第41話 交わらぬ意思
アルキュミーは紺碧の瞳を揺らしながら、頭を上げた。微笑みを浮かべた彼女の白皙の頬は、僅かに紅潮している。
クラルスの治癒魔法のお陰で、その身体には傷一つなく、いつもの凛々しくも可憐な雰囲気を漂わせていた。
その様子を聖殿からひょこっと顔を出して見守っていたクラルスは、タイミングを見計らったように声をかけた。
「フェルム、次はあなたですよ」
「これぐらい……どうってこと――」
「ダ、メ、で、す!」
いつになく強い口調の彼女の勢いに、フェルムはややたじろぎながら了承の返事をするしかなかった。
そうしてクラルスに案内されるがまま、小さな聖殿へと再び入る。逞しい恰幅のフェルムにとっては、出入りするだけでも窮屈に感じる広さだ。
その大きな身体では到底収まりそうにない寝台に腰掛けると、フェルムはポツリと呟いた。
「……悪いな」
「何言ってるんです。いつもの事じゃないですか」
そう――いつもの事。クラルスは常々思っている。
いつも最前線に出ては、その身を挺して仲間を守る姿。毎回毎回、傷を負う度に治癒魔法をかけられる姿。傷が治った後、はにかんだような笑顔を見せる姿。
そのどれもが、クラルスにとっては見慣れた姿だ。
しかしクラルスの表情はどこか暗い。
そのいつもの場所に、もう戻れないかもしれない。そんな思いを抱いたからだ。
クラルスは胸に秘めたその思いをフェルムに吐露した。
「もう……帝国には戻れないんでしょうか」
「…………あぁ、多分な」
フェルムはいつになく低い声で返答する。
その胸の内にはまだ帝国に対する憎悪が燻っている。今まで帝国に仕える勇者の仲間として数多の魔族を屠ってきたが、実はその数だけ不幸になった人間もいるのではないか――そんな風に思ってしまうほど、今まで自分達が歩んできた道のりに疑問すら感じる。
帝国は帝国だけの事しか考えていない。
それを、あの黒装束の男から語られた過去によってフェルムは気付かされたのだ。
(魔族と争っている場合なのか、俺達は……?)
自分の存在意義を見失いつつあったフェルムは、視線を落とし口を閉じた。その様子を察したクラルスは、優しい口調で呼びかける。
「どうかしましたか?」
「……いや、これからどうしようかと思ってな。帝国に戻るつもりはねぇし、かといって世話になるアテもない。困ったもんだ」
フェルムは肩を竦める。
このまま何もせずとも、帝国の反逆者として名が知れるのも時間の問題だろう。遺恨を残したままどこかに世話になっても、迷惑をかけるだけなのは目に見えている。
恵まれた肉体と剣しか取り柄のないフェルムにとって、剣士という職業こそが天職であり生きる術である。
それに、歳も決して若くはない。これから新たに第二の人生を始めようにも、やりたい事も出来る事も特にない。
そんな自分を、自分が一番よくわかっている。
故に剣と共に生き、剣と共に死ぬと心に決めているのだ。
そして、フェルムは溜め息混じりに呟いた。
「用心棒でもしながら一人旅でもすっかなぁ」
「ふふっ、フェルムが一人で生きていけるとは思えませんけど」
「なっ……! どういう意味だよ……」
「一人で食事も作れない。愛想もよくない。不器用。声も大きい――――」
次々に棘のある言葉を連呼するクラルスに、フェルムは苦い顔をする。どれも耳が痛くてしょうがない。
「ちょ、ちょっと待て、クラルス。自覚はあるが、いくらなんでも言い過ぎだ……」
「ふふっ。もし……本当にそのつもりがあるなら、ちゃんと世話をしてくれる人が必要だと思いませんか?」
「まぁ、それはそうだが……。あいにく俺みてぇな男について来る物好きはいねぇだろう」
フェルムはそう言って苦笑いを浮かべる。
だがその直後、真向かい立っているクラルスの言葉を聞いて、渋みのある男らしい表情は驚嘆としたものに変化した。
「……ここにいるじゃないですか」
「…………おい、それってどういう――」
「わ、私達だけでこんな話しをしてもしょうがないですから! ルクルースもアルキュミーもいますし! さっ、治癒するので向こう向いて下さい!」
「お、おう……」
フェルムはクラルスの小さな手に背中を押され、強引に身体の向きを変えられる。その彼女の表情は、ハーフエルフの特徴である少し尖った耳まで熱さと赤みを帯びている。
