく。


野良猫が、俺に脅えて走り去っていく。なんとなく気になって、猫が逃げた方へ曲がってみる。

そこはよくあるネオン街で、まだ昼間ということもあって人気はなかった。


猫を見失ってしまったので、探そうと他の路地裏に入ってみる。

昼だというのに真っ暗なその路地裏で、開いたドアに入っていく猫を見つけた。


俺は追いかけて、そのドアの中に入る。

…入った先は、俺の部屋だった。

猫はいなくなっていて、ベランダに通じる掃き出し窓が開いていた。


俺はベランダに出ようと部屋に上がる。木々が揺れる音がはっきりと聞こえてくる。…見慣れた場所だからだろうか、その夢はあまりにもリアルで、もしかしたら現実なのかもしれないと思うほどだった。


ベランダに出ると、室外機の上に缶が置いてあった。吸殻を入れてくださいと言われた缶だ。…一本しか置かれていないということは、これは過去だ。しかも、あの子はまだ生きている。


そんなことを考えている間に、目の前を何かが通り過ぎた。凄い速度で落ちていったように見えた。ドサッという音がして、俺は下を覗く。

…血溜まりの中に、よく見慣れた人物がいた。本当に夢なのかと疑うほどに、鮮明に。


あぁ、あの子は背中から飛び降りたんだな。最後の最後まで、空を見上げながら。

自分でも意外なほど、俺は冷静だった。何度も見てきたみたいに、慣れていた。


俺は部屋に戻って、靴を履く。

階段を降りる。いつもみたいに勝手に落ちていくわけではなく、自分の足で降りていく。


公園に着く。やっぱり見間違いではなく、横たわるようにあの子が倒れている。その目には、光はなかった。ただ見開かれて、空が映っている。…快晴だ。


不思議と、俺とあの子以外は誰もいなかった。だから俺は、物言わないあの子だったものをずっと眺めることができた。


…なんで君は、死んじゃったんだろうなぁ。同じように目に光を灯さないぬいぐるみに話しかけるように、俺は声をかけた。


なんでかは結局、自分で探すしかなかった。所詮俺の夢だから、あの子が答えをくれるはずもない。


そう、これは現実ではない。俺の夢の中で、ただあの子の入れ物が横たわっているだけ。そこに、あまり意味を感じなかった。なんでこんな夢を見るんだろう。俺がそう思っていると、途端に場面が切り替わった。


…また、知らない道だ。いや、2回目だから知っている廊下か。同じように先の方には光があった。俺は逆方向に進んでみる。


そこにも、光があった。生活感のある、部屋の照明のような光だ。俺はそこに足を踏み入れる。


すると、そこは俺の部屋によく似た間取りの違う部屋だった。…俺の部屋以上に空っぽだ。

同じようにベランダに続く掃き出し窓が開いている。


俺は靴のままベランダに向かう。

そこにはあの子がいるはずだと信じて。


当然、あの子はいた。手すり壁の上に立っていた。その姿には、何故か見覚えがあった。

俺はあの子の手を掴もうとする。…このままだと、死んでしまう気がして。


しかし、あの子の手に俺の手が触れることはなかった。何故だか分からないけれど、何度掴もうとしても空振ってしまう。


あの子は俺を一瞥する。…にっこり笑って飛び降りる姿が、何故だか鮮明に思い起こされた。


「行かないでくれ!」


俺は叫ぶ。あの子はにっこり笑う。


「行かないで欲しいんだったら、一緒に行こうよ」


懐かしい、あの子の声で言われる。


「今だったら、私の手も掴めるよ。ほら」


そう言って、あの子は俺の手を取った。初めて触れる手の感触は、とても冷え切っていた。


「ねぇ、どっちがいいですか?私と一緒に飛ぶのと、あの子達と一緒に過ごすのと」


敬語と、友達といるような言葉遣いの入り混じった話し方は、やっぱりあの子のままだ。

あの子が差す方向には、彼女と桐野がいた。


彼女も桐野も、俺を呼んでいた。…あの子が見えていないんだろうか。声は遠くて、俺の名前以外はよく聞こえなかった。


「早く選んでよ、私かあの子達か」


あの子は余裕そうに笑う。俺は下を確認してみる。まず助かる高さじゃない。死んだこともないのに、本能的にそう思った。


二人の声は徐々に大きくなっていく。完全に俺が飛び降りると思っているようで、涙を流しながら叫んでいた。


「…どっちがいいかは、お兄さんもわかるよね?」


あぁ、そうだね。

俺は繋いでいた手を、離した。


「正解…なんだけど、少し寂しいな」


あの子は寂しそうに笑って、それから落ちていく。見たことのある光景だった。

駆け寄ってきた二人は、俺に抱きついてきた。強く強く抱き締められて、俺は笑う。


…目が覚めた。

いつもより前向きな気持ちで立ち上がる。


顔を洗おうと洗面所に行く。…今日はちょっと、愛想がいい。何でだか分からないけれど、確かな充足感があった。


今日も生きよう。伸びをして、ベランダに出る。太陽は強く俺を照りつける。…何でか、希望の光みたいに見える。


俺は煙草に火をつける。昇っていく煙は、太陽に触れそうだった。

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