第48話 不揃いなる壮途

 テネブリスは呆れていた。

 女というのは、魔族だろうが人間だろうがどうしてこんなに面倒な生き物なのかと。

 勿論、我が身を心配する気持ちや愛情を受けて気分が悪くないわけではない。しかし、それにも節度というものがある。

 そういう面で真面目なテネブリスは、気難しい顔で苦言を呈した。


「貴様ら……少しは場をわきまえるのだな」

「……ごめんなさい」

「大変失礼いたしました……」


 アルキュミーとベルフェゴールは顔を伏せて謝罪する。

 意気消沈といった具合に、二人は見るからに勢いがなくなった。しかしテネブリスの腕に絡みついた手は頑なに離さない。

 この手を先に離せば負け――二人は直感的にそう感じる。


 だが、そんな影で行われていた勝負はテネブリスがふんっ、と腕を振り解くことで否応なく決着がついた。

 残念がるアルキュミーとベルフェゴールは視線を合わせる。

 今回は引き分けね――そんな意味を含めてだ。


「さて……」


 そう切り出したテネブリスは腕を組みながら今後の動きについて話し始める。ようやく本題に入れる、と心做しか安堵の表情だ。


「もう一度聞いておくが……本当について来る気なのだな?」


 テネブリスはアルキュミーたちに問いかける。

 先ほどフェルムが治療を終えた所に合流した際、彼らはテネブリスに協力すると口を揃えていた為だ。特にフェルムに至っては、どこか誇らしげな表情で頷くばかりだった。

 そんなフェルムにテネブリスは気味悪がっていたものの、協力すると言うのであればそれを利用しない手はない。本来であれば帝国で別れるつもりだったが、皇帝の横槍が入りそうもいかなくなったのも理由の一つではある。


(それに……あのような愚かな国にアルキュミー達コイツらを帰すよりは、私の手の内で転がしておいた方が役に立つだろう)


 テネブリスのそんな意図を知らぬアルキュミー達は躊躇いもなく即答する。その意思は確固たるものだ。


「何回聞かれても答えは同じよ、ルクルース。少し前、馬車でも同じ事を言ったけど……あなたとならどこへでも一緒に行くわ」

「もちろん、私も同じですよ」

「へへっ、まぁ……俺もそうだ。それに、お前ひとりに良い格好はさせる訳にもいかねぇしな」


 テネブリスは目をただ瞑る。

 人間とは本当に愚かだ。だがアルキュミー達の愚かさは、不思議と心地悪いものではない。そんな気がしたテネブリスは鼻で笑って答えた。


 そんなやり取りをベルフェゴール達は畏敬の眼差しで見守る。

 あの勇者の仲間たちの言動からすると、我が主の事を勇者ルクルースだと信じ込んでいるに違いない。魔王である御方が、完全に人間を手玉に取っている事に配下として誇らしい気持ちと、策謀の為とはいえ勇者の仲間とテネブリスの間に見え隠れする信頼関係に恐れを抱いた。


(あぁ、やはりテネブリス様は末恐ろしく、そして至高の存在だわ。まさしく神、いいえ……今は勇者の姿だから勇者神ね……ふふふ)


 そんなベルフェゴールの欲情を滲ませた畏敬の眼差しに気付くことなく、テネブリスは自身の配下たちに向かって口を開く。


「という訳だ。この者たちも一時的に私の庇護下に入る事になる。わかったな?」

「はっ、仰せのままに」

「御意」


 ベルフェゴールとマルバスは了承の意を示すように深く一礼をする。

 人間と共に行動するなど心の底では許容できるものではないが、全ては主の策謀のため。七魔臣といえども、たかが配下の分際で魔王に意見する事など出来はしない。

 魔王に意見する者、立ちはだかる者、それらは全て何人であろうとも敵なのだ。


「ではマルバス、アレを頼むとしよう」

「御意!」


 恭しく返事をしたマルバスは、けたたましい咆哮と共に全身に力を漲らせる。

 獅子の頭部はそのままに、逞しい体躯はみるみるうちに膨張していく。黄金色のたてがみをなびかせ、膨れあがった巨体を支えるように両腕両脚で力強く地面を踏みしめた――その姿はまさしく獅子。


