第39話 芽生え

「――――と、言ったところだ」


 黒装束の男――イドラは、表情を変えず淡々と語り終えた。

 この男の口から聞かされた十六年前の出来事。そしてアルキュミーの出自。

 テネブリスからすると、人間という愚かな生き物にはよくある話――程度にしか聞こえなかったが、何故か心の奥に濁った感情が芽生えたのを感じた。


 怒り? 同情? 哀れみ? 自身に芽生えた言語化できない感情に、テネブリスは眉をひそめる。


 そんなテネブリスとは真逆に、確固たる一つの感情を心に宿した男がいた。

 筋骨隆々の肉体に真紅の部分鎧を身に纏い、鋭い眼光を灯した男、フェルムだ。

 彼の心の底から芽生えた感情は、怒り。

 仲間を傷つけられた怒り。仲間の親を殺した怒り。人を人とも思わぬ所業に対する怒り。帝国への怒り。そして――自分への怒り。


 その怒りを鎮めるように、ゆっくりと背中に背負った大剣バスターソードに手をかける。力強く握りしめた柄からは、ぎゅうっと音が鳴る。

 そして力の限り、煮え滾る憎悪を込めて、大剣バスターソードを一閃した。


 振り切られた大刃は、攻撃が差し迫っているにも関わらず回避も防御もとることのないイドラの首を、的確に切断した。

 その首は勢いよく宙を舞い、乾いた砂地に数度跳ねて転がった。


「悪ぃなルクルース、勝手に殺しちまってよ。こいつにまだ用があったか?」


 フェルムは陳謝する。しかしそれは建前であり、謝る気などさらさらない。それをわかっていたテネブリスも咎めることはしない。結局殺す事には変わりないのだから。


「別に構わん。むしろ手間が省けた」

「……そうか」


 フェルムは短く答えた。

 するとそこへ、馬車の奥からクラルスの呼ぶ声が届く。どこか緊迫したような彼女の声で、テネブリスとフェルムは負傷した仲間の状態を急いで確認するべく馬車へ駆け寄った。


「大丈夫か!? アルキュミー!!」

「ちょ、ちょっと声が大きいですよ!」


 フェルムの野太い大声に対して、クラルスが口の前に指を一本立てて注意する。

 気まずそうに小声で謝ったフェルムは、静かに目を閉じたアルキュミーの姿を目にして呆然とする。


「ま、まさか…………!?」


 みるみると顔を青ざめていくフェルム。だがその後ろからテネブリスが顔を出すと、感嘆したように一言声をかけた。


「ほう、あれだけの傷を負って命を取り留めたか」

「そりゃあ……あの時、凄い剣幕で言われましたからね」


 クラルスが放ったその言葉は、テネブリスには皮肉にしか聞こえない。

 たかが人間の女が刺されただけ。だと言うのに、何故あんなに取り乱したのか。

 テネブリスは思いあぐねる。


 実に不愉快。だが――――これは借りだ。

 弱い人間のアルキュミーが、魔王であるテネブリスを庇ったかのように身を挺したのだ。その結果、この人間アルキュミーは負傷した。

 挙げ句、死でもすれば、テネブリスが持つ魔王としての気韻なる矜持は、深く傷ついただろう。


 魔王たるもの、人間に庇われる事などあってはならない。

 借りは返す。だから、アルキュミーこの女は死なせない。


 テネブリスは心に秘めたその思いを端的に口にする。


「私が私である限り、今ここでアルキュミーは死なせない。それだけだ」


 尊大に放たれたその言葉に、クラルスは目を丸くし頬をやや赤らめた。

 愛する人を思う気持ちにアルキュミーは命を繋ぎ止められたのだ、と察して。

 目をパチクリさせるクラルスに向かって、フェルムは疑問を呈した。


「でも、治癒魔法も使えなかったのに本当に大丈夫なのか……?」

「今はなんとか生命力強化の魔法で凌いでいるだけです。まだ治ったわけじゃないので、聖殿できちんと治癒をしないと。でも…………」


 クラルスは視線を落とす。

 本来ならば帝国へ戻り治癒をするのが一番だろうが、先の出来事でそうもいかなくなったからだ。

 帝国への出頭を拒否した挙げ句、戦闘。そして帝国兵士の殺害。正当防衛とはいえ、反逆者であるのは間違いない。そんな者が、一体どんな顔をして帝国へ戻れると言うのか。


 だが決して悠長にしていられる状態ではない。

 今はなんとか容態が安定しているが、いつ生命力が衰弱し容態が急変してもおかしくない。それだけの深い傷をアルキュミーは受けているのだ。



「アグリコラ王国に戻る、ってのは……?」

「いえ、王国からはだいぶ離れてしまいました。それに……王国はまだ復興の最中、私達の都合で再び邪魔をする訳にはいきません……」

「ちっ、じゃあどこへ――」

「あるではないか」


 テネブリスはポツリと言って割って入った。

 そして続ける。


「マグヌス平野のはずれに、セルウィー公国が」

「ルクルース……! アルキュミーの事を…………わかってて言ってんのか?」

「勿論だ。だが現状、そこが現実的だろう。それに、まだ本人は知る由もない事だ」

「だけどよ……!」


 フェルムは苦虫を噛み潰したような表情を見せる。

 アルキュミー自身はおそらく記憶にないだろうが、セルウィー公国こそ彼女の生まれた国であり、忌むべき場所でもある。そんな所へ行くというのは、アルキュミーの事を思うといたたまれない気持ちになってしまう。

 だが現状、他に選択肢も時間もない。フェルムは苦渋の決断をするしかなかった。


「……クラルス、セルウィー公国の場所はわかるか?」

「え、えぇ。最近まで帝国領だったので場所くらいはわかりますけど……あの貧しい国に何かあるんですか?」

「いや、気にしないでくれ……今はな」

「そう、ですか」


 フェルムの歯切れの悪い返答に、クラルスは首を傾げる。

 だが仲間に対して余計な詮索はしない。それよりもまずはアルキュミーの治癒が先決だ、と頭を切り替える。


「では早速向かうとしよう。時間が惜しい」


 テネブリスが促すように声をかける。フェルム達は準備に取りかかり、負傷したアルキュミーを馬車の荷車に慎重に移動させると、馬車はセルウィー公国へ向けて走りだした。

 御者をするフェルムの視界の片隅に、首のない黒装束と、上半身と下半身が別れた兵士の死体。そして狼狽える全身鎧フルプレートの兵士達の姿を捉える。


 もはや一切の親しみもない帝国の人間に対して蔑んだような視線をちらりとやると、すぐに前方へと戻した。もう二度と会う事はないだろう。もし次に会ったとしたら、その時は敵として殺す。そう自分に言い聞かして、フェルムは兵士達を見逃した。




 走り出した荷車の奥で外の景色を伺いながら、テネブリスは思いに耽けていた。

 まだ頭の片隅には、アルキュミーが刺された時の光景が鮮明に残っている。そこで自分が放った言葉に、不思議な感覚を覚えていた。


(奴らの名前を呼んだのか、私は――――)


 その些細な心情の変化に、テネブリスは気付いていない。

 ただ黙って、窓から流れる景色を見つめていた。


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