第38話 追憶(後編)

 その日、セルウィー公国は早朝にもかかわらず、慌ただしい喧騒を大通りに響き渡らせていた。

 そこにある商店は軒並み閉められ、民家にいたっても扉という扉は全て閉じられている。その代わり、というのは語弊があるが大通りにはこの国の住民で溢れている。だが、いつもの和気あいあいとした長閑のどかな雰囲気ではない。

 殺伐と、それでいてどこか落ち着かない不安めいた表情をこの場にいる者全てが浮かべている。


 というのも昨夜、突如として国民に知らされたセルウィー公国の独立。アルビオン帝国からの独立を大々的に謳ったその宣言に、国民達はどよめいた。

 少なからず混乱はあったが、かねてより帝国への不満を抱いていた者達も多かったため、その混乱もほどなくして収まった。


 だが国民の不安は消えなかった。

 独立にあたって帝国が攻め入ってくるでは、との噂が公国内に広がったのだ。

 小さな国では瞬く間にその噂は広まり、帝国に恐怖を抱く者――ほとんどが人間だったが――は、公国から逃げ出していった。


 一方、国に残った者は覚悟を決めていた。

 公国に愛着のある者、アルビオン帝国に対して敵意を剥き出しにする者、公爵を慕う者。理由は様々だが、一様にして国を守る決意は固い。


 そして現在――、国を守ろうと立ち上がった者は早朝より大通りに集結し、帝国からの武力行使に備えている。

 獣人族ビーストマン、エルフ族、ドワーフ族、蜥蜴人リザードマン、そして人間。総勢、約三百人。だがそのどれもが、兵士でもない単なる平民だ。素人の集まりではあるが、その手にはドワーフが作った小剣ショートソードと、鉄製の盾を装備している。実際に使った事も訓練もした事もなく、もはや見せかけにも近いが手ぶらよりかはマシだろう、との理由だ。

 そして身なりを整えた彼らは決意の声を上げる。

 公爵の覚悟に応える為、そして何よりも公国の平和の為に。



 そんな心を奮い立たせるような光景を、屋敷の窓から眺める男がいた。

 その身には、ふんだんに装飾された胸鎧プレートアーマー、腰には煌めく小剣ショートソードを差している。愛する娘と同じ紺碧の瞳を宿すその男こそ、セルウィー公国公爵、グスタフ=クラシュタインだ。


「……本当に帝国は攻めてくるのかしら?」

「さぁ、どうだろう。でも、あんな宣戦布告に等しい書簡を送ったんだ。今更何もないって訳はないだろう」

「そう……じゃあやっぱり私も準備した方が――」

「いや、それはよしてくれ、ナスターシャ。君はもう引退したんだ、それにアルキュミーもいる。今はもう魔法使いではなく、公妃として……一人の母親として、私を見守って欲しい」


 グスタフは妻であるナスターシャの目を見つめて、力強く答えた。魔法使いとして名を馳せていた彼女の力を借りる事ができたなら、多少は楽になるのかもしれない。しかし夫として、勇者として、公爵として、愛する者を危険な場所に向かわせる事はできない、そう心に決めている。


「わかったわ……あなたの無事を、そしてこの国の無事をここで祈っているわ。アルキュミーと一緒にね。それに、明日はこの子の三歳の誕生日。ちゃんとお祝いしなくちゃいけないんだから」


 そう言ってナスターシャは腕に抱きかかえる娘――アルキュミーを見て柔らかな微笑みを浮かべた。

 父親譲りの紺碧の瞳、母親譲りの金色に輝く髪。幼いながらも整った顔立ちは、将来は皆が羨む美人になる事は間違いないだろう、親バカながらにそう思っていた。

 そんな娘の将来を守る為にグスタフは剣を握るのだ、とナスターシャは理解している。


「そうだね。君と……そしてこの子と一緒に明日を迎える為に……私は行くよ」

「えぇ……いってらっしゃい、あなた」

「あぁ、いってくる。じゃあマグニトフ、私の留守の間、妻達を宜しく頼むよ」

「畏まりました。グスタフ様も、お気をつけて」

「あぁ」


 グスタフは最期になるかもしれない別れの言葉を告げ、妻と娘の額に口づけをした。



 * * *



 グスタフは陣頭指揮を執る為に、武装した国民が集まる大通りに来た。

 普段の公国では考えられない厳かな雰囲気が漂っている。人間、獣人族ビーストマン、ドワーフ族、エルフ族、蜥蜴人リザードマン。種族別け隔てなく、皆がこの国に生きてこの国を愛している者なのだ。

