第7話

『はい、倉敷ですが』


インターホンの先の声は落ち着いていた。苗字が違うから、母方のおばあちゃんだろうか。


「おばあちゃーん!私だよ!」


彼女はとても明るく、インターホンに話しかけた。


『あぁ、円歌かい。ちょっと待ってておくれ』


とんとん、と人が歩く音がして、やがてがらがらと引き戸が開けられる。


「久しぶりだね、円歌…と、そちらの人は?」


これがあの子のおばあちゃん。

自己紹介をしようとすると、それを制すように彼女が話し始めた。


「久しぶりー!これが『近所のお兄さん』だよ!」


その呼び名で通じるのか?俺が心配していると、倉敷さんはあぁ、あんたが、と言った。

…どこまで浸透してるんだよ、その呼び名。

下手したら俺の名前よりも知名度があるんじゃないか?


「まぁ、入っておくれよ。何もないところだけど」


俺達は促されるまま部屋に入る。

そういえば、と俺は倉敷さんを呼び止める。


「あの…お土産を」


こういう時、どう声をかけたらいいのかわからなくて、俺の声はどんどん小さくなっていく。


「あぁ…ご丁寧にどうも」


「それから」


俺は深々と頭を下げる。


「すみません!俺達よりも辛いはずなのに、話を聞かせてくれなんてお願いをして」


倉敷さんはポカンとしていたが、すぐに笑い出した。


「…人の死なんて、もう何度も見てきたよ。こうして話を聞かせてくれって言われるのは、さすがに初めてだけどね」


倉敷さんは俺から目線を外し、どこか遠くを見るような目をして、呟いた。


「…うれしいよ。こんなふうに、誰かに愛されるように育ってくれてさ」


それと、と視線をこちらに向ける。


「私のことは『おばあちゃん』って呼んでおくれ。他人行儀なのはどうにも苦手でね」


倉敷さん…おばあちゃんはにこりと笑った。

どこか、あの子の面影を感じる笑顔だ。


「…はい、おばあちゃん」


部屋に着くと、彼女は質問の準備を始めていた。ノートを広げ、俺たちを待っている。


「そういえば、貰い物のジュースがあるんだよ。ちょっと待ってておくれ」


悪いですよ、と言おうとして、彼女に止められる。


「おばあちゃん、いつもああなんですよ。多分貰い物じゃなくて、昨日から準備してくれてたんだと思います」


彼女は笑いながら言う。


「結構、世話焼きなんです。私、小さい時に祖父母を失って、親戚もいないし、親族は私達だけなんです」


…俺は静かに話を聞くことにした。


「そんな話をいつだか、あの子にもしました。そしたら次の日にはここに連れてきてくれて。おばあちゃんって呼んでって言われて、最初は戸惑ったんですけど」


彼女は嬉しそうに、続きを語った。


「『あんたは私の孫だよ、円歌』って、優しい声で言ってくれて。私、泣きながらおばあちゃんって呼んだんです」


おばあちゃんはジュースと、コップが三つ載ったお盆を持って戻ってきた。


「わーい!このジュース大好き!」


彼女は大袈裟に喜ぶ。…おばあちゃん思いの、いい孫だ。


ジュースを飲み終えると、彼女は筆箱を取りだした。シンプルで、現役女子高生のものとは思えない。


「それで、今日なんですけど」


崩していた口調を元に戻して、質問を始めた。


「最後に春歌に会ったのはいつ頃ですか?」


「…そうだねぇ。一週間くらい前に、突然家に来たんだよ」


一週間前って…自殺の直前じゃないか。


「普段となんも変わらないって顔をして。だから、私は聞いたんだよ。何かあったのかいって」


…俺はその頃、何をしていたんだろう。その辺りで何か、大事なことがあったような気はしてるんだけど。


「好きな人が告白された、ってさ」


おばあちゃんは、ちらりと俺の方を見る。

…そうか。そういえばその日は。


俺が、後輩に告白された日だ。


「付き合ってた人が浮気したって何とも思わなかったのに、付き合ってもない人が告白されただけでこんなに嫌な気持ちになるなんて初めてで、どうしたらいいか分からないって泣きながら言われたよ」


