第5話
彼女が俺の家に訪れてから数日後、俺たちはあの子の祖母の家に行くことにした。
行こうと言ってからあの子のおばあちゃんを見たことがないし、どこに住んでいるかも知らないことを思い出したが、幸いにも彼女が家を知っていたので、とりあえず訪ねてみることになった。
駅に9時待ち合わせ、だったのだが。
起きたのは8時50分。遅刻確定だった。
俺は急いで準備する。顔を洗い歯を磨き服を着替え、家を出たのは9時5分。
自分を責めながら、駅までの道を急いだ。
いつもそうだ。何事も、人より遅れている。
用事がある日には遅刻するし、義務教育の大切さに気付くのは卒業してからだし、失ってから大切な人だったと気づく。
何度失敗しても学ばない姿勢が、今の俺を形成している。
次は何を悔いるんだろう。何を嘆くんだろう。
考えるたびに、生きる気力を無くしていく。
待ち合わせ場所に到着すると、彼女はいなかった。
先に行ってしまったんだろうか。そうだよな、待つ義理はないもんな。
帰ろうとした矢先、後ろから声がした。
「ごめんなさいっ!!」
振り向くと、息を切らせた彼女がいた。
「寝坊しちゃいました、ほんっと~に、ごめんなさい!」
申し訳なさそうに謝る彼女を見ていると、なんだか笑えてくる。
服装はすごくラフだし、メイクもしていないし、髪もまとめているだけ。
これから四時間かけて出かけるようにはとても見えない身なり。
それが、本当に焦っていたんだと思わせるようで、なんだか逆に良かった。
「俺も今来たところだから気にしないで」
そう言うと、彼女は反論してきた。
「その髪型も服も、今さっき来ました~って感じじゃないですよ!」
俺は思いっきり笑ってしまった。
「ほんとにさっき着いたんだって。君がいなかったから置いていかれたんだと思って帰ろうとしてたもん」
彼女は不服そうにそんなことしません!と言ったが、それを無視して切符を買いに行く。
新幹線に乗ったことがなかったので多少混乱はしたが、何とか買うことができたので、乗り場へ向かう。
彼女は新幹線乗り場を見回して、はっとした顔で言った。
「私、すごく浮いてませんか」
俺は久しぶりに大笑いした。
旅行に行く人、出張に行く人、実家に帰省する人など様々な人がいたが、確かに彼女のようにラフな格好の人はいなかった。
「どんな理由であれ遠出するんだから、みんな多少は服に気を遣うでしょ」
彼女はやってしまったとばかりに落ち込んで、自分の服を見せないつもりなのか、バッグを胸に抱いた。
「それは何が入ってるの?」
バッグを指差して聞くと、彼女は中身を見せてくれた。
「私と友達三人で作った思い出の写真集です。おばあちゃんも見たいかと思って」
なるほど。抜けている所はあるが、やはり彼女はいい子みたいだ。
「本当はもっと簡単な作りにしようとしてたんですけど、人に見せるものだからと思うと気合い入っちゃって。それで…」
「寝る時間が遅くなって遅刻した、と」
俺が汲んで話を締める。多分今の俺は、すごくニヤニヤしている。
「そうですけど、そんなハッキリ言わなくてもいいじゃないですか!」
彼女は少し不満そうに言った。それが面白くて、俺はまた笑った。
あの子が彼女のことを気に入っていた理由、分かった気がする。
彼女はどこまでも真面目で、それゆえの失敗も多いタイプなんだろう。
そんな話をしている間に新幹線が来て、俺たちはそれに乗り込む。
座席に着くと、修学旅行を思い出す。
あの時は楽しかったなぁ。トランプをしたり、お菓子を分け合ったり。
あの時の友達は、連絡先すらもすでに知らないけれど。元気にしてるかなぁなんてくだらないことを思った。
「私、新幹線って初めてなんですよ」
隣に座る彼女が言う。
「修学旅行とかでも乗ったことないの?」
聞くと、意外な答えが返ってきた。
「修学旅行は海外だったので、飛行機で行きました」
今の学校って、そんなに進歩してるのか…。
人生で海外に行ったことなんてないので、少し羨ましい。
「そうだ、私お菓子もたくさん持ってきたんです」
彼女は沢山のお菓子を座席のトレイに出した。
すべてチョコレート系のお菓子。
「チョコレート、好きなんだね」
俺が言うと、彼女はびっくりしたような顔をした。
「確かにチョコレートしかないですね」
自分で買ったものに自分で驚いているのがおかしくて、俺はまた笑う。
この子といると笑いっぱなしだな。
「おいしいからいいんです!ほら、食べてください」
彼女は恥ずかしさをごまかすようにチョコレートの袋を開けた。
甘いにおいがする。
チョコレート。
そういえばあの子も好きだったな。
俺の家にチョコレート系のお菓子がたくさんあるのは、あの子がストックしていたからだ。
食べてもいいからね、とあの子は言ったが、俺はまだどのお菓子の封も開けられずにいる。写真も動画も残っていないあの子が家に残したものを、一つでも失いたくないから。
「…俺はいいから、ゆっくり食べなよ」
差し出されたお菓子には手を伸ばさず、スマホをいじる。
印象悪いな、何やってんだ。そう思うも、なんだかあの子を思い出すものは、まだ口にしたくなかった。
「そうですか」
彼女は一口、チョコを食べた。
「あの子も、チョコ好きだったんですよ」
知ってる。
「近所のコンビニからチョコあんまんがなくなった時は、本気で落ち込んで熱まで出して」
あの時の風邪ってそんな理由だったのか。
「私が骨折した時も、今日の私みたいにチョコ系のお菓子をいっぱいくれて」
友達のお見舞いって、彼女のことだったのか。
「私の退院祝いだってチョコフォンデュのお店に行った時も、誰よりも食べてて」
あの時は口にチョコをつけたまま家に来て、二人で笑ったのを覚えている。
「そんなことを思い出させてくれる甘さが、好きなんです」
そうか。
思い出して辛くなるんじゃなくて、思い出せてよかった、と思えるのか。
卒業アルバムに、あの時は何で買わされていたのか分からなかった写真。
それは今近くにはいないあの頃の友達を思い出す為の鍵だったんだな。
「やっぱり俺ももらっていいかな」
言うと、彼女はにっこり笑ってラム酒の入ったチョコをくれた。
あの子が一番好きだったチョコだ。
俺の家にも大量にストックされていた、あのチョコ。
一口食べるとチョコの味とフルーティさ、そしてのどが熱くなる、お酒の味を感じる。
苦いようで、甘いような。
何とも言えない味で、やっぱり俺は好きじゃない。
このチョコは好きじゃない。
そう言った時のあの子の顔を思い出した。
信じられない、みたいな顔。
何その顔。そう言って、俺は笑ったんだった。
「そのチョコ、好きですか?」
彼女が見透かしたみたいな顔で聞く。
俺は真顔で答える。
「あんまり好きじゃない、かなぁ」
彼女は信じられない、という顔をした。
あまりに同じ反応に、思わず笑う。
「なんで笑うんですか!」
あの子も同じ顔をしたから。
言おうと思ったが、あまりに面白くて言えなかった。
新幹線は仙台に止まる。
時刻表アプリでは、俺たちが降りる駅まではあと二駅になっていた。
俺はもう一つ、チョコレートをもらった。
あの子のことを考えながら食べても、やっぱりおいしくはないチョコだ。
でも好きなお菓子を聞かれたら、俺はこのチョコの名前を挙げるだろうな。
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