 彼らの――そして彼らの子供の未来の為に、帝国に屈する訳にはいかない。そんな気持ちが、この場に来た事でより強固なものとなった。


「公爵様……こういう時、手が震えるのは当たり前なのでしょうか?」


 ドワーフ族の一人が、手を震わせながら問いかけてきた。と言っても、震えていたのは手だけではなく、声も震えていたが。

 だが緊張と恐怖で手が震える事はよくある。グスタフも勇者として駆け出しだった頃は、小さな魔族と戦う時ですら剣が震えていたのをよく覚えている。

 だが、そんな事は遠い昔。ナスターシャと出会ってから、魔族の討伐はおろか、ろくに戦いすらしてこなかった。

 自分もいま剣を持てば、このドワーフのように剣を震わせるだろうな、と口元を緩ませる。


「あぁ、誰しも戦う時というのは手が震えるものだ。でもそれは、君が生きようとしている証明でもある。君の勇気に感謝するよ」

「……と、とんでもございません!」


 ドワーフは瞳を潤わせ、深々と頭を下げた。

 そのやり取りに触発されたのか、他の者も声を上げて奮起しだす。


「公爵様のためにも負ける訳にはいかねぇなぁ!!」

「あぁそうだ! 帝国のクソ野郎共なんて全員ぶっ飛ばしてやるぜ!!」

「公国万歳!!」


 そうして彼らの士気が上がった所に、見張り役の蜥蜴人リザードマンが血相を変えてやってきた。その恐ろしく慌てた様子に、グスタフは心臓の鼓動が早くなる。


「こ、公爵様! 検問所のすぐ傍まで帝国兵士団がっ!! 数は五名!!」


 やはりか――グスタフの予感が的中した。それに思ったよりも早い。だが報告されたその数に違和感を感じた。たとえ選りすぐりの兵士だったにしても、公国に攻め入るのに五人だけというのはいくらなんでも少なすぎる。

 何か企んでいるのか、それとも公国ごとき五人で事足りるとでも言うのか。不安と焦燥感から、グスタフは歯を軋ませる。

 だが公爵として、狼狽える訳にはいかない。グスタフは冷静を装い、蜥蜴人リザードマンに指示を出した。


「すぐに検問所を閉鎖しろ! 絶対に公国への侵入を許してはいけない!」

「はっ!」



 グスタフの命を受けた蜥蜴人リザードマン――クルトンは即座に検問所へと走り出した。

 こうしている内にも、帝国の手先は公国へ近づいているかもしれない。これまで監視役として大した役目を果たせなかったのだ、こんな時ぐらい国の為に役に立って見せる――そう意気込んだクルトンは、蜥蜴人リザードマンらしい強靭な脚力で大通りを走り抜けていく。

 その力強い走りは、ものの数分でクルトンを目的地へと辿り着かせた。


 だが検問所に着いた途端、目に入ったその光景にクルトンは全身の力が抜ける。


 そこには血塗られた剣を手にした五人の全身鎧フルプレートの兵士達と、首と胴体が切り離された仲間達がいた。ピクリとも動かない仲間たちの周りには、目新しい赤い鮮血が飛び散っている。


