アルボス魔境編

第47話 これまでと、これから

「――という訳で、これから私はメンシスへ向かう。何か質問はあるか?」

「…………」


 ――静寂。

 誰一人として口を閉ざしたままだ。しかしその様子に、テネブリスは疑問に思う。


(なんだ……? てっきりアルキュミー辺りが突っかかってくると思っていたが……)


 テネブリスが思う疑問は至極当然だ。

 この場にはテネブリスの隣に身を寄せるアルキュミーたちと、七魔臣であるベルフェゴールとマルバスがいるからだ。

 勇者一行と魔族が同じ場所で座っているなど、傍から見れば異様な光景だろう。


 これまで何かと突っかかってきたアルキュミーがおとなしい。テネブリスからすればその方が異様な光景だが、特に何も言ってこないのであればわざわざ相手にする必要もない。そう判断したテネブリスは話を進める。


「メンシスに向かうまでにはアルボス魔境という場所を抜けないといけないのだが――」

「アルボス魔境!? そこって魔力の大樹があるってとこか!?」

「あぁ、そうだ。今でも魔族が彷徨うろついているだろうが、特に気にする必要もないだろう」


 フェルムの問いに鷹揚に答えると、ちらりと七魔臣の二人に目配せする。それに応えるように二人は軽く頭を下げた。


 テネブリスは魔王ではあるが、その見た目は紛うことなき勇者ルクルースそのものだ。そんな姿のまま魔族がひしめく魔境に赴いても、無駄な争いを生むだけだ。

 だが魔族――それも七魔臣が同行しているとなると、話は変わる。

 いらぬ争いを避けるどころか、テネブリスが存命している事を伝えるにはベルフェゴールとマルバスは必要不可欠な存在だ。


「でも、メンシスってほんとにそんな所にあるの?」

「アルキュミーの言う通りです。地図を見ても魔境の向こうには何も描かれていませんし、まだ信じられません……」


 アルキュミーとクラルスが疑うのも無理はない。

 これまで魔境の向こうに到達した人間は誰一人としていないのだ。故に人間が描いた地図にメンシスが載ってないのは当たり前だと言える。

 そしてその事を、ベルフェゴールが嫌味ったらしく告げる。


「あぁら、お嬢ちゃんたち。信じるも信じないも、ワタシたちはメンシスから来たのよ? それに……貴方たち人間は魔境を超えた事もないのでしょう? 知らなくて当然よね、アハハ!」

「ベル、よせ。相手は人間だ。儂らを前にして緊張しておるのだろう。正常な思考が出来ぬと見える」

「それもそうね。ごめんなさいね、お嬢ちゃんたち」


 アルキュミーはぐぬぬ、と唇を噛む。

 本来であらばすぐにでも言い返したところだが、ここでいらぬ口論をしても何も生まれない。それに――


(ここでもし魔族の機嫌を損ねでもすると、せっかくのルクルースの企みが無駄になっちゃう……。こんな事で邪魔はできない……我慢するのよ!)

 

 クラルスも同じ思いなのだろう。二人とも言い返す事もなく苦い顔をするだけだった。

 それと対照的なのはベルフェゴールだ。

 いじらしい嘲笑を浮かべ、蔑むような視線をアルキュミーたちに向けてなげかけている。しかもそんな表情ですら妖艶な美しさを感じるのだから、アルキュミーからすればたまったものではない。


 しかし、そんなやりとりに釘を刺すようにテネブリスが声を出した。


「やめろ、ベルフェゴール。それに、マルバスもだ。くだらん事を言わせるために、貴様らを同行させる訳ではない」

「はっ! 大変失礼致しました」

「同じく、失礼致しました」


 ベルフェゴールとマルバスは深く頭を下げる。

 人間なんかと一緒にいるのは苦痛でしょうがない。しかし敬愛する御方の企みを邪魔立てする事など絶対に出来ない。七魔臣として、そしてテネブリスを愛する者として我と恥を捨てて二人は忠誠を見せた。


