第12話

…心の中で言いたいことを言って、顔を上げてみても。

返事があるわけでも、奇跡が起こるわけでもない。


そう分かっている。満足して、俺は彼女に場所を譲った。

妙に清々しい気分だ。何の謎が解けたわけでもないのに。


やがて彼女の順番も終わり、最後にあの子のお母さんが、時間をかけて手を合わせた。


きっと俺達の何千倍も、言いたいことがあるんだと思う。俺達の知らないあの子も、知ってしまっているんだろうから。


母親は偉大だ、やはり。…今度、母さんのお墓に行こうかな。

そんなことを思っているうちに、あの子のお母さんが立ち上がった。


「今日はありがとうね。あの子もきっと、喜んでると思うわ」


…だけど、やっぱり笑顔は痛々しかった。

あの子のお母さんの背中が遠くなっていくのを、俺達は見届けた。


「あの辺りってさぁ、神社っぽくない?」


指をさした先には、鳥居が立っていた。

俺はここに来てから、そのことが気になっていた。


「ん〜…確かに、それっぽいですね」


彼女は目を細めて、霊園の向こうを眺める。

目が悪いのだろうか。


「…行ってみない?あそこ」


俺が言うと、彼女は嬉しそうにはい、と返事をした。


参道だろうか、細い道がくねくねと、鳥居まで伸びていた。勿論コンクリートなんかではない。土でできた道を進んでいく。


「手を合わせてる時、何考えてた?」


俺より少し前にいる彼女に声を掛ける。


「うーん…色々言いましたけど」


彼女は振り返って、笑顔で言った。


「生きててくれてありがとう、って言いました!」


…やっぱり。

これも、あの子の持っていたものだろうか。これまで関わってきた人二人にありがとうと言わせられるのは、あの子の人徳のなせる技だろう。


「実は俺もそう言ったんだよ」


俺も笑って返す。

彼女に追いついて、また神社への道を進んでいく。


今度は彼女は、俺に合わせてゆっくりと歩いてくれた。

360度、自然の音がする。

鳥のさえずりも、風に葉が鳴く声も。


全てが調和して、この道を彩っている。そう思うのはここを生きていない俺達特有の感性で、ここで生きている動物達はそう思っていないのかもしれない。

例えば木漏れ日。


視界を遮らないように整備された街中では、日陰と日向ははっきりと分かれている。だけどここにはどっちも存在していて、それが心地良いとすら思えた。


やっぱり人間って、自然を捨てきれないのかもなぁ。心からそう思ったけれど、恥ずかしくて彼女には伝えられなかった。


「いいね、こういうの」


そんな曖昧な言葉で、この感動を伝えた。

伝わっても、伝わらなくてもよかったけど。


「いいですよね、こういうの」


彼女も同じように思ってくれていたようで、同じ言葉を返してくれた。


…生きている間しか、こういう感動も共有できない。

生きている間しか、辛いことも共有できない。

生きている間しか、人と歩むことはできない。


生きている間しか、生きることはできない。

だから俺は生きる。あの子がいなくなっても。


人として生きることを教えてくれたのは、人が見捨てた自然だ。そんな皮肉に、俺は気付いた。


「…生きようね、俺達は」


願いとか、祈りとか、縋ることにも似た言葉。考える前に口から漏れてしまった。


「生きましょう。私達は、私達らしく」


自分らしく生きること。それは簡単なようで難しい。誰かを真似て生きることだって、それを選んだのは自分の意思だ。


自分らしさを探しながら常に変わっていくことが。自分が大切に思うことを信じ続けることが。そして、それに満足をしていることが。


それが俺の中で、自分らしく生きるということだ。

自分を信じる気持ちも、そんな自分を疑い続ける気持ちも、自分を好きでいることも、それに満足しないことも、全てが必要で、それはつまり、ずっと矛盾し続けるということだ。