「ラナンダ……パイホン……コーリー…………!!」


 クルトンは無残な姿となった仲間の名を叫ぶ。と同時に、自然と身体が動き出していた。

 蜥蜴人リザードマンの闘争本能。仲間を殺された恨み。或いは――――そのどれもがクルトンに理性を失わせ、ただ目の前の敵に向かって走っていく。


「うおぉぉぉぉぉ!!!!」


 生まれて初めて出た心からの雄叫び。その勢いのまま全身が真っ白で染められた全身鎧フルプレートの兵士に向かって突撃する。

 すぐさま兵士との距離は縮まり、クルトンは剣を大きく振りかぶった。


「おおぉぉぉ―――」

「――目障りだな」


 兵士から聞こえたその言葉を最期に、クルトンは死んだ。



 * * *



「シーベン団長、ご無事で?」

「あぁ、心配ない。蜥蜴人リザードマンと言えど、所詮は素人だ。こんな輩がいくら来ようが傷一つ受ける気はせんよ」

「おぉ……さすがは勇者と肩を並べると言われる団長殿だ」

「世辞はよせ。それより、これからの動きを確認する」


 シーベンは両手に持つ小剣ショートソードを振り払い、刀身に付着した血を落とす。そして腰に下げた鞘に収刀すると、ヘルム越しに声を発した。


「斥候によると見張りはこれだけだ。私達はこのまま公国内に進行し、反乱分子を討つ。対象は手に武器を持つ者と抵抗する者、全員殺せとの指示だ」

「了解しました。しかし……五名だけで全員を討つには少々手間がかかるのでは?」

「心配には及ばん。東西に抜ける小道にそれぞれ五名ずつ別働隊を配置している。そこから徐々に攻め入り、町の中央にある大通りに標的を押し込める手筈だ」

「なるほど。承知しました」

「それと、私達の隊が進行するのを見計らって公爵の住む屋敷に火が放たれるはずだが、それは無視していい。奴らが勝手に仕事をするだろう」

「例の誅殺部隊……ですか」

「あぁ、詳しくは知らんが……相当な手練のようだ。ほっとけばいい」

「はっ」


 確認を終え、シーベンの行くぞ、という声と共に全身鎧フルプレートの兵士達は町の中央へと向かっていく。向こうに見える大通りでは何やら騒々しい気配を感じるが、シーベン達は物怖じ一つせず進んでいった。


 しばらくすると、そこには剣や槍、盾などを手にした多種多様な者達が待ち構えていた。しかしその表情は、どれも不安や恐怖に染められている。よく見ると、手にした剣が小刻みに震えていた。

 その様子を見た兵士の一人は、ヘルム越しに嘲笑する。


「ははっ、シーベン団長。コイツら本当に素人じゃないですか」

「あぁ、手応えがなさそうだ。各位、手短に片付けるぞ」

「はっ!」



 全身鎧フルプレートの兵士達は煌めく小剣ショートソードを抜剣し、標的に襲いかかる。

 技量、経験、装備――全てが兵士達に劣る公国の民達に訪れたのは、一方的な虐殺であった。たった五人の人間が、その十倍以上いる公国民を赤子の手を捻るように軽々と斬り倒していく。

 次々に起こる仲間達の死を前にして、武器を捨て戦意を喪失した者、生き延びようと逃げ出す者も現れる――もはや公国の命運は決まったも同然だった。


 グスタフは、次々に血しぶきと悲鳴をあげながら命を落としていく民達を目の前に、ただ口を開けたままその光景を目に映すしかなかった。


 私の選択は間違っていたのだろうか――――そんな思いが押し寄せる。

 だが、どちらにせよ帝国は武力行使に出るつもりだったのだ。帝国の攻め入る口実が多少変わっただけに過ぎないだろう。


 そう、私が公爵になった時には、既に公国は詰んでいたのだ――。



 目の前で起こる惨劇に、グスタフが何もかもを諦めたかけた時、爆発のような爆音が町内に響いた。


「なっ……なんだ!?」

「公爵様! お屋敷が……!!」


 そう言って、獣人族ビーストマンが指を差した方向。

 そこにあったのは、黒い煙をあげた見覚えのある建物だった。町内で一番大きいであろうその一階建ての建物は、セルウィー公国を治める人物とその家族が住んでいる屋敷だ。

 黒煙をあげる自分の屋敷を見て、グスタフは気が動転しそうになる。気がつけば家族の名を叫び、屋敷に向かって走り出していた。


「ナスターシャ!! はぁっ、はぁっ…………アルキュミー!!!!」


 グスタフにはもう、町中の様子など微塵も視界に入らなかった。

 あんな殺戮の現場を目の前で見てしまったのだ、せめて愛する家族だけでも――その思いで一杯だった。目には涙を浮かべ、普段の高潔な顔つきは鳴りを潜める。公爵とも勇者とも言えぬ情けない表情で、ようやく屋敷の前まで辿り着く。


 窓は全て割れ、そこから見える室内には燃え盛る火が勢いよく立ち上がっていた。

 だがグスタフに躊躇などない。

 崩れかけた玄関の扉を押しのけ、屋敷に入る。室内に立ち込める煙と炎の熱気で、満足に呼吸も出来ない。思ったよりも火の気が回っているようだった。

 意を決して奥へ進もうと足を踏み出した時、居間の方からガタンっという物音が耳に聞こえた。


「ナスターシャ!? 無事なのか!?」


 グスタフは居ても立っても居られず、音のした方へ駆け出す。

 そこに立ち込める煙の奥に、ゆらりと人影が見えた。


「はぁっ……げほ、げほっ……………ナ、ナスターシャなのか!? 生きてるんだな!?」


 グスタフは降りかかる火の粉と煙を払いながら、人影に近づいていく。


 もうこの国は以前の姿には戻れないだろう。

 公爵として公国に出来る事、今更そんなものはもうない。ならせめて家族だけは、愛する妻と娘の命だけは――――そんな思いを抱いていると、部屋を覆う煙がすぅっと薄まり、その人影は姿を現した。

