第49話 謀つ影

 窓から覗かせる曇天と見間違うかのような薄暗い部屋。

 その部屋の中央に置かれた大理石で造られた大きな円卓を挟むように、二体の魔族が対面していた。


「――で、勇者ルクルースが健在なのは本当なんだな?」


 肩までかかった燃えるような真紅の髪をなびかせ、そう口火を切った魔族。黄金のように輝く四つの瞳を対面する魔族に向けている。


「えぇ、きちんとこの目で確認しましたよ、忌々しい仇敵をねぇ」

「そうか……ではテネブリス様は――――」

「テネブリス様……いえ、死んだ前魔王の事はもういいでしょう。次なる魔王はアナタですよ、ベリアル殿」


 ベリアルは無言で応える。四つの瞳は対面している魔族――ビフロンスではなく、窓から見える曇天の空へと移っていた。


 確かにビフロンスの言う通り、もしテネブリスが死んだのなら名実ともに次期魔王と名高いベリアルが魔王の座に君臨するのが自然ではある。仮にそうなったとしても他の七魔臣や、配下たちもその事に異論を唱える者は殆どいないだろう。


 しかし、まだテネブリスあの御方は存命しているのではないか。まだこの世界のどこかでその存在を有しているのではないか――そんな思いがベリアルの心の内に寄せては消えていく。

 なんの確信もない淡い期待、それがベリアルが魔王の座に着く決心を遅らせているのだ。


「いや、やはり……テネブリス様の死をこの目で確かめるまでは…………」

「……ぬるい。温いですねぇ、ベリアル殿。前魔王の生死を確かめる必要など、どこにあると言うのでしょう? あの御方の姿は消え、されど勇者は存命――――となると、その答えは自明の理でしょう?」


 ビフロンスは全身に点在する目を、睨みつけるように細くする。そして、暗澹たる身体から生えた細長い尾はベリアルへと向けられている。


(ビフロンスの言わんとする事も十分に理解できる。だが――――しかし――――)


 長年連れそったあの御方を、今でも魔族の頂点に君臨すると信じてやまないあの御方の存在を、簡単に諦める事など出来る訳がない。

 だからこそベリアルは第一の忠臣として、魔王直属の配下である第一魔臣として百年余りの間テネブリスの傍に仕えているのだ。


 ベリアルのそんな思いを見抜いたように、ビフロンスは冷ややかな声で問い詰める。


「ふぅむ……ベリアル殿はベルフェゴールやマルバスらと同じく、テネブリスが生きているとお考えで?」

「…………我らが主への敬意を忘れているぞ」

「キシシ……これは失礼」


 ビフロンスはおどけたような振る舞いを見せる。その言葉にはまるで敬意は感じられない。これが彼の本性なのだろう――と、ベリアルは不快感を露わにした。


「今回は見逃してやるが……二度はないと思え」

「おぉ、怖い怖い。流石はベリアル殿だ。その威圧感……魔王、いや……テネブリスを彷彿としますねぇ」

「――二度はない、そう言ったはずだ……!!」


 ベリアルは真紅の髪を逆立てて、静かに立ち上がった。怒気に満ちた四つの瞳を見開き、ビフロンスを射抜くように睨んでいる。


 次のビフロンスの言動によっては、即座に憤怒の一撃が繰り出されるであろう一触即発の雰囲気。

 だがそんな物々しい空気を嘲笑うかのように、ビフロンスは態度を崩さない。


「キシシ……ベリアル殿がそこまであの御方を敬っておられたとは……少し誤算でしたねぇ。第二魔臣ハーゲンティ第六魔臣アスタロトのように、魔族らしく浅はかだとばかり思っておりましたのに」

「どういう、意味だ……!?」

「いやいや、失敬……こちらの話です。何はともあれ、ベリアル殿に勇者ヤツを討ち取ってさえもらえれば、は何の問題もないのですよ」


 そう言った直後、ビフロンスは身体から生えた細長い尾をベリアルめがけて矢の如く突き伸ばした。

 完全に不意を突いた唐突な一撃に、ベリアルの実力をもってしても回避や防御が間に合う事はなく、彼の額には黒い尾が深く刺さった。


 しかし、これはベリアルの命を奪う攻撃ではない。

 その証拠に、身動きは取れなくともベリアルの意識はまだ保たれたままだ。


「なっ……貴様…………!! どういう……つもりだ…………!?」

「キシシ……大した事はないですよ。少しだけ……ほんの少~しだけ、協力してもらうだけですから……キシシ」


 すると、ビフロンスの全身に宿された無数の眼が大きく見開かれる。彼が持つ邪悪なる魔力は徐々に増大していき、それはやがて細長い尾を伝ってベリアルへと流し込まれていく。

 悪意、怨念、憎悪――ありとあらゆる負の感情が瞬く間にベリアルの脳内を駆け巡る。この世に存在する生きとし生ける者への敵意。朦朧としていく意識の片隅で、ベリアルはそれを感じ取った。


(こ、これは…………まさ……か―――――)



 力が抜けたように崩れ落ちたベリアルを無数の眼で見下しながら、ビフロンスは繋がっていた尾を振り払う。

 悪魔の将軍ジェネラルデーモンという屈強な魔族であるベリアルでさえ、蓋を開けてみれば存外大した事はない。

 正々堂々、真正面からの戦闘ともあれば話は別だが、そんな事は馬鹿のする事。

 戦いとは、戦う前から概ね勝敗は決するものだ。いかにして用意していた策略、そして術中に相手を嵌めるか。それこそがビフロンスの美学。そして勝利への方程式だ。


 つまり始めからこの部屋でベリアルと二人っきりになった時点で、既にベリアルはビフロンスの術中に嵌まったも同然だった。


「さぁ……テネブリス勇者を討ちましょうか、ベリアル殿」

「……あぁ」


 上手くいった、とばかりにビフロンスは無数の眼を細める。よろめきながら立ち上がったベリアルは無言のまま、その場に佇むだけだ。

 その態度の変わり様は、まるでビフロンスに操られたかのように見えるが実際には少し違う。


 ビフロンスの持つ種族クラススキル――伝染コンタギオン

 憎悪、悪意、敵意といった負の感情を強制的に共有させる能力スキルだ。対象者の自我はそのままに、ビフロンスが宿す"敵意"をそのまま共有する。

 洗脳とは一線を画すその能力は、唯一の例外を除いて一切あらがう術はない。


「さて、準備は上々。あとは――」

「ビフロンス、どうやら早速獲物が来たようだ」


 意思伝達テネキスによってアルボス魔境で待機する配下からの報告を受けたベリアルは、不敵な微笑を浮かべつつ口を開いた。

 その重々しい声色の奥には、静かな憎悪が込められている。


「では、我々も向かうとしましょう」

「あぁ、勇者は滅ぼすべき敵。そして俺の手で葬る敵――――なぜなら俺こそが、魔を統べる王だからだ」

「キシシ……えぇ、その通り、ベリアル殿――いや、ベリアル様」


 ベリアルとビフロンスは邪悪な魔力を漂わせながら、円卓が置かれた部屋を後にした。




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