――もっとも、聖殿の暗がりのお陰でフェルムの目には映らなかったのだが。
* * *
治癒のために聖殿へと入った二人を、テネブリスはアルキュミーと共に外で待っていた。
しかし、その雰囲気は決して穏やかとは言い難い。
お互いに何を言う訳でもなく、微妙な距離感を保ちながらただ立ち尽くしているだけだ。
そんな空気に耐えかねたアルキュミーは、ある疑問をテネブリスに問いかける。
「そうだ、ルクルース。ここは……どこなの?」
「セルウィー公国、という場所だ」
「セルウィー……公国…………? それって確か最近、帝国から独立したったていう……」
アルキュミーは目線を斜め上にやると、思い出したように呟いた。だがそれは幼少期の記憶ではなく、一年前に帝国から独立したという最近の記憶だ。
そんな彼女の反応に、テネブリスはふと思案する。
(この反応……やはり己の出生に関して何も聞かされておらぬか。憐れな……)
帝国によって――いや、皇帝フェイエンによって何もかも奪われた公国。アルキュミーもその被害者の一人だ。
悲惨な過去を一切知らず、ましてやその仇である帝国に
「でも、なんでセルウィー公国に……? 帝国に戻ってきちんと説明すれば、陛下だって……!!」
「その必要はない」
「えっ……!? な、何でよ!? 陛下は慈悲深い御方だわ! ルクルースが王国で成した事をきちんと――」
「下らぬ」
取り乱すアルキュミーの言葉を、テネブリスは冷たい一言で遮った。
そして、その冷たさのまま言葉を続ける。
「もう忘れたのか? 貴様は帝国の人間に殺されかけたのだぞ」
「それは……そう、だけど…………でも! ルクルースは何も悪い事はしていないじゃない!」
「全く……何度言えばわかる。私はルクルースではなく、テネブリスだと――」
「それはもういいわよ!! 私はっ……あなたの為に…………」
アルキュミーはそこまで言うと、言葉を詰まらせた。溢れる気持ちを抑えきれず、雨粒のような涙が頬を伝う。
二人の間に、再び重い沈黙が訪れた。
そこへちょうど、治癒を終えたフェルムとクラルスが顔を出す。しかしその重苦しい雰囲気をすぐに察知し、何事かと二人の様子を伺う。
「っと……どうした? まさかルクルース……お前ぇ、あの事を……」
「ふん、まだ何も言っておらぬ」
「……そうか。じゃあ、何だ? 喧嘩でもしたか?」
「フェルム! そんな雰囲気じゃないでしょう。アルキュミー、どうかしましたか?」
クラルスの呼びかけに、アルキュミーは指で涙を拭いながら首を振った。
どうもこうも、ただ愛する人を思い、心配をしただけ。そしておそらく、その愛は伝わっていない。アルキュミーはただそれがどうしようもなく苦しかっただけだ。
「ううん……大丈夫。これからの事、色々と心配になっちゃっただけだから」
「そう、ですか……。でも確かに、これからの事を話す必要はありますね」
涙を拭いながら気丈に振る舞う仲間の姿を見て、何も思わない訳はない。
しかしクラルスは敢えて何も言わない。そういう優しさもある。時として、それも必要なのだ。
「これからどうするか、という話なら既に決まっている」
テネブリスは腕を組み、静かに口を開いた。
想定外の邪魔が入ったが、テネブリスの目的地に変更はない。
向かうべき場所はただ一つ。魔族の拠点であり、自身の居城――メンシスだ。本来なら帝国でアルキュミー達と別れるつもりだったが、ここで別れても大して差はないだろう。
それに、帝国はいずれ滅ぼすつもりだ。アルキュミーらが帝国に戻れない状況というのは都合がいい――――そこまで考えたテネブリスだったが、ここでふと気付く。
(何故……都合がいいのだ……? 私は、コイツらを――――)
自身に芽生えつつある魔王とは相反する感情。それに気付きかけた時、テネブリスの後方から聞き覚えのある妖艶な声がした。
「みぃつけた……!」
声のする方に振り返ると、そこには見覚えのある二体の姿があった。
テネブリスは睨みをきかせる。自身の直属の配下、その者達に向かって。
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