第4話

10分経っても、20分経っても彼女の涙が尽きることはない。時折ごめんなさい、と繰り返しながら、彼女はまだ泣いていた。

俺はその度に大丈夫だよと伝え、彼女の中で許容量を超えてしまった感情が少しでも楽になるのを待っている。


ふと自分を客観視する。

俺は今まで一度でも、あの子を想って涙を流しただろうか。

彼女は泣いている。あの子のご両親も、きっと泣いている。…じゃあ、俺は?


違う、考えたって意味なんかない事だ。いつも通り、メモするにも値しない感情だ。

…そういえば、俺はこの感覚を前にも味わった。


母が死んだのは、ちょうどあの子が死んだのと同じくらいの時期だった。

夏も終わりかけて、蝉も寂しげに鳴く頃。

頬に触れる熱風に、微かな涼しさを感じるようになる頃。

勢力を伸ばし続けていた昼間が、次第に夜に捕まり始める頃。


母は別に突然死でもなかったし、覚悟ができていなかったかどうかで言えば、きっちりとできていた。

人は死ぬもんだし、だからこそ今を大切に生きるべきだ。

晩年の母の口癖だった。俺は差し入れの果物を勝手に食べながら、そういうもんかなぁって適当に返していたけど。


今思えばいつか死ぬんだから何しても一緒だって思いながらそれでも生きるなんて、全く楽しくないと思うけれど。

死を間近にして、それでも何か生きた意味を見つけようとしていた母は、とても強い人だったと思う。


病室で泣く事も、弱音を吐く事もなかった母。

見舞いに行けば世界一幸せそうな顔をして、自分の病気の事よりも俺の近況を聞きたがった母。


そんな母の事を、自慢の母親だと胸を張って言えた。小学校の授業参観に俺一人だけ誰も来ていなくて虐められた時も。

中学生になって一人で買い物をしていた俺に自治会で虐待疑惑が持ち上がった時も。


俺は母を責めようだなんて一度たりとも思ったことがなかった。寧ろ、そういう言い方をする人間に対して怒りが止まらなかった。


例え一緒に住んでいなくても、俺の母親は世界で一番の母親だと、心配して家まで来てくれた担任に力説したのも覚えている。


そんな母が死んで、通夜が行われた。

見舞いに行く度病室の机に違う差し入れが置かれていただけあって、参列者はとても多かった。

人間の価値を決めるのが死んだ時に泣いてくれる人数だとすれば、母はかなり価値のある人間だったのだろう。そんな風に思ったような気がする。

そして、俺が死んでもこんなに人は集まらないだろうな、とも思った。


その時の俺は…というか今もだが、友達がいるタイプの人間ではなかった。一人を好み、休日も外出しない。そんな俺に他人との接し方がわかるわけがなかった。


いつからか自分を否定されるのが怖くなった俺には、一人で死ぬのが似合っているんだろうな。

自分のいい所だけじゃなく、格好悪い所も曝け出して、それでも笑っていた母の強さを、ここでも痛感させられた。


通夜は喪主である父と、それから母の親戚が手際よく準備をした為、俺は特にやることがなかった。当時は高校生だったし、何より若くして母を失った子供という肩書きが一番大きかったと思う。


可哀想な子。皆が皆、そういう目で俺を見た。

母が死んだ事よりも、その目の方が俺を傷付けるとはどうして思わないんだろう。怒りに近い疑問が頭の中を埋め尽くしていた。…実際俺も、母親を亡くした子供に向ける目は、同じ目だと思うけれど。

人間というのは難しい。それを痛感したのも、やはり母の死を経験してだった。


通夜は特にトラブルもなく進んで行った。

俺はただ父の隣で、泣いている母の知り合いや親戚をぼーっと眺めていた。

死を理解できないほど幼くもないのに。


俺は母のことが好きじゃなかったのかなぁ。


泣いている人々と、泣いていない自分。そういう孤独感と、悲しい出来事を処理しきれていないことへの自己嫌悪に苛まれて、たくさんの人の慰めを全くと言っていいほど聴いていなかった。


多分色んな事を言われたと思う。頑張ってねとか、辛いことがあったらいつでも呼べとか、多分そんな事。


その時の感覚と今感じているものは、多分一緒のものだ。人の為に涙を流せない自分への自己嫌悪。そして、涙を流せる人達と自分との間に存在する壁を見つめている時の、孤独感。


通夜が終わって、泣きながら祖母はこう言った。


「あんたは偉いね。弱い姿を見せまいと気丈に振舞って」


そんなんじゃないんだよ、おばあちゃん。

そう言いたくても、言葉にはならなかった。


祖母に抱き着いて泣いたのは、後にも先にもあの時だけだった。

祖母は多分、我慢していた感情が溢れてしまったくらいに思っていただろうが、そういうわけではない。

俺はあの時、情けない自分に泣いたんだ。


祖母は今も元気で、時折野菜やお菓子を送ってくれる。祖父と二人で元気に暮らしているようで、俺には掴めそうもない幸せな人生を送っている。


そういえば父の仕事が激増したのは、母が死んでからだ。

その時から家には家具がなくなって、俺も半分一人暮らしになった。

皮肉にも、あの子との繋がりは母がくれた繋がりだったらしい。…今はもうあの子も消えてしまったんだけど。


「そういえば、あの子はおばあちゃん子だったなぁ」


目の前で人が泣いているのに、いつもの癖で独り言が漏れ出てしまった。


彼女はそうですね、と声を震わせながら返事をくれた。

あの子の祖母とは会ったこともないけれど、あの子が好きだった人間なんだからきっといい人なんだろう。…いや、変わった人なのかもしれない。俺に懐くような人間の好みは、よくわからない。


「あの子のおばあちゃんの家、私も行ったことがあるんです」


声はまだ震えたままだったが、彼女は構わず話し出した。


「あの子、おばあちゃんは自分を否定しないでいてくれる。生きてていいって思わせてくれる。間違ったことは間違ってるって怒ってくれる。正しいことは他の人間にどれだけ否定されても肯定してくれる。おばあちゃんみたいになるのが私の理想なんだって、よく言ってたんです」


あの子の自己否定癖は、昔からそうだったんだろうか。

よく笑いよく泣き感情豊かなあの子が、一切の感情を無くしたみたいな目になる瞬間は。

俺はそれを否定も肯定もしなかった。過度な自信は人を自己中心的にさせるから。

それでもそのおばあちゃんは、それを真正面で受け止めていたんだろうか。


だとしたら、俺はつくづく小さい人間だ。でも。


「そこまで慕われてるおばあちゃんなら、何か知ってるかもしれないね」


今は自分を否定なんかしない。例え誰かの死には泣けなくても、俺の想いは薄くも軽くもない。人並みで、短絡的で、だからこそ美しい感情を、俺だって持ち合わせている。


だから、俺は前に進むんだ。


「行ってみよう、あの子のおばあちゃんの家」


彼女の目はまだ真っ赤で、涙が頬を伝っていて、それが溢れてしまわないようにぎゅっと唇を噛み締めていた。

それでも、彼女は涙ながらに返事をくれた。

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