「ねぇ、ルクルース。ひとつ聞きたいんだけど」

「何だ?」

「アルボス魔境までは馬車で行くのよね?」

「あぁ、そうなるな」


 テネブリスの返答に、ベルフェゴールが目を丸くして唖然とする。

 馬車で行く、という事はつまり自分たちと一緒ではなく、人間たちと同じ空間で過ごすという事だ。

 敬愛する御方にやっと会えたというのに、共に過ごす時間を人間に――それも小娘ごときに奪われる事など到底許容できるものではない。

 溢れんばかりの愛情と嫉妬、そんな思いがベルフェゴールを支配する。そして、口走った。


「お待ち下さい、テネブリス様」


 あるじの話の途中に割って入るなど失礼極まりない。しかしそれを承知の上で彼女は口を出した。


「ふん…………何だ?」

「本っ当に馬車で行かれるのですか?」

「あぁ、そうだが」

「その女と……人間と共にですか!?」

「……あぁ、そうだが」

 

 ベルフェゴールはぐぬぬ、という声が聞こえるほど美しい顔を歪める。

 主がそう言うのであれば、これ以上何も言う事はできない。しかし人間に対してはいくらでも何とでも言える。人間の気が変われば済む話だ。


「では、その女に一言よろしいでしょうか!?」

「…………手短に済ませろ」

「はっ!」


 ベルフェゴールはあるじに向かって一礼をすると、アルキュミーに向かってぐいっと指をさした。


「アナタね……さっきからテネブリス様に対して妙に馴れ馴れしいのではなくて?」

「……はっ!?」

「こんな小娘がテネブリス様と共に馬車に乗るなんて我慢ならないわ。すぐにそこから離れなさい! あわよくば消え去りなさい!」


 何を言うのかと思えば全く――と、テネブリスは頭を抱える。

 ベルフェゴールはいつもそうだ。テネブリスの事になると暴走しがちになる。それほど愛と忠誠心が重いという事の裏返しではあるが、逆に言うと欠点でもある。


 そんなベルフェゴールに因縁をつけられたアルキュミーは肩を震わせる。

 これまで魔族ベルフェゴールの言動に我慢していたが、婚約者としての尊厳を踏みにじられては黙っていられない。


「離れるも何も、私は彼の婚約者よ? 離れるどころか、もっとくっついてもおかしくないのよ?」


 そう言ってアルキュミーはテネブリスの腕にしがみつく。その表情は勝ち誇ったかのような嘲笑を浮かべている。


「こっ、こここ、婚約者……!?!?!?」


 ベルフェゴールは婚約者という言葉に思わずたじろいだ。

 よくよく考えればテネブリスの事ではなく、勇者ルクルースの事だと理解できるはずだ。しかし、今のベルフェゴールはそのような冷静な思考は失われている。


(テテテ、テネブリス様…………ワタシという者がおりながら、あまりの仕打ち……。あぁ……ワタシの愛が足りぬと、そういう事なのですね!! ではワタシも全身全霊の愛をもってお仕え致します!!!!)


 ベルフェゴールはテネブリスの腕に絡みつく。アルキュミーが抱きついていない方の腕だ。

 そんな両手に華状態のテネブリスは、眉間にシワを寄せながら目を瞑っている。その心中はおおよそ察する事ができるだろう。


「残念ね、小娘。ワタシは既に純白ドレスを着て、テネブリス様と共に歩いた事もあるのよ! ふふっ、人間って婚姻の時にそういう事をするのでしょう? だからワタシも婚約者――いえ……ほとんど妻ね!!」

「なっ……!!」


 アルキュミーは紺碧の瞳を大きく震わせる。

 相手は魔族。隣にいるのはテネブリスではなくルクルース。あの女は勘違いしているだけ――そう自分に言い聞かせるも、心に生まれた対抗心と嫉妬心は簡単に消え去る事はない。


「私だって――――」

「もうよい、黙れ」


 アルキュミーの言葉を遮るようにテネブリスが重たく静かに、そして苛立ちを滲ませながら口を開いた。その表情は相変わらず険しいものだ。


 愛する者の言葉で我に返った勇者の婚約者アルキュミー自称魔王の妻ベルフェゴールは、お互いにしゅんとして俯いた。

 しかし心に芽生えた対抗心は、テネブリスをもってしても消え去れない。

 二人はお互いをだと認識して、静かに愛憎の炎を燃やすのだった。

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