「…生きよう。俺達らしく」


でも、もう覚悟は決めたから。振り返った自分を好きになれないのは、後悔じゃなくて反省だってちゃんと理解しているから。


だから俺は、自分らしくいるよ。


「そういえば来月は、あの子の誕生日なんですよ」


何も知らないでしょうから。いたずらっぽい笑みで、彼女はそう言った。

しかし誕生日が10月というのは正直意外だ。如何にも春生まれみたいな名前と雰囲気なのに。


「10月生まれなのに…春歌?」


俺が聞くと、彼女は答えてくれた。


「最初から決めてたらしいんです。詳しいことは知らない、って言ってましたけど」


春に儚いイメージがあるのは、多分桜のせいだ。

見頃は一瞬で、葉をつけている期間も長いわけではない。


それでもその一瞬の輝きは圧巻の一言で、毎年心を奪われる。

名は人を表すとは言うが、あの子は本当に春みたいな子だったな。


だからこそ、早く散ってしまったんだろうけど。


…そろそろ、神社に着きそうだ。

鳥居に一礼して、下をくぐる。


神様を見た事はないけど、それを信じこの神社を建てた人の意を汲むことはできる。


空気も、温度も、音すらも、全てが違うように感じる。

それはここが神に愛された地だからなのか、ただの勘違いなのかはわからないけど。

まぁ、どっちだっていいことだ。


賽銭箱に五円玉を投げ入れて、二礼二拍手をして、最後に一礼をする。

機械的な動作だ。教えられたことを教えられたままする。どうしてこれをしなければならないのかなんて、今の今まで気にしてもみなかった。


境内は割と綺麗に掃除されていて、人が来ているような形跡もあった。


「何祈ったの?」


俺が聞くと、彼女はさっき言った通りですと答えた。俺も、と言い、二人で笑う。


あの子に会わせてくださいなんて頼むのは、筋違いだと思った。会えるはずだと言ってくれた人がいたから、そしてあの子の残したものを感じられたから、俺達はきっとあの子に会えたんだ。…いや。


会えなくても、いつだって感じることはできるんだ。


「また来ましょう。あの子のお墓にも、ここにも」


彼女が笑顔で言った。

俺は頷いて返事をする。


あの子は生きたいと思っていたし、生きたいと思ったこの街で眠ることを選んだ。それは間違いない。

でもそれは前後の話で、死んでしまった瞬間の話ではない。

だから俺達は、あの子をもっと知らなくてはいけない。


境内には絵馬が吊るしてあって、何気なくそのメッセージを読んでいく。

縋るようなメッセージ、決意のようなメッセージ、望みのようなメッセージなんかが、ずらりと並んでいた。


「俺達も、なんか書こうか」


彼女に話し掛けると、俺が読んでいる間に二つ用意していた。

準備がいいなぁと思いながら、差し出された一個を受け取る。


何を書くかはもう決まっていた。

柄にもなく一角一角丁寧に文字を書いていく。


「…できた」


彼女は女子高生らしく、絵もつけてファンシーな仕上がりだった。

俺達は隣同士に絵馬を吊るす。


二つの絵馬に書かれた文字は、やっぱり同じだった。


「自分らしく生きる」


俺達がするのは、縋ることでも望むことでもない。誰かに貰うものでも、高望みでもないから。

だから、決意を。


生きることは、人の死から学んだ。

死ぬことは、人の生から学んだ。


相反するような生と死という概念は、どちらかが存在しなくなったらどちらも無くなってしまうものだ。


だから俺達は生きている間、死のことを考えている。

死んだら生きることを考えたりするのかな。…それも、あの子とだったら悪くない。


「行きましょう、薊さん!」


絵馬を眺めていた俺に、鳥居の下にいる彼女が声をかけた。

俺は今行くよー、と返事をする。

俺の書いた物の下にあった絵馬には、こう書いてあった。


『私と関わってくれた人が幸せになれますように』


俺はそれを隠すように、自分の絵馬を戻した。

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