…そう、だったのか。

それを嬉しく思う自分を不謹慎に感じて、変な表情になる。


「だから言ったんだよ。人を好きになるって、楽しいばっかりじゃないんだって」


その話を聞いて、あの子は何を思って、自分で命を絶ったんだ。

結び付かない。俺とあの子と、そしてあの告白のことが。


「でも…あんたの顔を見たらわかった。そういう事だったんだね、春歌」


おばあちゃんは、納得がいったような顔をした。

それから、俺たちにこう言う。


「質問は終わりでいいかい?…少し、疲れたよ」


「ちょっと待ってください!俺には理解が…!」


俺の言葉は、途中でおばあちゃんに遮られる。


「知りたかったら、自分でたどり着いてみなよ。それとも、大事な孫が抱えていった想いを私から言わせるのかい?」


俺は何も言えなくなる。抱えていったもの?人を好きになるってこと?何のことなんだ。全く理解できない。

いらいらが募っていく。


おばあちゃんは彼女と一緒にアルバムを見始める。

俺はいらいらした気持ちのまま、煙草を吸おうと外に出る。


…なんなんだよ。何にもわかんねーよ。

火をつけた煙草の煙を、しばらく眺める。


「そういえば、あんたは何て名前なんだい?」


急に話し掛けられる。俺は慌てて煙草の火を消した。


「何だい。別に消さなくてもよかったのに」


おばあちゃんは煙草に火を付けた。


「…吸われるんですね、煙草」


おばあちゃんは寂しそうな顔で言う。


「あぁ…ずっと、辞めてたんだけどさ…」


俺はもう一本取り出して、煙を吸い込む。


「須貝薊、って言うんです。俺の名前」


「ふぅん、薊…ね」


沈黙が流れる。何を話したらいいのか、わからない。きっと正解なんてない事を一生懸命考える。


「…一つ、ヒントをあげるよ」


ヒント?なんのことだろう。


「あんたどうせ、墓参りなんか行ってないだろ?」


ほら、と差し出されたのは、どこかの霊園の名前と住所が書かれた紙だった。


「そこに春歌はいるよ。正解にたどり着くかどうかは…あんた次第ってところだけど」


墓参りに行けってことか?でも、なんで…。


「あんたは多分、遠回りしがちな性格だと思うけど」


おばあちゃんは煙を吸い込んで、それから吐き出す。


「でも、何かを分かりたいって気持ちは誰より持ってる。だからきっと…何回迷っても、あんたは会えるよ」


会える…?ますます、意味がわからなくなった。それからおばあちゃんは一言も話さず、煙草を吸った。


しばらくして、彼女が出てきた。荷物を纏めているという事は、片付けが終わったのだろうか。

俺のショルダーバッグも持っている。


「あー!また煙草なんか吸ってる!やめてよ、長生きしなきゃ駄目なんだから!」


彼女はおばあちゃんに火を消すよう求める。渋々、と言った感じで、おばあちゃんは火を消した。


「参ったね…」


眉をひそめて、でも嬉しそうに、おばあちゃんは言う。


「うるさいのがいなくなったと思ったら、また怒られちゃうなんてさ」


彼女には、おばあちゃんの目に光るものが見えただろうか。…いや、そんなことは教えなくたっていいか。


大事なおばあちゃんが抱えている想いは、俺の口から言う訳にはいかないもんな。


「なんで二人とも笑ってるんですか!私怒ってるんですよ!?」


「何でもないよ。…ね、おばあちゃん」


「あぁ。何でもないよ」


俺は少しだけ、おばあちゃんの気持ちがわかった気がした。


何でもない事だ。それがどんなに幸せだとしても。


おばあちゃんと別れ、来た道を引き返していく。長い長い道だ。俺は歩きながら、住所をマップに打ち込んでいく。


「なんですか?それ」


彼女はスマホを覗き込む。


「ん〜、ちょっとね」


俺は少し考えてから、彼女に向かって言った。


「明後日、デートしようか」


彼女の顔はみるみる赤くなって、言葉にならない声を上げ続けていた。


「で、デート!?デートってあのデートですか?」


あのデート以外にどのデートがあるんだ。


「そう。あの子と、さ」


俺は彼女にスマホを見せる。そこには、検索でヒットした霊園の地図が載っていた。


「…ここは」


「そう。あの子がいる所。ここに行けば会えるって、おばあちゃんが言ってたから」


「デートってそういう事ですか…」


彼女は少しむくれている。何でだろう。


「まぁ、明後日は用事もないですし、別にいいですよ」


俺は彼女に時間などを告げる。…ふと気付いて、彼女に話し掛ける。


「なんかリュックすかすかじゃない?」


あぁ、と彼女は話し出す。


「アルバム、あげたんです」


「…でも、写真手元に残らないんじゃないの?」


彼女はにっこりと笑った。


「いいんですよ。写真はスマホにも沢山ありますし。それに…」


彼女はおばあちゃんの家の方を振り返る。


「見たくなったら、またいつでもここに来ます!」


…あぁ、そうだな。

またここに来よう。おばあちゃんの家に。

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