第40話 信頼のカタチ

 馬車に乗ってから一時間ほど経った頃、マグヌス平野のはずれまでテネブリス達はやって来た。

 乾いた砂地がひたすら続いた平野とは様変わりして、青々と茂る草花が絨毯のように広がっている。付近には背の高い大木が林立し、どこか神秘的な雰囲気をも感じさせる。

 手つかずの自然。そう言うと聞こえはいいが、本当にこの近くに人が住む国があるのかと疑ってしまうほどに、雄大で美しい自然がこの土地を彩っている。


 そんな景色を横目にしばらく進むと、くたびれた木製の門が姿を現した。

 その門はところどころ腐っており、長い間手入れもされていない様子だ。おそらく公国の入り口なのだろうが、国の玄関とも言える場所がこんな様子では、国内の状況も窺い知れる。


 渋い表情で門を通過したテネブリス達は、砂地の細い通路を道なりに進んでいく。

 道端にひっそりと耕作されている畑や、遠くに見える白煙を見ると人が暮らしている気配はあるが、住民の姿は未だに発見できていない。

 想像以上に寂れた国の様子に、御者をするフェルムはキョロキョロと辺りを窺いながら馬車をゆっくりと走らせていた。


「人がいねぇと聖殿の場所も聞けやしねぇ……」


 いくら小さな国だと言っても、勝手に聖殿を使う事は避けたい。無用な騒ぎを起こすと、この国にも今後の行動にも支障をきたすかもしれないからだ。

 そう思うと、まずはこの国の住民と接触するのが先だ。負傷者がいる事を伝えれば快く協力してくれるだろう。

 そう考えていたフェルムは、古い木製の建物が密集した場所を発見する。その建物の大きさはどれも人間が住むにはやや小さい気がするが、おそらくあの地域が住民の居住区である事は間違いない。


 よし、と手綱を引く手に力を入れ、フェルムはその建物群のある場所へ馬車を走らせた。



 建物の密集した場所までは、すぐに着いた。

 近くで見ると、思ったよりも古い木材で造られていた事がわかる。拙い継ぎ接ぎだらけで、ようやく建物としての形を保っているようだった。

 その建物の傍に小さな井戸がある。そこへちょうど、この建物の住人だと思われる老婆が現れた。


「あっ! ちょっとそこのばぁさん!」


 フェルムは静かな土地に響くような大声で声をかけた。

 声に気付いた老婆は驚いたように振り向くと、そのフェルムの姿に腰を抜かす。真紅の部分鎧を纏い、脇腹は血を滲ませて負傷している。おまけに、筋骨隆々の恐ろしい筋肉の塊を突然目にして、驚くなと言う方がおかしい。


 地面に尻もちをついて口をぱくぱくさせた老婆は、目が飛び出しそうになりながら懇願する。


「ど、どうか……命だけは…………」


 フェルムは苦笑いを浮かべる。

 この見た目だ、色々と勘違いするのもしょうがない。だが、誤解は解いておかねばならない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。違うんだ、ばぁさん。俺達は怪我をした仲間を治すために、この国に寄っただけなんだ。聖殿の場所を教えてくれるだけで構わねぇ」

「…………えぇ?」


 なんだ、このばぁさん。耳が遠いのか、とフェルムは険しい表情になる。

 すると馬車を降り、老婆の耳元まで近づいてからもう一度目的を伝えた。


「だ、か、ら! 俺達は怪我をした仲間を治すために! この国に寄ったんだ! 聖殿の場所を! 教えてくれるか!」

「……あぁ~、それは大変だったねぇ。聖殿なら、この先にある石造の小さな小屋だよ」

「そうか。ありがとよ」


 フェルムは老婆に感謝を述べると、再び馬車を走らせる。

 石造の小屋はすぐ近くに見えるが、馬車を近くまで寄せる必要がある。負傷したアルキュミーに余計な負担をかける訳にはいかないからだ。



 そして、ものの数分で聖殿へ到着した。

 老婆の言う通り、石造の小さな小屋だ。人が三人入れるかどうか、といったところだろう。

 馬車を降りたフェルムは、荷車に乗っているテネブリス達に聖殿へ着いた事を知らせる。


「着いたぞ、みんな。ここが聖殿らしい」

「ご苦労さまでした。では、アルキュミーをお願いします」


 フェルムは意識を失ったように眠っているアルキュミーを大事そうに抱え、聖殿の中へと運び込む。聖殿内は外で見るよりも狭く感じた為、慎重に動かねばならない。

 中に設置された小さな寝台にアルキュミーを寝かすと、クラルスに目配せをして早々に聖殿の外へと抜け出した。


 聖殿の外では、腕を組んだテネブリスが立っていた。その表情はどこか険しい。

 そんなテネブリスにフェルムは朗らかに話しかけた。


「心配なのは分かるが、あとはクラルスに任せとけ」

「ふん……余計なお世話だ。それに、心配など微塵もしておらぬ」

「へぇ、それは信頼してるって事か?」

「……少し黙れ」


 テネブリスに怪訝に扱われたフェルムは、空返事で頭をボリボリと掻きながらテネブリスの横へ行き、治癒が終わるのを待った。

 自然と隣に立ったフェルムに対し、テネブリスは眉をひそめる。


「アルキュミーが終われば、次は貴様だろう。さっさと治してもらってこい」


 黒装束との戦いで、フェルムは脇腹を負傷している。

 本人はやせ我慢しているのかもしれないが、その傷は浅いものではない。治せる時に治してもらうべきだと、そういう意味でテネブリスは声をかけた。

 だが、フェルムはそんなテネブリスの意図を知ってか知らずか、唖然とした表情で見つめてくる。


 記憶を無くしたとしても、戦い方がいつもと違っても、何か様子がおかしかったとしても、やはり仲間思いな所は変わってないのだと、フェルムは涙ぐむ。

 フェルムの鋭い瞳は、怪訝な表情を見せるテネブリスの奥に、かつてのルクルースの面影を重ねていた。



 そんなやり取りをしていると、聖殿の入り口から暖かな光が漏れ出した。

 ――聖位魔法の光。アルキュミーの治癒が行われた証拠だ。


 その暖かさがゆるやかに光を失うと、聖殿の中から気恥ずかしそうな表情をした女が現れる。

 輝くような金色の長髪。麗しい紺碧の瞳。腹の辺りに赤黒い血の染みを残した紺碧のローブ。その美しい顔立ちの女性こそ――アルキュミーだ。


「心配かけて……ごめんね」


 アルキュミーは俯き加減でぼそりと謝罪した。

 黒装束に刺されてからの記憶が定かでない。でも今のこの状況から察するに、仲間たちがあの場面を切り抜けて、命を助けてくれたのだという事はわかる。

 だから、次に言う言葉ももちろん決まっている。

 アルキュミーは頭を下げて、その言葉を口にした。


「みんな、ありがとう……!」


 頭を下げたアルキュミーの姿を、フェルムとクラルスは微笑ましい表情で見守る。

 そして、テネブリスはただ静かに目を伏せ――――口角を僅かに上げた。

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