第14話

結局、桐野を家に泊めた。初めから泊まる気で服も用意していたらしく、今は風呂を貸している。


桐野を泊めるのは、多分1年以上ぶりだ。あの時は恋愛とかそんなものを考えてはいなかったから、何も考えずに泊めていた。

だけどあんなことを言われた後に今まで通り泊められるかといえば、そんなはずなかった。


今まで経験したことのない状況…というわけでも無いはずだけど。でもやっぱり、意識してしまう。というより、意識するなという方が難しいだろう。


「は〜気持ちよかった」


そんな俺とは対照的に、桐野はリラックスしきった様子だった。

薄着に突っ込んだら負けだと思って、何も言わずに寝室に向かう。


あの子が生きていた時は急に来たりもしていたので、家には布団が2組ある。これもあの子が残してくれたもの…なのか?まぁいい。俺は2組布団を敷いて、左側の布団に寝そべった。こういう時は、早く寝れば寝るほどいい。


桐野は大人しく右側の布団に入って、おやすみなさいと言った。俺もおやすみと返して目を瞑る。


段々と体が沈んでいく感覚。布団を通り越して、どこまでもゆるやかに落ちていくような、そんな感覚。それがある時は、自然と深い眠りに入ることができる。


意識の紐を手放して、俺は降りていく。何処へともなく、ただ下の方へ向かっていく。

…どこか広い場所だ。明るさを感じる。目を開けてみると、地平線が見えた。


俺は宙に浮いていた。…明晰夢、と言う奴だ。

ゆっくりと、地面に向かっていく。

ここは…?見覚えのある場所ではないように思えた。


突然、投げ出されるように急降下する。俺は距離を確認しようと下を向く。

…あぁ、ここは。

真下に見えたのは、狭い公園だった。吸い殻が散らかっていて、ベンチがあって、添え物程度の滑り台がある、見慣れた公園。


考える間もなく、地面が迫ってくる。俺は目を瞑る。

…あの子の最期の、追体験?でもなんで、このタイミングで?

俺が疑問に思っていると、いつまで経っても地面にぶつかる感覚がないことに気付いた。


目を開けるとそこは、今日見つけた公園だった。

俺はベンチに座っていた。遊具の方では、あの子が自分の名前を彫刻刀で刻んでいた。


「……」


あの子は何も言わなかった。悲しそうな顔をして、ただ夢中で名前を彫っていた。

ベンチから立ち上がることも、目を瞑ることもできなかった。動けないまま、ただあの子が名前を刻むのを眺めるしかなかった。


「……」


あの子は最後に、空を見上げた。

夕焼けが広がっていて、空は朱とも紫ともつかない色だ。


それからあの子は走り去っていった。そこまでは、俺が想像したのと全く一緒だった。


場所は変わって、ここは俺の住むマンション。俺はいつも通り、ベランダから公園を眺めていた。…いや、いつもよりも、公園は遠かった。


隣を見れば、あの子がいた。手すり壁の上に立って、俺と同じようにベランダを眺めていた。

あの子は俺を一瞥して、にっこり笑って背中から飛び降りた。


手を伸ばしても、もう届かない。

あの子の目には、ここではないどこかが映っていた。


「行かないでくれ!」


叫んで、次に見たのは自分の部屋の天井だった。

幸い声は出ていなかったようで、隣では桐野が寝ていた。…ん?隣?


桐野は俺の布団に入ってきていた。

俺は桐野を起こし、自分の布団に戻るよう言う。


「…ん〜、別にいいじゃないですか」


桐野は眠そうに目を擦りながら、自分の布団へと戻っていった。

そんな一悶着の間に、夢の内容は忘れてしまった。ただとてつもなく、やるせない夢だった気がする。


時間は朝7時だった。

俺は冷蔵庫から野菜ジュースを出して、コップに注いだ。


トマトベースの野菜ジュース。水より少し粘度の高いそれを一気に飲み干して、洗面所に向かう。


相変わらず無愛想な顔だ。その顔には涙が伝っていた。

…何の夢だったんだろうなぁ。

俺は顔を洗って、歯を磨く。


そのうち桐野も起きてきて、同じように顔を洗って歯を磨いた。歯ブラシも持参しているあたり、絶対に泊めてもらえるという確証があったんだろうな。少し悔しい。


「今日はどこに行くんだ?」


俺はそういうものを考えたことがなかったので、桐野に丸投げする。桐野なら、多分俺も楽しめるところを選んでくれるはずだ。


桐野と俺は服を着替え、外に出る。電車に乗り、4駅先で降りる。

途中で桐野は花屋に寄った。


「なぁ、何しに行くんだ?」


俺が聞くと、桐野はまぁまぁ、と場所を濁した。

歩いていくと、その道に見覚えがあることに気づいた。


やがて着いた先は、やっぱり見覚えのある、母の眠る霊園だった。


「先輩、どうせ墓参りしてないと思って」


…つい昨日、墓参りに行こうと思い始めたんだけど。そんな事までこいつにはバレているのか?


「行こうとしてたんだよ、近いうちに」


口に出してから、言い訳じみてるなぁと思った。

母の墓に着くと、花がまだ枯れていないことに気づいた。俺は長いこと来ていないから、多分父だ。…やっぱり家族なんだなぁ。漠然とだが、そう思った。

もう顔も思い出せないほど長いこと父とは会っていないけれど。

俺一人を養うために、昼夜を問わず仕事をしている父に顔向けできるような人生を歩めているとは思えないけれど。


今度電話くらいはしてみようかな。そう思えた。


母には最近の生き方について報告した。

人をちゃんと愛せるようになったこと、人の為に泣けたこと、毎日を大事に生きようと思えたこと、全てを報告した。


母からの返事は当然ないけれど、それでいいと思えた。きっと天国で笑っていてくれることだろう。


桐野も、母に手を合わせてくれた。桐野とは一度だけ面識があって、通夜にも参列してもらった。

いいお母さんですよね、と何度も言われ、その度に自慢の母親だよと返していた。


空は快晴だ。雲一つない、清々しい空だ。

俺が墓参りをしに来たことを、喜んでくれているみたいに。

病室での母の笑顔を思い出す。大丈夫、まだちゃんと、心の中に刻みついている。


母の遺影を思い出す。幸せを全部詰め込んだみたいな、割れんばかりの笑顔の写真。

それは参列者とは真逆で、だけど皆が口々にいい写真だねと褒めていた。


「…母さん、俺も頑張るよ」


今の俺では、まだ足りないだろう。だけど負けないように、俺もお墓に向かって笑った。

太陽は強く輝いて、母のお墓は反射でキラキラ輝いている。

それは何だか、俺に笑い返してくれているみたいだった。

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