 全身が黒で覆われた装束姿。顔はいびつな形の仮面で隠されている。この場に似つかわしくない不気味な存在は、おどけたように声を発した。


「ナスターシャ? それは……この女の事かな?」


 黒装束の足元に、は倒れていた。

 特徴だった金色に輝く長髪。その毛先は、床に広がるで赤く染められている。その姿は死体のように動かない。いや、死体だから動かない。

 変わり果てた最愛の妻を見て、グスタフは足元から崩れ去った。


「……あぁっ………………嘘だ…………嘘だと言ってくれ…………!」

「ははっ、安心しな。苦しくないように、サクッと殺してやったからさ」

「あぁぁ…………む、娘は……アルキュミーは…………!?」


 気付けば、妻と一緒にいたはずの娘の姿がない。

 まだ幼い娘だ。さすがに帝国も子供相手に慈悲はあるだろう。殺してはいないはず――だがその思いは虚しく、黒装束は冷たく言い放った。


「あの娘なら今頃、俺の部下が帝国に連れて行ってるだろうよ」

「…………えっ……!?」

「陛下の御眼鏡に適う娘なら死ぬまで利用され、そうじゃなかったらすぐ死ぬ。それだけの違いさ」

「あぁ……ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 グスタフは頭を抱えて慟哭どうこくした。

 妻を失った悲しみ。娘を奪われた苦しみ。自分の弱さに対する憤り――その全ての感情がとめどなく襲いかかる。


 ナスターシャ、アルキュミー、本当にすまない。私が下した愚かな決断のせいでこうなったのかもしれない。こんな私を君達は恨むだろうか――と、悲痛な胸の内で最愛の家族に懺悔する。 


 そしてグスタフは、まもなく自身に訪れるであろう死を受け入れる。民は虐殺され、妻は殺され、娘を奪われ、もう死ぬ事でしか楽になる事はないだろう。ただ一つ、心残りがあるとすれば―――


(――――一日早いが……誕生日おめでとう、アルキュミー…………)



 嗚咽おえつしながら微かに笑みを浮かべたグスタフを、黒装束は仮面の下から蔑むように見下す。そして、手にした刺突剣レイピアをグスタフの首筋にピタリと当てた。


「女は腹、男は首……そう決めてるんだ。じゃ、家族仲良くあの世でよろしくやってくれ」


 それだけ言うと、黒装束は首に当てた刺突剣レイピアを素早く振り切る。

 風を切る音から少し遅れ、ボトっという何かが床に落ちる音がした。床に落ちたは、近くに倒れていた女の死体と、首のない執事のような黒服を着た死体の傍まで転がると、その勢いを止めた。

 黒装束は絶望に歪む悲壮を浮かべたそれを見て、焼け崩れそうになる屋敷を意気揚々と後にした。



 * * *



「――ご苦労だったな」

「はっ」


 アルビオン帝国を統べる男――皇帝陛下フェイエンは、見事に役目を果たした配下達を鷹揚に労った。

 全てが真っ白に染められた全身鎧フルプレートの兵士と、それと真逆に全てが真っ黒の黒装束の人物がフェイエンの前に跪いている。二人とも早朝からの任務だったが、午前中には公国での任務を終え、午後には帝国に帰還していた。


「して……公爵の娘を連れて帰ったそうだが、本当に見込みはあるのか?」

「はっ。幼いながらも母親譲りの素質を感じました。育てればそれなりに使える者になるかと」


 黒装束の人物――イドラの報告を受け、フェイエンは髭をなぞりながら、ほぅ、と声を漏らす。


「では……しばらく孤児院に預け、頃合いを見て私が面倒を見るとしよう」

「陛下自ら……でございますか?」

「あぁ。私の手がかかった子ともなれば、勇者のつがいとして文句あるまい? 先代の勇者の息子……名は確か、ルクルースと言ったか。歳も近いようだし丁度いいではないか、はははっ」


 室内にはフェイエンの冷たい笑い声だけが響いた。



 ――この後、魔法使いとしての才能を開花させる数年後まで、アルキュミーは孤児院に預けられる事になる。


 そして、帝国の手により殺戮の現場となったセルウィー公国は、フェイエンの側近であるラードウィル伯という新たな公爵と新たな民を据えて公国の再建を目指していった。

 だが以前のように多種族が交わる事はなく、人間のみで統治された小さな公国は、労働力の乏しさから恵まれた資源を有効活用できず、次第に貧しくなっていく。

 

みるみるうちに衰退していった公国は、見放されたように帝国の領地から切り離された。

 公国の命運を分けたあの日から十五年――――皮肉にも、公国は独立を遂げたのだった。


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