第13話

帰り道。最寄り駅にて別れた彼女はもう一度、俺に好きだと言った。

俺は曖昧に笑って、彼女と別れた。


「何がいいのかねぇ」


街灯の下を歩いていく。歩き慣れた道だ。今更言うこともないくらい。

野良猫が俺を見て逃げていく。まぁ、飼い慣らされていない動物はむしろあれが正解だろう。


コンビニに寄ると、桐野がいた。店員ではなく、単純に客として。


「こんばんは」


ヘッドホンを首にかけて、オーバーサイズのパーカーというラフな格好で立ち読みをしていた桐野は、俺に気づいて挨拶をくれた。俺も挨拶を返して、飲み物のコーナーに向かう。


アセロラジュースを手に取って、レジへ向かう。ついでに煙草も買い足す。

無為な日常の風景。これを繰り返せているのだって、俺が生きてるからだ。


黄色のビニールテープは撤去されていたが、人気はない。相変わらず公園内だけはあの子が死んだ日のまま、時が止まったみたいに人の干渉を受けていない。


公園の入口には、小さな花束が供えられている。俺もそこにアセロラジュースを置いて、部屋に戻る。


ここももう、修理が必要な気がする。

外付けの階段を昇っていく。カンカンと小気味いい音がして、一段一段俺の部屋へと近づいていく。


…なんだか、新鮮味がある。いつもいた自分の部屋のドアに鍵を挿すのも、そのドアの向こうの何も無い部屋も。


ご飯を作るような気になれなくて、シャワーを浴びるために服を脱ぐ。

洗濯物もゴミも、いつの間にか溜まっている。溜めているような自覚はないけれど、それが自分がここで暮らしている証明だ。


洗濯機を回して、風呂場に立ち入る。

シャワーを浴びている時は、何だかいつにも増して解放された感覚がある。

ただでさえも重い前髪が、濡れてさらに垂れ下がろうとする力を増す。それを掻き上げて抗う。


シャワーの水音と、俺が手を動かす音だけが、狭い部屋に充満する。

物思いに耽りやすい環境だ。


結局、あの子に会えたかどうかは謎のままだ。ただあの子の生きた証はいくつか見つけられたし、それで良しとしよう。今は。

風呂場を出て、体を拭く。しまった。どうせだったらこのバスタオルも一緒に洗ってしまえばよかった。


服を着替えて、キッチンに向かう。どうせ洗濯物を干さなければならないので、それまでコーヒーでも飲んで待とうと思ったからだ。


ドリップコーヒーももう無くなりかけていて、さっき買っておけばよかったなぁと思う。

お湯を注いでいくと、コーヒーの香りが立ち上る。やっぱり、コーヒーは好きだ。


カップを持って、リビングに向かう。お茶請けなんかは必要ない。ただゆっくりと飲み込んでいく。

スマホを眺める。勿論LINEも来ないし、何か俺個人に対してのメッセージは迷惑メールくらいだ。


動画サイトで猫の動画を見ながらコーヒーを飲む。

そんな何気ない日常を有難いと思う。…コーヒーと同じで、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまうかもしれないけれど。


まずはそうならないように、日々を大事に生きるのが目標だ。適度に自分を肯定しながら、適度に誰かと関わったりして、適度に満たされていくことが。


ピンポーン。


珍しくインターホンが鳴ったので、俺は応対する。


『こんばんは、来ちゃいました』


その声は間違いなく桐野のものだった。

ドアを開ける。


「さっきぶりです、先輩」


何をしに来たんだろう、と思いながら部屋に通す。

桐野は定位置に座る。


「今日は何してたんですか?」


俺は今日あったことを説明する。あの子のお墓に行ったこと、彼女に告白されたことなどを。桐野は黙って俺の話を聞いていた。


「…先輩って、なんというかこう、損な人ですよね」


桐野は立ち上がって、顔を近づける。


「深く考えずに、染まっちゃえばいいのに」


俺は顔を背けて答える。


「深く考えずにしたことで成功したことがないんだ」


桐野はすぐに離れてくれた。


「まぁ、私はいいんですけどね。でも非情にもなりきれないし優しくもできないなんて、傷つくのは向こうですよ」


それも分かってる。分かってても、解決策が思い浮かぶわけではない。


「…はぁ。本当に、優しいんだか酷いんだかよくわかんない人ですねぇ」


桐野は漫画みたいに両手を広げて溜息をつく。

それから両手で俺の顔を抑えて言う。


「ていうか、また告白されたんですか?私に黙って」


黙っても何も、急にされたんだ。俺がどうにかできることじゃないだろ。

そう言うと、桐野は可笑しそうに笑う。


「ツッコミどころ、そこなんですか?」


…よくよく考えれば、俺が告白されたことを桐野に報告する義務はなかった。


「はぁ。そういう所ですよ、そういう所」


桐野は自分の定位置へと戻っていく。そういう所ってどういう所なんだ。


「それよりゲームしませんか?今日は勝てる気がするんですよ」


俺はゲーム機の電源を入れて、コントローラーの1つを桐野に渡す。

…結果はいつも通り、俺の圧勝だった。俺がなにかする度に大袈裟なリアクションをするのが面白くて、いつもボコボコにしてしまう。


「いつになったら勝てるんですか!」


俺に聞かれても。そう答えて、拗ねた桐野からコントローラーを回収する。


「ほら、もう遅いから帰れ」


ゲーム機の電源を切りながら言うと、桐野は寝室の襖を開ける。


「絶対帰ってあげません!」


…はぁ。面倒なスイッチを入れてしまった。手加減してやればよかったかな。

こうなると説得すればするほど帰らなくなるので、諦めてベランダに出る。


買ったばかりの煙草の封を開ける。実はこの瞬間が一番楽しかったりする。

しばらくして、桐野もベランダに出てきた。


「今度おすすめ教えてくださいよ」


そう言いながら、俺の隣で煙草に火をつける。メンソールの、比較的軽い煙草だ。


「あぁ、今度な」


このやり取りはもう、俺達の間ではお約束だった。桐野が煙草を吸っていない時から。


「あと、明日遊びに行きましょう」


あぁ…と答えて、振り向く。

上の空で全く話を聞いていなかった。


「約束ですよ、先輩」


桐野はへへ、と笑う。

やっぱりこいつは俺のことをよくわかっている。

好きだと言った以上気軽に遊べるタイプでもないことも、煙草を吸っている時は何も考えていないことも、全てバレている。


「はぁ、しょうがないな」


ベランダからは2筋の紫煙が、絶えず立ち上っていた。

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