 獣人であるマルバスがこのような獣の姿となるには、別に彼だけに限った特別なものではない。

 魔力の強い獣人のみが持つもう一つの姿能力――魔獣化だ。


 魔法が使えなくなったり、武器が使えなくなったりといったデメリットは存在するものの、身体的な能力においては獣人時よりも遥かに向上する。

 しかし、マルバスにおいてはその意味合いが少し変わる。


 というのも、マルバスはあらゆる場面において己の肉体のみで戦うことを常としている。

 テネブリスから与えられた魔鎖輪ウィンクルムだけは例外として――数ある魔法、武器、魔装具を使用せずにこれまで戦い抜いてきた。


 つまりマルバスにおいては、他の獣人が持つ魔獣化のデメリットが通用せず、身体能力が向上するという恩恵のみを受ける事が出来る。

 そしてその恩恵を一番享受しているのはマルバス本人ではなく、テネブリスである。


「フフフ……いつ見ても雄々しいな、マルバス」


 テネブリスはそう言ってマルバスの脇腹のあたりを撫でる。端然と生え揃った黄金色の体毛は、さながら高級な絨毯のような手触りだ。


 まるで愛撫するかのようなテネブリスの手つきに、マルバスは獰猛な獅子の身体を悶絶させる。

 徐々に鼻息は荒くなり、喉をゴロゴロと鳴らす様はまるで飼いならされた猫だ。そんな配下の様子を柔らかな微笑で見つめながら、テネブリスは続けて口を開いた。


「よし、では行くとしよう」


 テネブリスは軽く跳躍すると、マルバスの背に跨がった。そこから見る久々の眺めにテネブリスは満足げな表情を浮かべる。


「えっ!? ちょ、ちょっとルクルース!? まさかその魔族に乗って行くつもりなの!?」

「あぁ、そうだが?」

「そ、そんなっ……馬車で行くんじゃ――」

「気が変わった。それに……貴様らが近くにいると何かと煩わしいのでな」


 テネブリスはそう言いながらアルキュミーとベルフェゴールに視線をやる。

 アルキュミーは言葉に詰まり、険しい表情だ。

 一方、ベルフェゴールはしてやったりのドヤ顔を浮かべている。しかし後に続くテネブリスの言葉で、彼女の勝ち誇った態度は一変した。


「ベルフェゴール、貴様が私の代わりに馬車に乗るがよい。私はマルバスと先に行く――――ではな」

「えっ…………ちょ、テネブリス様!?!?」



 テネブリスを乗せたマルバスは颯爽と走り出した。

 雄大な自然を掻き分けるその姿は、まさに野を駆ける百獣の王だ。その背に悠然と乗る勇者の身を映したテネブリスの後ろ姿を眺め、アルキュミー達はしばらく無言のまま佇む。


 やがてテネブリスとマルバスの姿が遠くなった所で、静寂を崩すようにアルキュミーが口を開いた。


「と、とりあえず……追いかけましょう!」

「あ、あぁ、そうだな」

「あなたもいいわね? えっと……」


 アルキュミーとベルフェゴールは無言のまま見つめ合う。そして、どこか諦めたような吹っ切れたように小さく溜め息をついたベルフェゴールは、自身の名を不服そうに伝えた。


「――ベルフェゴールよ」

「……! そう。じゃあ、ベルフェゴール。早く馬車に乗って! 早くしないと彼に追いつけないわよ!」

「フンっ、馴れ馴れしくしないでくれるかしら? テネブリス様の為という事を肝に銘じておくように」

「はいはい……」


 漂う不穏な空気の中、先を行くテネブリスを追う為にアルキュミーたちは馬車に乗る。


 そんな中、御者をするフェルムはしばし安堵する。

 アルキュミー達が乗っている重苦しい雰囲気であろう荷車の中を想像して。

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